「宇田川源流」【日本万歳!】 震災復興から漁業再生に!
「宇田川源流」【日本万歳!】 震災復興から漁業再生に!
毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本のすばらしさや、日本が世界から称賛されえる内容をご紹介し、その内容を細かく分析し、その中においてその素晴らしさが何に由来しているのかということを皆さんにお話をするということをしている。そのことによって、本件の内容において、日本人の国民性や日本人の生活習慣で世界が称賛する内容をしっかりとご紹介しようということになる。
さて、今回は日本の人の心を見てみたい。日本人の中には「困ったときはお互い様」というような感覚が常に存在している。そのことが「日本人の性善説的な行動」につながるのである。相手に対してて悪意がないということが、大前提の中あるので、その行動は、そのまま日本人の「やさしさ」や「善意」ということにつながるのではないだろうか。
日本人のすばらしさは、自分の生活が困らない限りにおいて、いや「ギリギリ」のところで我慢することをしながら、相手を助けるということになる。実際に「この人々(困っている人々)も、自分が悪いわけではないのに、このように困っている。だから自分も少し我慢して相手を助けてあげようではないか。次に自分が困った時に誰が助けてくれるかわからないし、前に自分が困ったときは助けてくれたではないか。」というような感覚になる。他の国チャリティなどは、「完全な余剰資金」で行うということになる。要するに自分が相手を助けることによって、自分が生活を制限したり、何かを我慢するというようなことは全くしない。その様なことであるから、他の国の場合は、金持ちが自分の余剰資金の中からチャリティを行うということになる。しかし、日本の場合は普通に生活している隣の人や、どこかの人々が、皆で少しずつ自分の生活を我慢して、そのうえで、相手を助けるという仕組みになっているのである。
そして、その様なことができるのは、そのようにしてぎりぎりの生活をしていたとしても、そのような制限された生活が続くのは、そんなに長い期間でないことを知っている。それは、基本的には「日本はそのままにあっても、豊かに暮らすことのできる状態の国である」という事であろう。
その意味では全く他の国とは異なるし、また、その様な前提から、日本人のすばらしさは出てくるのである。
<参考記事>
「宮古の海の未来を守りたい」 震災復興から漁業再生に挑む若き社長の物語
3/8(土) 10:01
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/31b6adb3ce03d02f76f400bdf31727cb37a934d
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<以上参考記事>
今年の3月11日で東日本大震災から14年になる。東日本大震災と言えば、青森県から千葉県までの太平洋側がすべて津波の被害に遭うというようなことになっているのではないか。現在でも行方不明者が2000名を超える状態で残っている。
東日本大震災は、阪神大震災とは異なり、地震そのものの被害というよりは大規模な津波の被害ということが言われている。自身の場合と、津波の場合は様々なことが異なってくる。一つは、避難場所だ。自身の場合は物が落ちてこない場所などに避難をすることになるが、津波の場合は高い場所に避難しなければならない。また、津波の場合は水がついた場所は者が腐りやすいし、湿気が多くなる。これも心材とは異なる部分だ。そして海と沿岸部や平野部が大きく被害が来るので、復興が時間がかかる。復興で海を使った輸送が難しいということも一つの特徴だ。
実際に東日本大震災の後は、福島の原子力発電所周辺は別にしても、海は、多くの者が流され、またカキなどの養殖場は陸から流されたもので荒らされてしまい、収穫ができない状態になってしまっている。もちろん、様々なものが流されてしまったことから、漁場も荒らされてしまっているし、湾内にも様々なゴミやがれきが入ってしまって、船がうまく出すことができない状態になっていた。
日本の漁業や農業は高齢化が進み、このまま無くなってしまうのではないかというような危機感があった。震災後、いくつかの漁業協同組合では様々なことが話し合われ、中には、漁業協同組合を解散しなければならない状態にまでなっていたのである。ある意味で農業は、人間が手を入れることができるが、漁業は海が自然治癒力で戻るまで元に戻らないところが大きい。
そのような中で、岩手県宮古市の漁業は若者が支えている。いや、宮古市だけではなく私が知っているところでは気仙沼や南相馬でも20代の若者が漁業に戻ってきて支えているということである。また海を中心にした生活が、また震災から14年たって戻ってきている。
もちろん、今急に戻ったわけではなく、震災の直後から何とか地元を復活させるにはどうしたらよいのかということを多くの人が考えそして「郷土愛」ということが多くに人を動かしていたのである。そのような「匈奴を愛する心」「地元を何とか支えようとする覚悟」が、多くの人を動かし、そして国を動かしてゆくのではないか。
震災から14年という月日がたった。まだ、傷がいえない人もいるが、同時に、確実に復興が進んでいる。当時の民主党政権がめちゃくちゃな政治を行い、発展が妨げられた部分が少なくないのであるが、それでも何とかしようと考えている人が多いのではないか。
今三陸の街に行けば、堤防と沿岸部は何もない空き地が広がっている光景が多く、海とともに生きるというような感覚が失われたように見えている。しかし、海に目を転じれば、14年前のあの人は異なり、多くの恵みをくれ、そして人の思いを受け止めてくれているのではないか。
日本は、言うまでもなく海に囲まれた国である。そしてその海を利用し、海とともに生きる。荒ぶる神々が現れた時には、一時逃げて、また、海とともに誠克を再建するということを、日本人は繰り返してきた。その古来からの日本人の知恵を今から生かすときが来たのではないか。
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