「宇田川源流」【日本報道検証】 ライブ配信の危険性と人間のコミュニケーション
「宇田川源流」【日本報道検証】 ライブ配信の危険性と人間のコミュニケーション
毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたします。
さて、今回は、ライブ配信者が配信中に東京新宿区高田の馬場駅周辺で刺殺された事件や、千葉県知事選挙の選挙期間中に財務省の前で演説をしていたNHKから国民を守る党の立花孝志候補者が襲撃された事件などから、ライブ配信の危険性が言われています。そこで「ライブ配信の危険性と人間のコミュニケーション」と題して、仮想空間とその内容に関してみてみたいと思います。
今回の事件は、基本的に「いただき女子」の詐欺事件と、そのことで借金を重ね追い詰められた40代男性が恨みの上で刺殺したという事件になる。事件の根底に「ネットでのコミュニケーション」ということがありそこに「現実の金銭問題」があり、そのうえで、ネット上での生配信での場所の特定ということが出てくるということではないか。この内容を順番に見てゆこうと思う。
そもそも、SNS等で私が以前に驚いたのは、何かを依頼するということに対して「SNSで友人だから」というようなことをいう人がいる。ネット上の有名人がいて、その人と「お友達」というように申請してつながっている。しかし、当然にSNS上のつながりというのはそれ以上のものではなく、リアルに友人関係をしているということではないのである。もちろん仕事を持ち込むなどはできないことではないのかもしれないが、しかし、そこまで深いつながりではない。しかし、SNSで友人になっている人の方は「親しい友人」であると錯覚してしまうという状態が私の周辺でもあるのである。
ある意味で、テレビでアナウンサーや芸能人が出ていて、視聴者が「毎日見ているから親しみを感じる」ということが、リアルの人間関係と混同してしまうということになっているのではないか。
この内容は「仮想空間」と「現実」の区別がつかなくなっている人が少なくないということではないかという危惧を持つきっかけとなった。その内容が今回の事件の根底にあるのではないか。
<参考記事>
ライブ配信、スマホで広がり 場所・個人情報、特定の危険も
3/12(水) 8:05配信共同通信
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6532180
<以上参考記事>
実際に、配信者や多くの「著名人」はSNSや動画配信に関して「宣伝広告」や「番組」の一つでしかないと考えている場合が多い。収入の柱であるとしても、それは、間違いなく「収入の手段としての番組出演」でしかないので、どれだけ映える動画を作っても、その動画を見ている人一人一人との間は「出演者」と「ファン(視聴者)」の域を出ないのが通常である。しかし、SNSが「お友達申請」などとしてしまっていることや、またそのことで直接のコミュニケーションを持てることによって、リアルな友達とあkン違いしてしまう場合がある。
このように仮想空間と現実が区別がつかなくなる人が多いのは、ある意味で、「仮想空間でしか他者と交流がない(店での買い物など事務的なものは除き、人間づきあいとしての交流を指す)場合が多い」ということが影響してくることになる。いわゆるZ世代の特徴で「ネットネイティブ」という言葉があり、両親の共働き・一人っ子・ネット環境の整備等で自分のコミュニケーションの場がインターネット内特にSNSの中でのコミュニケーションが多いということがあり、リアルの世界からの忌避感も含めて仮想空間の中でしか自分を発揮できないというようなことを考える人が少なくなくなってきている。
この「現実からの忌避感」は、何もZ世代の人々ばかりではなく、当然に大人などの間にもその内容が出てくることになる。今回の40代の犯人もそのような状態にあった可能性もある。
さて、今回の事件は、上記のほかにいくつかの論点がある。
一つは女性側が、ネットを利用して金を借り全く返さなかったということになる。そのうえ返還の裁判をして敗訴していながら全く返金する意思も感じられなかったという。この内容からすれば、一つは、「ネットを使った疑似恋愛での課金」ということに関しての是非ということが挙げられる。そしてもう一つは、この内容はあまり報道されていないが、民事裁判の勝訴があまり意味がなくなってしまったということになるのである。
別な観点で、これが最も言われていることだが、ネット上で何を配信するかということである。配信音画像などで個人や場所を特定されてしまい、犯罪を誘発するということである。日本人は、「配信する」ということは、「世界全体にその内容が放送されている」ということが全く理解していない。どうせ見ないとか、自分の配信が世界で見られているということなどは全く関係ない事と思っている部分がある。しかし、良い方では「PPAP」がアメリカで大流行するように、何が見られているか全くわからない状態なのである。
そのように考えれば、「現代的な事件」であるといえる。
「新たな技術ができると、犯罪が3つ生まれる」、というのは、法律の格言がある。もちろんそのことが今回の「殺人」を肯定することができないが、しかし、その犯罪に対してあまりにも不用心が過ぎたのではないか。
この「現実からの忌避」ということを含めて、これ等に関しては別の機会に様々な機械で上げてゆきたいが、その内容は現代の内容としてしっかりと考えなければならないものではないか。
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