「宇田川源流」【日本万歳!】 フィンランドの高校生が感動する日本の小学校
「宇田川源流」【日本万歳!】 フィンランドの高校生が感動する日本の小学校
毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本人のすばらしさや、日本人を称賛している記事などを見つけ、その内容を皆さんに紹介し、そのうえで、皆さんの毎日の行動に、日本人としての誇りを持っていただくということを目的にして、記事の連載を行っている。
日本人のすばらしさというのはいったい何であろうかということを考えたことがあるだろうか。実際に、様々なところがあげられると思うであろう。「規律の正しさ」や「まじめさ」「勤勉さ」などから「やさしさ」なども挙げられる。もちろんこのようなことを書くと、「そうはない」という例を挙げて反論する人がいるが、逆に、わざわざ希少な例を挙げて反論しなければならないほど、そのような特性がしっかりと日本人の中に根付いているということになるのではないか。ここに書いたような中で「箸にも棒にも掛からぬ」というような特性を挙げているとすれば、そのような例を挙げるまでもなく、特性の中にはないというようなことになり、多くの人から反論が来るに違いないのであるが、そのようなことにはなっていないのである。
さて、そのような特性もあるが、あえて今回は「清潔さ」ということと「日本人の同じレベルである」というようなことを挙げてみたいと思う。
日本人のすばらしさの中に「清潔さ」を入れることは特にそうではないというように思う人も少なくないのかもしれない。しかし、本当に日本は海外のどの都市に比べても清潔であるという気がする。もちろん清潔であるということは「水がきれい」ということもあるし「きれい好き」という性質もあるのではないかという気がしないでもない。しかし、そのような特性が、同時に「同じような価値観を持っている日本人が多い」ということがあげられるのではないか。
では今回は、その「日本人共通の価値観」というものはどのようにして作られるのかということを、考えてみたい。日本人の「価値観」は、ある意味d絵多様性などと言いながらも、ほぼ同じ価値観になっている、そしてそれが伝統と日本の文化、そして、日本人が意識しないで持っている「常識」ということに規定されているということになるのではないか。
<参考記事>
「格好いい!」「カルチャーショック…」フィンランドの高校生が、日本の公立小学校に感動した理由
2024年12月12日 21時15分 All About
https://news.livedoor.com/article/detail/27750039/
<以上参考記事>
フィンランドのヘルシンキ芸術高校から来た高校生10人が、東京都内にあるごく普通の公立小学校を訪れた。彼らは日本のアニメや映画などのカルチャーに関心があり、普段は勉強の傍ら、「ジャパンクラブ」というクラブ活動を行っているという。
その高校生たちが、日本の小学校を見学しどのように感じるかということである。
記事の中にあるのは「掃除」と「学級会」である。
さて、急に話を変えるが、サイズアラビアは2005年くらいに、現在のムハンマド皇太子がキャスターとなって、「驚愕すべき日本」という番組を作って放映していた。皇太子がやっているからという意味ではなく、その「驚愕すべき日本」というのは、非常に人気番組でサウジアラビアに行くと、その番組の大ファンが多く、日本人を見ると自然に尊敬のまなざしで見れるというような感じであった。
しかし、その番組の内容は、私も見たが、今回と同じで「小学校の掃除当番」をやっていたのだ。その風景を見てサウジアラビアの皇太子が「大仰に」驚く。まあこれは番組であるからであると解説を受けた。「おお!何ということだ。日本では小学生が自分の使っている教室や机やいすを当番制で自分で掃除している。サウジアラビアでは掃除の専門の人がいて、その人に任せてしまうので、子供たちは自分で掃除をすることがない。大人になっても自分の使ったものを掃除するということを知らない人がでるのだ」というような解説をする。そのうえで、先生にインタビューをする。「おお!なんということだ。自分で掃除をすることによって、自分の使っている教室や机や勉強道具に愛着を感じ、大事にする。その伝統が後輩達に伝わり、モノを大事にすることを学ぶのだ。何ということだ。素晴らしい」というように流れるのである。このことが、学校でいえば「日直」や「整列や行進」「運動会の練習」「自転車置き場」「給食や給食当番」「下駄箱」など、様々な、というか日本人ではまったく気づかない部分まで、いや、気づかないのではなく当たり前すぎてそのようなことを外国の人に驚かれることが不思議という内容が放送されているのである。要するに「日本人のあたりまえ」は、「外国にとっては賞賛されるべき行動」であると言ことなのである。
その内容がサウジアラビアだから、というものではなく、フィンランドの高校生も同じように「日本のあたりまえが、フィンランドの高校生にとってもすごい、称賛されるべきこと」であったということがわかるのではないか。
特に、運動会の練習でソーラン節を練習している子供たちを見て「フィンランドにも伝統のおっどりはあるが、そんなものは教えてもくれないし若い人は知らない、踊る機会もない」というのはある意味で、「文化を大事にする」ということが、日本の教育の中にしっかりとできているということではないのか。
フィンランドの学校などは、「子供たちを自由にする」ということを重要視するという事であったが、逆に「自由すぎる」ということが言われているということである。日本でもよくあるが、「効果得るべき」が振り切れてて帰って害悪になってしまうということがある。まさにその状態になっている。日本の様に「みんなで伝統に触れる」というのは「伝統を強制している」というのではなく「やってみて、体験してみる」ということである。大権もしない間に辞めてしまい自由というのは、子供たちの知る狭い世界での選択肢を強要することであり、子供たちに本当の自由、つまり、多くの選択肢を知った上で、その選択肢を選ぶという自由を与えることにはならない。日本はそのような「選択肢を与える中で、しっかりと伝統と文化そして、集団行動などを学ぶ」ということになる。それが日本の秩序につながっているのである。
外交の人が来ることによって、改めてそのようなことを学ぶことができる。このような交流は、日本にとってもよいことなのではないか。
0コメント