「宇田川源流」【土曜日のエロ】 吉原遊郭の歴史
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 吉原遊郭の歴史
今週も土曜日のエロの日になった。今週は、それでもさすがに様々なことを書きたいので、土曜日のエロより先に今週の出来事に関して今週の出来事を見てみよう。
今週は大きな内容は二つ。一つはトランプ大統領の就任であろう。もちろんこの就任に関しては、既に日程も決まっていたし、予定通りに行われたのに過ぎない。昨年の11月の選挙結果を見ていれば、当然にこの就任式があることは見えていたはずである。またトランプ大統領の一回目の政権から「発言したことはやる」ということであるから、当然に、カナダやメキシコへの関税など様々なことが出てくることになる。逆に言えば、「トランプが大統領になっても、こんなことはしないだろう」などというような見通しをしていることそのものがおかしいという話なのである。そのことが見えていない日本のマスコミの甘さや、評論家や解説者(テレビなどでは専門家と言っているようであるが)の取材の薄さや、アメリカを見る目の「不正確さ」が見えてきているのではないか。
さてトランプ大統領の事は、間違いなく他でも書くことになるのであるから、ここではこの辺にしておく。
日本の国内の内容では、やはり中居正広さんの芸能界引退とフジテレビの記者会見での「失敗」であろうか。この内容は「土曜日のエロ」でももう一度見直してみてもよいのかもしれえないが、しかし、それよりも「危機管理の問題」として見てみないといけないのではないか。ちなみに、若い人は知らないかもしれないが、謝罪会見で失敗し、かえって評判が落ちた企業として、我々の年代で記憶に残っているのは、「船場吉兆」の「ささやき女将」ではないか。まあ今回のフジテレビでは港社長の横でささやくような人はいなかったが、その代わり「自分は信じている」とか「後で検討して」などということを繰り返し、そのことによって、評判を下げた。少なくとも「エロい事件」に関して「公共の電波を扱うテレビ局が自覚が全く足りない」ということになる。普段政治家などを追求するときと、自分が謝罪会見をするときの違いというのは、ここまでひどいものなのかということになる。
さて、この中居正広さんとフジテレビに関しても、やはりこれだけではなく「危機管理」という観点でもう一度やっておく必要があるのかもしれない。
<参考記事>
大河『べらぼう』の全裸遺体となった下級遊女よりもひどい仕打ち…現代の吉原の嬢が受ける「梅毒をうつしに来る客」「重度の歯周病の客」のオンパレード
2025年1月12日 18時0分 集英社オンライン
https://news.livedoor.com/article/detail/27931656/
<以上参考記事>
吉原といえば、男性が遊ぶところとして有名である。しかし、「遊ぶ」ということで「性行為」ばかりではない。もちろん、「性行為」も「遊び」の中の一つであるが、現在もあるように「ゲイシャ遊び」というものが存在する。当然に、現在の(今は少なくなったが昭和のといったほうが良いかもしれない)銀座のホステスではないが、社会の世相から経済、政治等からちょっと気の利いた話や世相の話、現在の新聞でいうような社会面等の話も、様々な話題が豊富になっていた。そのうえで、踊り、歌(小唄)、和歌、俳句、それも狂歌川柳なども含めたもの、そして、三味線や笛などの内容まで、「相手に合わせて何でもできる」ということが重要なのである。
そのような意味でいえば、現在のキャバ嬢の方が、「即物的」であり、性行為というか「性(性的な興奮を喚起させる容姿を含む)を売り物にしている」という部分があったのかもしれない。明治から昭和にかけては「花魁(遊女のトップ)をもらい受ければ、商売はうまくゆく」というように言われていた。当然に、客あしらいもうまければ相手を飽きさせないトーク能力もある。そのような人が「女将さん」として店やビジネスの営業を行えば、確かに何の問題もないということになるのではないか。
しかし、逆に、そのようなことであるから「それらのことができなければ、お払い箱」なのである。働けない、だけではなく、能力がない、病気など様々な部分でそれらが発揮される。
要するに「吉原の女性は、完全な実力主義」であり、「階級社会」である。そして誰も助けてくれないという社会がそこにあるということになる。ある意味で「肉体を含めた実力社会」ということが吉原の遊女たちに中では出てきているということになるのではないだろうか。その意味で「良い女」というのが、出てくる。
現在の様に「身体だけ」「顔だけ」というような内容ではなく、総合評価での実力主義であり、なおかつそれは「人気」と「売り上げ(金)」で決まってくるということになるのである。そして、「階級が低いモノ」には残酷な状態である。同時に、その様に何もできないということになるのであるから、「どんな相手にも身体を売る」し「病気の相手でも、拒否することができない」ということになる。
しかし、現代の世の中はどうであろうか。これを「性産業」というように見ているから人権が…というような話になるが、そもそも性産業は「好き嫌い」とか「相性」というような論理性のないところに商売の根源が依存しているのであり、なおかつ、完全な客優位の社会である。同時に、ある意味で現在の中国や共産主義者と同じような「唯物主義的な人間評価」ということになる。それが、最も残酷性を表しているのである。「人身売買」というような話ではなく「感情を根源にした唯物主義的拝金主義」が最大の問題になる。
そこの商売の対象が「性」であるということになるのである。
まあ、そのような論理性をもって吉原を見る人がいないが、しかし、売春は一説では世界最古の商売であるというのであり、日本でも古くから商売になっている。それは「情を金で買う」ということになるのであるから、その様になるのは当然なのかもしれない。
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