「宇田川源流」【日本万歳!】 アーベル賞を京都大学の柏原特任教授が授賞
「宇田川源流」【日本万歳!】 アーベル賞を京都大学の柏原特任教授が授賞
毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本人の素晴しいところや、日本が称賛されているような内容が記載されている記事を皆さんに紹介し、その内容を分析し、その中において日本人が称賛されている内容を見てゆくということになる。
日本人のすばらしさは、この連載を通した内容でいえば、日本人のすばらしさというのは、まずは大谷翔平のように一人の非凡な人がいて、その非凡な才能がはぐくまれる環境にあるということではないか。しかし、この「非凡な人物がある」ということは、日本のことだけではなく、他の国においても同じようにヒーローはいるということになる。そのことから、日本人のすばらしさがあるということになる。
しかし、日本人のもう一つのすばらしさは、そのような特別なヒーローではなく、普通の日本人ということになる。例えば、サッカーのワールドカップなどで、日本人のサポーターが必ず客席を掃除してから帰ることなどが、世界に絶賛されている。これなどは、誰か掃除で有名ない人がいるわけでなあい。そうではなく、日本人のだれもが「自分のいた場所で、使った後には掃除する」という習慣があるということになるのである。つまり、その日本人の習慣そのものが様々な人に絶賛されているロいうことになるのではないか。つまり、日本人が日本人として当たり前のことをした場合、その日本人が絶賛されるということになるのである。
まさに、日本人のすばらしさというのは、この「日本人ならば当たり前」ということが普通に日本人として行っていることを、世界が称賛するというような状況になっているのである。
もちろん掃除をする人などはほかの国にもいる。しかし、そのほかの国にいる掃除は「自分の後をちょっと掃除する」というようなこととは異なるのである。「次に使う人のために掃除する」ということ、つまり「利己」ではなく「利他」の精神そのものが称賛されていることがある。
そして、今日紹介するのはもう一つの「日本人が称賛される」ということなのである。
<参考記事>
京都大柏原さんにアーベル賞授与 数学のノーベル賞、日本初
2025年5月20日 22時12分 共同通信
https://news.livedoor.com/article/detail/28792073/
<以上参考記事>
皆さんはアーベル賞という名誉を知っているであろうか。私は申し訳ないが、このニュースを見るまでは知らなかった。完全に理数系から切り離された仕事をしている私にとって、このような「優秀な賞」は全くわからないということになる。
そこでまずは調べてみた。
アーベル賞は、顕著な業績を上げた数学者に対して贈られる賞である。2001年、ノルウェー政府は同国出身である数学者ニールス・アーベルの生誕200年(2002年)を記念して、アーベルの名を冠した新しい数学の賞を創設することを公表し、そのためにニールス・ヘンリック・アーベル基金を創設した。毎年、ノルウェー科学文学アカデミーによって任命された5人の数学者からなる委員会が、受賞する人物を決定する。賞金額はスウェーデンのノーベル賞に匹敵し、数学の賞としては最高額である。この賞の主な目的は、数学の分野における傑出した業績に国際的な賞を与えることであり、社会における数学の地位を上げることや、子供たちや若者の興味を刺激することも企図している。2003年4月、初めての受賞者が公表され、ジャン=ピエール・セールに送られることに決まった(賞金は600万ノルウェー・クローネ、約1億円)。
1936年から実施されているフィールズ賞も数学に関する賞であるが、フィールズ賞が4年に1度しか授与されず、しかも受賞までの業績に加え今後の活躍への期待も込めて40歳以下の若い数学者にのみ贈られる賞であるのに対し、アーベル賞はノーベル賞と同じく1年に1度で、受賞の対象は年齢を問わず、数学全般に関わる重要な業績を残した数学者に対して贈られる賞であり、賞金額もアーベル賞の方が非常に高額で、その性格はフィールズ賞よりもノーベル賞に近いものとなっている。
そのアーベル賞を日本人が初めて授賞した。「代数解析学および表現論、特にD-加群理論の発展と結晶基底の発見への根本的な貢献に対して」ということで柏原正樹特任教授である。
京都大学の柏原正樹特任教授がスピーチで、恩師から教わった「創造することの大切さ」を強調したという。「数学において新しいものを創造することの大切さを教わり、研究人生の重要な指針となった」という。
さて、ここまで書いているが、その授賞内容に関しては何がすごいのか全く分からない。そのことに関しては、もう少し詳しい人などに聞いてもらいたいと思うのであるが、しかし、このスピーチにある「創造することの大切さ」ということは、理数系・文系関係なく、人間にとって、特に資源もない日本において最も重要な内容ではないか。今の日本の教育は「知識をためること」ばかり、つまり「解答を教えてもらい、それを記憶してテストの時にその記憶の通りに書き出す」という事ばかりであり、記憶力のテストで優秀さが決まる。しかし、実際に社会に出て必要なのは、知識ではなく「知恵」である。知識がいくらあってもAiの時代には何の役にも立たず、その知識を使って「知恵」を生み出すこと、新たなことを生み出すから、発展するのである。そのことを数学者の立場で話してくれたことが最も重要なのではないか。
「学びの最高峰」では「新しいことを創造することの重要性」が認知されている。ある意味で、そのことを割れ和あれは改めて認識すべきであり、そうして再度日本を発展させるべきではないだろうか。
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