「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】最終回 道長と鳥かごと「嵐」という武士の時代へ

「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】最終回 道長と鳥かごと「嵐」という武士の時代へ

 毎週水曜日は、大河ドラマ「光る君へ」について、本当に好き勝手欠かせていただき、はや最終回になってしまった。今年は、48回全ての会を子も「勝手なつぶやき」ができて非常に良かった。関係者の皆さんに怒られることもなく、まあ、不快な思いをしているかもしれないが、それでも感想できたのはなかなか良い感じである。

さて最終回では藤原道長(柄本佑さん)の死が中心になる。特に道長は、晩年自分の子供が死ぬという不幸に見舞われ、それによってかなり精神的に参っていたと思う。実際に頼道(渡邊圭祐さん)が頼りないということもあったのではないか。そのようなストレスが道長の寿命を続けたのではないか。

その道長の横において、まひろ(吉高由里子さん)と正妻源倫子(黒木華さん)の、全ての関係を知っている二人の様々な駆け引きが行われている。倫子は、道長を何とか長生きさせたく、そして自分のものにしておきたいと思っていたが、しかし、それはまひろを遠ざけるのかまたはまひろへの気持ちで道長に生きる気力を与えるのかという苦渋の選択を迫られるということになるのではないか。

この女性同士の駆け引きに関しては、大石静さんの真骨頂を見させていただいた感じだ。間違いなく、奥の深い女性の気持ちをうまくのせてかけるのは、大石さんしかいないのではないか。同時に「セリフ」だけではなく「様々な情景で気持ちを表現する」ということが非常によくできているということになる。今回はまひろがもらった扇子、そしてまひろが道長に語る物語が、その大きなカギになっていたことがよくわかるのではないか。

まひろに頭を下げる源倫子の気持ちはいかばかりか。そして源明子(瀧内公美さん)、藤原隆家(竜星涼さん)、一緒の日に亡くなってしまう藤原行成(渡辺大知さん)など、様々な人間模様が描かれ、その人間模様が今まで描かれていたエピソードと結びつくというようなドラマの伏線回収の方法は、さすがであるという感じである。

<参考記事>

「光る君へ」道長の命をつなぐ“魂の物語”にネット感涙 「平安の千夜一夜物語」「神シナリオ」反響続々

[ 2024年12月15日 21:33 ] スポニチアネックス

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/12/15/kiji/20241215s00041000347000c.html#goog_rewarded

<以上参考記事>

 さて、上段は道長の物語を書いてしまった。やはりこの主人公はまひろである。

まずは親子と思うのが、大弐三位と後に言われる藤原賢子(南沙良さん)であろう。「女光る君になる」ということを宣言し、そのまま様々な男と浮名を流す姿が描かれている。ある意味で、恋多き女であり、その賢子も「本当に愛した男と結ばれない」というような感じになってしまっているのではないか。親子というのは別人格であるはずだが、しかし、親と同じ路線を子供が進んでゆくというような物語が出てくるということがなかなか興味深いところであろう。それでも藤原道長と頼道の様に、道長の様にはいかないという感じと同じで、賢子に関してもまひろに似ているものの、まひろとはやはり異なってくるということが書かれている。

一方まひろといえば、まずは鳥かごであろう。子供の頃逃がしてしまった鳥かごが、いつまでもまひろの自宅にある。この鳥かごは、「自分の子供の頃の思い出」であり「三郎と自分の思い出」でもあり、また「母ちやは(国仲涼子さん)との思い出」というような感じではないか。この大河ドラマでいえば、物語の原点がこの鳥かごに消灯されており、その鳥かごを外すことで「まひろと道長の物語」の終わりを告げているということになる。セリフではなく「モノ」に象徴性を持たせて、その象徴性の中に様々なメッセージを込めるということが非常にうまく使われている。鳥かごというのは、ある意味で「とらわれた動物」であり「鳥が籠から逃げる」ということは「自由になる」という事でもあるし「新しい時代が来る」という事にもなる。同時に「今までの人々と別れる」ということにもつながる。この物語の序盤のまひろは、「鳥が逃げて悲しむ」という事であったが、最終回になると「自分が鳥の様に解き放たれる」ということになり、立場が逆転することで、様々なメッセージを受け取ることができたのではないか。

もう一つの象徴性が「道長の存在」である。最終回の冒頭で、まひろは源倫子に全てを打ち明ける。その中で「鳥の逃げた話」と同時に話したのが、「猿楽師直秀(毎熊克哉さん)の死」である。この直秀の死で、道長はまひろと駆け落ちしようとした。しかし、それを思いとどまらせ、庶民にも生きやすい政治をするようにということを伝えたのがまひろであった。そのまひろとの幼いころの約束を、道長は死ぬまで守り続けた。息子頼道に譲って太閤となった後も、ずっと平和な世の中を作ることを考えていたのである。幼いころの好きだった人との約束を守り続け、そして、その約束を守る姿を近くで見守り続けるという純粋な二人の気持ちが、この物語の中心にあったことが、非常に象深い。

このことは、大臣になりたいという藤原道綱(上地雄輔さん)が大臣になりたいということを言った時に「政とは何か」という質問をし、その答えに際して「大臣になれないということだ」と一刀両断した道長の姿勢に最終回も貫かれていた。そして、その二人の約束は妻の源倫子も知らない中で、二人で確認できている。命が尽きようとしている道長が、「この世は何も変わっていない」と嘆くと、まひろは「戦のない太平の世を守られました」「源氏の物語はあなたさまなしでは生まれませんでした」と告げた。これは、まひろから道長への最大限の賛辞でありなおかつ感謝の言葉ではなかったか。ある意味で、この二人の心がずっとむずばれていたということが、そして、まひろがこのように戦のない世の中と、そして、源氏の物語の事と二重の意味で感謝の意を表したことで、道長は穏やかに旅立てたのであろう。なにか自分の役割を終わったというような感じではなかったか。

死の床に伏している道長の様子を源倫子が身に行った時に、手が布団から出ていた。倫子は、その手がまひろを探した手であることを知って、最後に自分のところに戻ってきてほしいという願いから、布団の中に手を収める。このまひろと倫子の二人の社会的な立場も、このような形に象徴されていたのではないか。

そして、最後の場面、道長が死んで「嵐が来る」という一言で終わる。

要するに「太平の世は道長の死とともに終わる」ということを、まひろはわかっていたし物語はそのようにしていたのではないか。武士の様に武力を使うのではなく、政治だけで太平の世を作り出した。道長の偉大さと、そしてその道長を支えた物語を書いたまひろの献身を、最後にそれが崩れるという予兆で終わらせるということも、素晴らしいのではないか。

ちなみに、この時に起きた乱は平将門の叔父平良文の子孫に当たる平忠常が乱を起こし、朝廷は討伐軍を派遣するが3年にわたって鎮圧できなかったという「平忠常の乱」であり、その後徐々に武士の世の中に代わってゆくのである。逆に言えば、道長とまひろが、最後の太平の時代の象徴であったということを、歴史的には伝えて伊賀のではないか。

このように考えると、様々な伏線がありまた、モノへの象徴性があり、その中での「歴史」が使われている。そして柄本佑さんや吉高由里子さんの演技でそこがうまく表現されていたということになるのではないか。非常に素晴らしい物語であった。

さて来年は、蔦屋重三郎を主人公とした「べらぼう」である。また楽しみにして待つことにしよう。

宇田川源流

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