「宇田川源流」【GW特別連載:昭和100年雑感】(3) 昭和の政治と国民の意識

「宇田川源流」【GW特別連載:昭和100年雑感】(3) 昭和の政治と国民の意識


 毎年ゴールデンウィークとお盆休みは、ニュース解説の性格上、ニュースがほとんどないので、何かのネタで一つの連載を汲んでいる。酷いときは「ゴールデンウィークのエロ」等、土曜日のエロの拡大版をやってみたりしていたのであるが、それはそれなりに評判が良かったのである。

しかし、毎年必ず言われるのは、「ゴールデンウィークの間に憲法記念日があるのに、憲法の話がないのは何故だ」と言われることがあります。もちろん、間に、こどもの日(菖蒲の節句)がありますので、その内容はオンラインサロン等で話をしているのですが、たしかにあまり憲法に関して話をしたことがないような気がします。

その憲法に関して言えば、1947年、つまり昭和22年5月3日に施行されています。ある意味で、これも「昭和の話」です。そこで憲法の話も含めて、今回は「昭和100年」について話をしてみたいと思います。

前回は「戦争と昭和」ということで行ってきました。「真に国際人になるための条件を、昭和の100年は形成してきた、日本人のための100年であったと思います。」という言葉を、前回の最後に着けさせていただきましたが、まさに、戦前の軍部独裁から、敗戦後左傾化した日本、そしてその後戦後生まれの首相が出てきたことによって、やっと「当たり前の国家」になってきたということなのではないかと思います。ちなみに、私の個人的な見立てては、今の石破内閣も、その石破首相を選んだ岸田首相も、いずれも左傾化した日本の象徴のような人々であるような気がします。

ちなみに、「左傾化」というからと言って共産主義化というわけではないということを信じたいです。1904年、日露戦争勃発前夜、日露開戦やむなしということを主張した桂太郎や山形有朋を中心にした「日露開戦派」とロシアという強大な国と戦えば国益を損なうので、ある程度妥協しても日露の戦争を避けるべきだという主張をした伊藤博文を中心にした「日露協商派」に分裂します。今、前者の安倍内閣と、後者の岸田・石破というような感覚に分かれてしまっているのではないでしょうか。

ある意味で、その様ん戦争を避けていた伊藤博文が、朝鮮半島で安重根に暗殺されたのは、「妥協して戦争を避けても人を守れない」ということを身をもって示した形になってしまった「歴史の皮肉」であるような気がします。

さて、その様に「戦争」や「平和」は、政治が大きく左右しますので、やはりここで「昭和の政治」について見てゆこうと思います。

★ 政治を見るといっても

昭和の政治を見るといっても、年代別にその特徴を見ても何の意味もないということになります。そのようなことは、歴史家や昭和の専門家の人々が皆やっていることなので、制度や日本の政党史などは誰でも好きな人がその解説する人の立場やイデオロギーなどを中心に書いていただければありがたいと思いますし、読むほうも、自分の主義主張に合わせた漢字で見てみればよいのではないかと思います。

そのような話ではなく「政治」といっても「国民は政治にどのようにアクセスをしたのか」ということではないかと思うのです。

私はいつも「政治は継続性(歴史的つながり)」「経済は拡張性(横のつながり)」というような感覚で見ています。その意味からいえば、昭和の歴史を盛るのはまずは対象の歴史から見なければならないのです。

もともと明治維新があって、維新の元勲が様々な改革を行ってきて、そのことから日本の悲願であった「不平等条約の解消」ができたのですが、しかし、その功績は誰なのかということが出てきます。軍人は「軍が日露戦争に勝ったからだ」と「勝利の功績」を主張するようになりますが、政党政治家は「民衆の力」ということを言うようになります。そしてその民衆の力が大きかったのが「大正デモクラシー」です。

この「大正デモクラシー」は、民衆の力の大きさと普通選挙(といっても女性の選挙権はなく課長制度に基づく選挙でしたが)及び産業経済力が大きな力になり、それを背景にした政党政治が台頭してきたということになります。しかし、その大正デモクラシーも、二つのことで大きく変わることになります。一つは関東大震災、そしてもう一つは昭和恐慌です。

この二つの混乱期で、民衆が恐慌状態になり、その恐慌状態の混乱を鎮める力として軍隊が出てくるということになります。一つには国内の治安出動ということもありますが、第一次世界大戦への参戦、上海出兵、満州事変、日支事変というように日本軍の拡張精度は、一つには、軍隊の拡張主義と同時に、国内の停滞した雰囲気を一気に変えてゆくということにあるのではないでしょうか。日本の現在の政党の中には、この雰囲気を軍隊にばかり転嫁する雰囲気がありますが、実際には、「当時の非合法の共産党」は軍隊の存在を全く否定していませんしまた、軍隊拡大に沸いた日本有権者に対して否定もしていないということになり、あくまでも日本の政治における内容とソ連との連携ばかりを話していたような気がします。

そのようなことから見れば、「国民全体が恐慌状態から抜け出すことを軍隊に期待した」ということになります。そのような国民的な支持背景があったので、5・15事件のような事件も起こります。もちろん大日本国憲法などで軍人が深く政治に関与するということもありましたので、制度的な欠陥もあったと思いますが、その中で日本国民は、そのような拡大主義の政治に期待したという事でしょう。ある意味で、現在の中華人民共和国の政治と似たような状況になっていたという事であろうと思います。

