「宇田川源流」【日本万歳!】 明智光秀の「坂本城」が国史指定へ
「宇田川源流」【日本万歳!】 明智光秀の「坂本城」が国史指定へ
毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本の素晴らしいところや日本が世界で活躍している姿をご紹介し、その内容をこの中で分析し、そして日本の文化のすばらしさや、日本の生活慣習、日本の国民性の素晴らしい所を感じようという連載である。そのうえで、我々日本人一人一人が同じような気質を持ち、そしてその日本人としての誇りをもって仕事をしていただきたいと思っているのである。
さて日本は歴史のある国でありなおかつ、ギネスブックにも出ているような、世界で最古の「王朝」があるところなので、その為に「昔からの家柄」がそのまま残っているということになる。
なぜ、そのようなものが残っているのであろうか。日本の場合は、同じ王朝が残っているということにあると、つまり、古代から現在まで同じ価値観でそのまま残っているということになる。王朝が変わってしまうと、もちろんそのままの場合もあるが、だいたいの場合前王朝の文化や価値観をすべて否定し、新たな文化や価値観を入れてしまう。そのことは、建物や美術品などが全て無くなってしまうということもあり、また、そのような文化を否定したり破壊したりしてしまうということになるのが通例であろう。
それは家柄でも同じで、古代に貴族など支配階級の家柄は、当然に支配階級の時に様々な無理を庶民に言う。その家柄が没落すると、逆にその家柄が無くなってしまうことになるのである。
そのようないみでいえば、王朝が統一しているということになれば、家柄もそのまま「保つ」事ができる。平家のように「本筋の家が滅びる」というような事はあったかもしれないが、それでも平家の分家は現在も残っている。その様に「価値観や過去の歴史が保存される」ということが、現代にとってどれくらい重要なのかということが見えてくるのではないか。
<参考記事>
光秀築いた「幻の城」開発中止で異例の国史跡へ 説明会に2千人、遺構の保存決定が後押し
6/20(金) 産経新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/54f223d04608ab2d68058dde418a2a559fccaee8
<以上参考記事>
その「本家」「家系」を象徴するのが「館」である。そしてその「館」が戦国時代に軍事的な拠点として大きくなったものが「城」である。つまり、「城」というもは、その上の繁栄と、そして軍事的な強さ、そして領民たちへの支配と政治の象徴であるということが言えるのではないか。当初、平安時代は館や城というのは軍事的な拠点を表し、同時に政治的な拠点を表したが、しかし、それは一族の象徴ではなく、大和朝廷の象徴であった。東北にある多賀城や秋田城(佐竹の久保田城ではない)等は、平安時代につくられた東北の支配の象徴である国衙であったわけだが、それが、中世になると一族の城ということになる。同じ東北でいえば八戸にある根城などがそれにあたるということになる。反乱や敵の攻撃に対しては、その城で守り撃退することができ、一方で、軍事だけではなく領民の生活や政治もその中で行われる。平時と非常時双方の象徴的な存在である。
これが戦国時代になると「支配」の象徴となるのと同時に、「自分の出世」の省庁になりまた室町自ぢ亜位から勃興する「商業の中心」「物流の拠点」としても大きな意味合いを持つことになる。特に織田信長の配下では楽市楽座などが標準的に行われ商業経済、貨幣経済におけるメリットを享受していたことから、城は様々な意味合いになってきていた。ただの軍事的な拠点であれば守りやすい場所、例えば山の上とか、湿地の真ん中などに作ったが、政治の中心であれば、町の中心部になければ不便である。その二つをあわせもつとなれば、巨大化し、なおかつ大賀過多せざるを得ない。
織田信長の配下でそれらを体現したのは、織田家の宿老ではなく、織田家の中でも実力で成り上がってきた羽柴秀吉と明智光秀の二人である。羽柴秀吉は、浅井の小谷城を攻略した後、そのふもとの沿岸部の長浜(当時は今浜と言っていたが、秀吉が地名を変更)を開発した。そして明智光秀は大津の坂本に城を作り、そして中心の安土に織田信長が拠点とした。京都への物流の中心であった琵琶湖の水運をこのようにして完全に掌握し、なおかつ陸路もしっかりと着けたということになる。
しかし、長きにわたり「安土城の天守閣」と「坂本城の実態」があまりよくわからなかった。昨今、発掘でその実態が見えてきていたということになる。安土城は、本能寺の変の後、謎の不審火で完全に焼け落ちてしまい、そのうえ、
その後秀吉、そして家康の治世になって完全に忘れ去られた場所となってしまった。一方、坂本常はやはり本能寺の変の後明智光秀が滅びた(小栗栖で農民に殺されたとされている)の後、完全に破却されてしまい、なくなってしまったとされている。敗者の歴史というのは完全に消去されてしまう。その伝説などもすべて消されてしまうのである。そのことから、坂本城の内容は完全に消えていたが、しかし、琵琶湖の下に埋まっていた石垣が出てきたのである。
日本の素晴らしいものは、そこに開発案件があったにも関わらず、その開発を終始して史跡として保存が決定されるということである。中国や韓国では全く考えられないことっであろう。歴史を大切にするということは、自分たちの出自や自分たちの過去を大事にすることである。その史跡の研究は過去に我々の先祖がどのような生活をしてきたかということが明らかになるということである。
まさにそのような状況から、今後坂本城と明智光秀に関しても、様々な研究がされることであろう。そして本能寺の変に関してもその内容が見えてくることがあるのかもしれない。
歴史にロマンを感じることができるのも、日本のすばらしさの一つ。アニメや漫画などの、最近の内容ばかりではなく、本物の人間の「ドラマ」こそ、日本人の最も大事にしなければならないものであり、日本のすばらしさではないか。
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