「宇田川源流」【GW特別連載:昭和100年雑感】 昭和とはどんな時代だったのか

「宇田川源流」【GW特別連載:昭和100年雑感】 昭和とはどんな時代だったのか


 毎年ゴールデンウィークとお盆休みは、ニュース解説の性格上、ニュースがほとんどないので、何かのネタで一つの連載を汲んでいる。酷いときは「ゴールデンウィークのエロ」等、土曜日のエロの拡大版をやってみたりしていたのであるが、それはそれなりに評判が良かったのである。

しかし、毎年必ず言われるのは、「ゴールデンウィークの間に憲法記念日があるのに、憲法の話がないのは何故だ」と言われることがあります。もちろん、間に、こどもの日(菖蒲の節句)がありますので、その内容はオンラインサロン等で話をしているのですが、たしかにあまり憲法に関して話をしたことがないような気がします。

その憲法に関して言えば、1947年、つまり昭和22年5月3日に施行されています。ある意味で、これも「昭和の話」です。そこで憲法の話も含めて、今回は「昭和100年」について話をしてみたいと思います。

まず初回の今回は私個人の意見で「昭和とはどんな時代であったのか」ということを見てみたいと思います。本来本格的なゴールデンウィークは明日(4月29日)からなので、今日は序章ということで、個人的な感想を見てみたいと思います。

★ どこか懐かしい日本の原風景

 「三丁目の夕日」とう映画があったと思います。ご覧になった方も少なくないのではないでしょうか。また他の映画で言えば「となりのトトロ」という宮崎駿監督のアニメーションがあります。この映画も、非常に多くの人がご覧になったのではないでしょうか。

宮崎駿監督の映画の「舞台」は、日本の中のどこということは決まっていません。もちろん、宮崎監督ですから、どこということが決まっていれば、正確な描写をすると思います。しかし、そのような描写の対象はなく、ある意味で「どこにでもある」場所ではなく、全く架空の場所でしかないのですが、日本人が見ると「一回も行ったことがないのに、どこか懐かしい」と感じる所があります。このような景色を「日本の原風景」というようなことを言いますが、ある意味で日本人ならば誰もが「懐かしい」と思える風景がそこにあるということになるのではないでしょうか。

さて、「日本の原風景」というのは、いつの時代の風景でしょうか。

実は江戸時代から明治・昭和にかけての風景が「原風景」と言われています。実際に、昔の風景ということであれば、古くは縄文時代の竪穴式住居が並んでいる場所も本来は「原風景」というか日本の風景になりますが、そのような場所は「歴史に教科書や資料集でしか見たことがない」ということで、日本の歴史の中の風景であるにもかかわらず、我々の「懐かしい」と思う風景ではないということになります。

そのような意味で言えば、自分の祖父母かその一つ上の世代くらいまでの体験した風景が「原風景」として存在するのではないかという気がするのです。ですから、江戸時代の内容はある意味で原風景の中の一つではありますが、そこにちょんまげをしていたり、刀を差して歩いている人がいると、急に原風景ではなく、「創作物(時代劇)」の舞台になってしまうということになるのでははないでしょうか。

そのような意味で言えば、「原風景」と言われる原点が昭和にあるということになるのではないでしょうか。

この原風景の事からわかるように、私や今の現代の人々の「原風景」というかある意味で、「懐かしいと感じるもの」が昭和にあるという感じではないでしょうか。

★ 私にとっての昭和

 さて、私宇田川は、昭和44年生まれです。ちょうどいわゆる「第二次ベビーブーム」であり、多くの小学校などがマンモス校と言われるような大人数の学校になり、そのことから、様々なことがあった。現在日教組が推進している30人学級などは夢のまた夢で、50人のクラスが6~8暮らすくらいある学校も少なくなかった時代です。

そのような中で第二次石油ショックがあり、また、沖縄返還や、大阪万博(岡本太郎於太陽の塔の時の万博です)などがあった時代です。その少し前には東京オリンピックがあり、それに合わせて首都高速道路と東海道新幹線ができたのです。

その様に考えれば、2021年に東京オリンピック(2回目)、そして今年大阪万博(2回目)の原型がその時代にあったということになります。もちろん東京オリンピックは生まれる前ですし、大阪万博は1歳ですから記憶にあるわけではないのですが、それでもなんとなく懐かしい感じがするのは、当時の映像が資料映像としてよく流れるからではないでしょうか。

私の場合、高校生活が全て昭和でしたので、思春期と人間形成が全て昭和に行われたということになります。そのように考えてみると「昭和」というのは、かなり昔の話ということになるのでしょう。実際に、平成が30年(本当は31年ですが、31年は令和元年なので)で令和が7年ですので、30代前半の人までは、昭和を知らない世代であるということになる尾です。「昭和は遠くなりにけり」などという言葉を見たことがありますし、「平成レトロ」野など、既に平成の時代もレトロと言われるようになっているので、昭和と言えばレジェンド(伝説)か「化石」と言われているじょうたいです。既に30代前半までの人は昭和は、我々の世代の明治と同じで、教科書でしか出てこない時代位なっているという頃ではないかと思います。

もうすでにそんな昔になってしまったんだなと思うところですが、私の場合はその時代を生きていて、その時代の感覚が今も残っているということになります。

昭和の最後においては「リゲイン」という健康飲料のコマーシャルがあり、「24時間戦えますか」というような言葉が歌になっていました。その前は「モーレツ社員」という言葉があったくらいですから、「残業は当たり前」「人の倍以上働くのが普通」というような感じではなかったでしょうか。「仕事が趣味」などと言って、退職後に何をやってよいかわからないというような人が多いのもこの世代ではないかと思うのです。

私から見れば「昭和は活気があった時代」という気がします。90年代にバブル崩壊があるということですがそのバブル時代の元を作ったのが昭和時代であるという感じがするん緒です。

ではその時代はどうやってできていたのでしょうか。

★ 多くの人が一緒になって頑張った時代

 日本の場合、統一の価値観で同じ方向を向いて、団結しているときはの日本人は最も強いと言えます。1300日以上日本は世界と戦ったのが大東亜戦争ということになりますが、まさに日本が全体で一致団結していた時代ということができたのではないでしょうか。しょうわのじだいとうのは団結する力をまだ日本月yく保有していた時代ではないかと思うのです。

そして「努力する事」「頑張ること」「他人の期待に応える事」というのがこの上ない重要な価値観であったような気がします。だから「○○らしさ」のような言葉が多くまた、「期待しているから」と言われて働くことができた時代ではなかったかと思います。ある意味で人間が純粋であった時代でもある尾ではないでしょうか。

非常に大きな悪があるように見えて、実際は純粋であるというのは、昭和の特徴であはないかともいます。ある意味で戦前を引きずりある意味で新た強い何かをつかもうとしていた、そして、ないものを作り出し工夫して考えていた、それが日本の昭和ではなかったかと思うのです。

そのような昭和の時代に関して、今年のゴールデンウィークは見てゆきたいと思います。

宇田川源流

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