その期待が一気に来るれるのが敗戦ということになるでしょう。

★ 革命の基礎をつくった現代化社会と左傾化

日本の政治というのは、ある意味で「民主主義」と言いながらも「ある程度操作された民主主義」が定着してしまっているということが言えると思います。実際に、「自分たちはあまり政治的なことを考える必要がなく、日々の生活や享楽を謳歌し、政治は専門家に任せて、不満があった時に声を上げる」というような感じが日本の政治であろうかと思いますし、また、その政治の古代からつながる歴史であろうと思います。

以前、池口先生という弁護士の先生と話をしました。これは堺屋太一元経済企画庁長官(故人)の従兄弟に当たる方です。ちなみに、堺屋太一さんは、本名が池口小平太さんですから、従兄弟といわれてもおかしくはないのです。父同志が兄弟であるという池口先生は堺屋さんの学生時代の話をしていました。彼は共産主義にかぶれ、日本で革命を起こすということで大学時代に活動していたということで、彼の父は非常に困っていたということです。そこで弟であり当時も勉氏であった池口先生の御尊父に任せたそうです。一か月休学し、そのうえで、池口父と堺屋さんは旅行をしそうです。初めのうちは、何か言われるのではないか、説教をされるのではないかというようなことで構えていた堺屋さん。しかし、池口父は汽車(当時のことなので)のボックスシートでずっと前に座って本を読んでいたということです。数日間、会話のないまま汽車に二人で乗っていたのでやることもなく、なんとなく車窓を見るようになっていた堺屋さん。外では水をはった田んぼに多くの人が田植えをしていたそうです。当時ですから田植え機などもなく、多くの人が横に並び、田植えの歌を歌いながらやっている風景はのどかに見えていたということ。当時の日本の田舎町は「日本の原風景」ですから何日もずっと車窓はそのような状況であったといいます。その時に、本を閉じた池口父が「おい小平太。あの人々が革命で命を落とすと思うか」と聞いたそうです。この時に、堺屋さんは、初めて自分の考えが「一部の事や本の中の事しか考えていなかった」ということに気づいたということです。その後堺屋さんは中曽根康弘氏の書生となるのです。

まさに、日本の政治というのはこの言葉の通りでしょう。「都市部にいて、不満ばかりを言っていれば革命となる」という事でしょうが、地方の農村部は、非常にのどかで時間が止まったような状況になっている。農民がトラクターでデモを起こすフランスとは全く異なる状態なのです。多分、私に縁のある富山県の農村部なども同じですが「政治」等よりも「今年の米の出来具合」や「祭りの相談」の方が重要なのです。

政治の左傾化というのは、このような人々に「現状の不満を突きつけて、そのうえで洗脳し、革命を起こそうとしている」という事であろうと思います。まさに、「核家族化」「隣の住人の顔も知らない」そして最近では「ネットでしか人とつながることができない」「自分の妄想の世界に閉じこもってしまう」というような状況が左傾化の基盤になっており、そこに現状の生活の不満をずっと流し込んでいる状態があるのではないでしょうか。

そのようなことをわかっていた池田隼人内閣は「所得倍増計画」で経済的な優位性を行っていたのですが、しかし、佐藤栄作内閣以降、与党自民党の左傾化は、まさに、このような近現代化・工業化・都市化ということに大きな原因を作っているということになるのです。

もちろんその左傾化に大きく寄与しているのがマスコミの偏向報道ですが、それ以前にこのような社会現象こそが大きな原因であり、昭和中期の日本であれば、マスコミが偏向報道をしても、堺屋太一さんのようにしっかりと気づくようになっていたのではないでしょうか。

★ 失われた30年と日本の政治の復活は?

さて、このように考えれば、「失われた30年」ということがあってもおかしくないということになります。社会の多くの不満があり、その不満に対して、各企業が不満の解消をするということは一つの大きなビジネスチャンスになりますが、しかし、その企業で働く人々もみな同じように不満を会社に対して抱えてしまっているという状況が、企業を蝕んでゆくことになります。ある意味で「権利意識の増大」が政治と経済をゆがめてしまっているということがありうるのではないでしょうか。

これは別項目で書きたいのですが、日本の民主主義と経済は「国民の義務や責任意識の希薄化と権利意識の増大」ということから、非常に大きな問題になってきていると言ことになり、そのことから政治も経済も復活できなくなってしまっていると言ことではないかと思います。そしてその「権利意識の増大」が、「国民間の不公平感を生み、また公に対する要求が増え、自分たちが責任をもって行うことが少なくなる」ということになってしまっているのではないでしょか。

政治も、経済も、日本の復活というのは、「団結力」が重要であり、そしてその団結力には故人の権利意識よりも、集団のための責任感と義務意識、そして「誇り」ではないかと思うのですが、その内容を復活させることができるだけの政治がなくなってしまっているということではないかというきがします。これから、間違いなくその内容を復活させる、つまり、国民が自分から喜んで団結し、そして誇りをもって団結するような政治がなければ、これからの混乱の世界は乗り切れないのではないかと思います。

宇田川源流

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