「宇田川源流」【土曜日のエロ】 伝統的なことは「不適切」なのか?
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 伝統的なことは「不適切」なのか?
今週も土曜日のエロの日になった。人間の本質や本能・そして人間の本能に根差した歴史観、その他の伝統や文化ということと現代をどのようにマッチングさせるかということが重要な世の中になってきたのであるが、その中における「タブー」に挑戦する連載である。ただ、その連載の前に、まずは今週問題になった内容を見てみよう。
今週は二つの事が注目された。
一つはいわゆる「トランプ関税」であろう。この事に関してはメールマガジン「宇田川敬介の日本の裏側の見えない話」の中でくわしくふれるので、こちらには簡単な話しか書かないことにしておくが、実際に、2月の日米首脳会談の時には、「日米黄金時代」などと大騒ぎして帰ってきたはずの石破首相は、その後、自動車関税、相互関税と様々な関税を受けており、なおかつ、結局のところ日本側の要求は何もできていない状態である。「日米黄金時代」とはいったい何なのであろうか?まあ、石破首相の「独りよがり」とか「勘違い」ということであるとしか言いようがない。ちなみに、トランプ大統領の意図は非常によくわかるし、そもそも2016年のトランプ第一期政権から経済に関してはピーター・ナバロ氏が政権顧問をやっているのであるから、どのような政策委とかはわかりそうなものであるが、石破内閣にはそのような「知恵者がいない」ということなのであろう。
もう一つには、俳優(私は現代でも女優と言いたいのですが)の広末涼子さんの傷害事件であろうか。このように書くと広末さんが被害者側に見えるが、どうも逆で広末さんが事故を起こしてその時搬送された病院の看護師に暴行を加えたということのようである。以前の「プッツンしている」などという言葉があるが、まさにそのものではないかという気がするのである。実際に、このような事件の場合はアルコールなどの酩酊状態であるなど、様々な想像があるが、「プッツンしている人」というのは、素面でもそのような行動をしてしまうというのは、別な意味で怖いことなのではないか。事情などを見るに仕事関係で自暴自棄になっていたということもあるが、残念ながら、自暴自棄になって破壊衝動に駆られる人はいるかもしれない。しかし、そのことが有名人であれば大きなニュースになってしまうものなのである。有名人であるから、事件などに関して「大きなニュースになる」ということが「有名税」というような言い方をされるのかもしれない。これは、様々な意味で有名人のかわいそうなところかもしれないが、残念ながらそのプレッシャーに耐えられない人は、演技がうまくても芸能人をするべきではないのかもしれない。
さて、今回は、これ等の今週の事件とは全く関係ない内容である。
<参考記事>
女性像の胸を“お触り”、不適切な行為で一部が劣化→地元女子大生が声をあげる「差別的な伝統」(アイルランド)
4/2(水) BuzzFeed Japan
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b0eb4adfe0f8fbb0a7553952bcd06a61f4afecd
<以上参考記事>
町中の像があると、その特定の場所が触られて、色が変化したり、場合いよっては、形が変わってしまう場合があるのは、色々なところでも見たことがある。比較的私の自宅の近くにある、いわゆる巣鴨の「とげぬき地蔵」などは、自分の身体の悪いところを澤って祈ると体が良くなるという「言い伝え」があるのであるが、巣鴨が「お年寄りの原宿」などと言われていることからも、腰やひざに心配を抱えている人が少なくない。そのような意味でこのお地蔵さまは、膝や腰が、すり減っているように変色しているのである。このほかにも九州の太宰府の牛など、様々な所にそのような言い伝えがあり、その言い伝えにしたがってある一か所が変色してしまう。
あえてとげぬき地蔵や大宰府の牛を例に出したのであるが、他にも、例えば性的なシンボルをご神体ん敷いているようなところは少なくないのである。実際に、男性器や女性器に似た石などをご神体として「子宝の神」としているようなところは少なくなく、その場合、男性も女性もその「ご神体」をしっかりと触っているということになるのである。当然に、変色したり、形が変わったりしてる場合が少なくなく、多くの人が触っているのでつるつるになっているという状態である。
さて、このように「性的なシンボルに対して、そのシンボルをもって性的な内容や家族、子宝、というような幸福をもたらすご神体」としている場合は少なくない。これは日本だけではなく、世界各国にあるものであり、多くの場合「結婚できない」「子供が生まれない」「子供がうまく育たない」などの状態に対しての「神頼み」としている場合が少なくない。これは日本だけではなく、東南アジアやヨーロッパにも多くあるもので、ギリシア神話などの寓話から取られた伝承などに基づく場合が少なくないのである。実際日本の場合は、愛知県の間々観音や東京の水天宮、北海道の乳神神社などがあり、間々観音などは、乳房の形のご神体が多く存在して、母乳が出ない女性が多く参拝しているのである。
ヨーロッパでも餓死刑に処せられた父親キモンを助けるために、密かに自らの母乳を父親に与えることで彼を救おうとする娘のペローを扱った教訓話の「ローマの慈愛」の話などの絵画は存在し、多くの女性の侵攻の対象になっているはずである。
さて、その様に「乳房」というのは、「子育ての象徴」や「命の象徴」として存在しており、その内容がしっかりとみられているということになるのではないか。実際に乳房を触る人などは、基本的にはそのような目的の人も少なくなく、また単純に「幸せになる」とだけ言っているので、そのような子宝などの意味も含めて幸福論を持っている人は少なくないのではないか。
性的なことが全て「女性を侮辱している」「コンプライアンス的に違反している」などと考える方がおかしなわけであり、実際にはそれらの内容を考えて神に縋っている人は少なくない。もちろん、この像が神をかたどっているということはないかもしれないが、しかし、「溺れる者は藁をもつかむ」ではないが、本当に困ってる人はそのようなことを考えてしまうのではないか。要するに「触ることができないようにする」ということは、そのような本当にし幸せをつかみたいと神にすがる人を排除することになるわけであり、健常者や強者が病弱な人や不幸な人、弱者を排除するという別な差別を生み出すことになっているのである。
性的なシンボルに対して「象徴性」というものがあり、その象徴性を考えて神とするということは少なくない。もちろんイスラム教の人々に関して言えばこのような考え方は偶像の崇拝のなるので、宗教的に禁止するという形になるのかもしれないが、しかし、今回の内容はイスラム教を主教とする国ではない。要するにおおさわぎしている女子大生たちは自分たちの権利ばかりで、そのような広がった視点が欠如しているのでありまた、女性の像の胸の部分が変色していることで、「性的な目的」としか考えることができない、困った人々の考え方や神に縋る人の立場を考えない、料簡の狭い人ということが言えるし、権利意識ばかりで伝統や文化、などを全く考えない人たちであるということなのであろう。ある意味で、女性の胸というだけで「変態」と考えてしまうような「変態」なのかもしれないと考えてしまう人も少なくないのだろう。
もちろん、変態的に胸だけを触る男性がいないとも考えないが、本当の弱者、神に縋りたい人をどのようにするのか。そのことが全く見えていない「フェミニスト」の横暴は、同じ困っている「弱者女性を排除する」ということにつながるのである。
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