「宇田川源流」【土曜日のエロ】 性器をタブー視しながら性教育を行う矛盾
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 性器をタブー視しながら性教育を行う矛盾
今週も土曜日のエロの日になった。この今週の土曜日のエロの前に、まずは今週何が起きたのか簡単に見てみよう。
既に、ブログの方でも見てみたとおりに、フジテレビの社長と会長が辞任し、「ギネスブックの記録でも狙っているのではないか」というような感じの10時間を超える。記者会見が行われた。まあ、取り上げるほどの事ではないがここでは「何故10時間を超えるのか」ということを見てみたい。
正直な話、多分昔であれば、このような時間のかかる記者会見などはなかった。しかし、今の時代特有の事情で記者会見が長くなるという事情がある。本来記者会見に関して、改革が必要なのではないかという気がするのである。
さて、今回の記者会見の要旨などというのはそんなに難しい話ではない。また記者会見に参加する前に、各マスコミはだいたいその内容を知っていたに違いない。その内容は下記のようなものである。
・ 社長と会長の辞任と、新社長の紹介。
・ 詳細の内容は第三者委員会が結論を出してから決める。
・ 今のところ社員が中居正広さん事件に関与したということはない。
・ 影響力のある日枝久氏(相談役)は、基本的には関係ない。
というような内容であろうか。まあ、まとめればこんなものである。たったこれだけのことを聞くのに10時間以上かかるというのが今のマスコミの実態である。単純に、「能力がないな」というだけの事である。もちろん、「日枝氏」「社員の関与」ということを隠しているというのは何となく感じるが、しかし、第三者委員会が結論を出さなければ答えないといっているのであるから、何を言っても話が出るはずがない。都合が悪くなれば第三者委員会ということで切り抜ける。そこを崩せるだけの「証拠」や「事前の取材」が出来ていないということである。
政治の取材でも同じであるが、我々の時代は「秘書」や「関係者」などに先に取材をして、そのうえで、記者会見に臨んだものだ。しかし、今は、上州クレーマーが「社長を出せ」と言っているのと同じで、事前の取材も何も行わずに、不勉強のまま記者会見にマスコミが望んでいる。そのうえで、動画配信などのネット記者が多く「自分が過激に追及しているという動画を配信するために、目立つために同じ質問を繰り返す」ということになってしまい、取材そのものの目的ではなく、自分が目立つための喜捨質問になってしまうのであるから、始末に負えない。そのような記者会見であれば長くなってしまうのは当然の事であろう。まあ、この辺はもう一度どこかで繰り返しになてもしっかりと見てゆかなければならないのではないか。
さて「事前の勉強がない」というのは、日本の性教育も同じことである。
<参考記事>
なぜ女性器は「こんなにタブー視されるのか」。ある性教育パペットが作られた理由
1/15(水) ハフポスト日本版
https://news.yahoo.co.jp/articles/328c9b9ff3cbba9583df29bbdf325ce0a685edfd
<以上参考記事>
現代、青少年に対する「性教育」ということが話題になっている。もちろん興味本位ということではなく、まともに「性の知識を得る」ということが必要になる。私たちの時代は、小学生の高学年になると「やっていたらしい」のであるが、女性だけが集められて行っていたので、当然に私などは参加していない。私がまともな性教育を教育機関から受けたのは、中学1年の時に「保健体育」の授業で男性と女性の構造を聞いたのであるが、もちろん、そのような話でわかるはずがない。後は、基本的には私の場合は男子校であったので、基本的には興味本位の男性同士の話題や、当時はまだインターネットなどがないので、そのような写真集(当時は、青少年が誤って買ったり、立ち読みで見られないようにビニールで覆われていたことから「ビニール本」と言われていた)やビデオで教育を受けたものである。まあ、興味本位のモノを教育といってよいかどうかはわからないが、少なくとも「知識」は得ることができた。
なお、その時にも日本の場合は、今回の参考記事にあるような「女性器」「男性器」に関しては映すことは犯罪を構成してしまうので、基本的にはそのような写真集やビデオは、性器は男性器も女性器も「モザイク」で隠されている。そのモザイクにも、様々な種類があるのだがまあいずれにせよその全容を見ることはできない。もちろん、海外などで販売されている「無修正」という写真集などが出てきたときは、皆でよく見ていた。また、私が中学か高校時代に、宮沢りえさんがヌード写真集(たしかサンタフェという名前であった)を発売し、その時に「下の毛」が移っているのではないかというようなことがあって、様々なことが言われていたのである。
私の学生時代は、それ以外は「美術書」で裸婦のデッサンの内容などを見て皆で喜んでいたくらいであろうか。
まあ、その様に「参考記事」どころか、「毛」もダメというように言われていた時代である。それでも、我々の時代は野坂昭如氏の四畳半の襖事件のような時代に比べれば、はるかに緩やかになった。しかし、今は動画などが気軽にインターネットやスマホで見ることができるので、かなり「エロ」が氾濫している状態であるが、それでも、やはり性器をもろに移すことはほとんどない。男性は、自分の男性のモノを見ることはできるが、女性の性器を見ることは基本的にはないということになるのではないか。
さて、その状態で「性教育をする」というのであるから、なかなか大変である。特に女性の場合は、男性のように「突起状」になっているわけではないので、自分で自分の性器を見ることも難しく(以前AV女優に聞いたところ鏡を使って見るそうだ)ほとんど性器の形などを知らない人も少なくないのではないか。
その状態で「性教育」を行うなどということもなかなかおかしな話である。理論上わかっていても、実際の現物を「自分で持っていても見たことがない」ということになるのであるから、なかなか大変なことなのである。
一つは犯罪を構成し、それおが扇情的になるということでタブー視されている。ある意味で「異性が理性を保つことができなくなる」ということになるのではないか。イスラム教の場合は女性が髪の毛や身体のラインを見せることがタブー視されており、厳しい所では、肌を見せることもできないということになる。そのように考えれば、日本の場合はまだ緩やかなのかもしれないが、それでも性器はタブー視される。
日本の場合はもう一つ、女性器は「黄泉の国」と繋がる場所と考えられている。無から有を産むということは、神の業であるとされており、女性の体は、子供が生まれてくるということからある意味で畏怖の対象となっている。神と同じで、「その実物を特定の人以外は見てはならない」というようになっている。神社のご神体の場合は、宮司や斎宮、そして女性の性器の場合は夫となる男性以外は見てはまらないというようになっているのである。そのような意味合いで、「女性の性器」は特に男性性器よりもタブー視されているのである。しかしタブーであるからと言って知らないで済むものではない。
教育はタブーをなしに行われなければならないが、同時に、「しっかりと敬意をもって教育を行う」必要があるのではないか。日本人はタブー視してしまうと、見なくなってしまうが、逆にタブー視するからこそ、知らなければならないのではないか。
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