「宇田川源流」【日本万歳!】 日本の伝統的酒造りが文化遺産に!
「宇田川源流」【日本万歳!】 日本の伝統的酒造りが文化遺産に!
毎週月曜日は、「日本万歳!」をお届けしている。日本の素晴らしいことは世界で称賛されていることを、ここに紹介し、実は日本というのは本当に素晴らしい国であるということを、皆さんに認識していただくということが最も重要な、この連載の目的である。実際に、日本において「インバウンド需要」なるものが存在しているが、そのインバウンド需要というのは、外国人が日本に来なければならない。その外国人も「危険で不潔な国」に来るはずがないのである、楽しくて快適な場所に観光に来る。特にそれで癒しが得られれば、外国人であっても喜ぶはずであろう。そのような意味で、日本は「観光客が多く来る」というのは、楽しく、快適で、なおかつ癒しを得られるからである、そのうえ、日本文化に触れて新たな刺激を得ることができるということが、多分日本観光が人気であるということの中心的な理由ではないか。
余暇に、観光に行くのに、不快な場所に行くということはあまり考えられない。そういえば、昔はシルクロードブーム(どのくらい昔だろうか)や、三国志ブームなどで、中国本土の観光ということがテレビで言われていた李、あるいは香港やマカオの旅番組が少なくなかったような気がするが、最近では完全にそれらは鳴りを潜めて、韓国と台湾、そしてシンガポールくらいの番組が増えているのではないか。テレビの旅番組は、本物の観光の情報なのか、あるいはスポンサーから資金が出るからそちらに向かっているのかよくわからない部分があるが、そのような事情があってもそれらの番組がなくなっているということは、なかなか興味深いところである。
さて、そのようなところで見るのは「その国の文化」ということになるのであるが、その文化に接する順序は「食事」「ファッション」「習慣」そして「精神性」の順ではないかと思う。食事というのは、基本的には「食べてみる」ということでできる。もちろん母国でも食べることはできる。しかし、例えば日本のカレーライスや陳健民の麻婆豆腐のように、「現地のものとは異なる内容」になっており、その場で売れるものまたあ手に入る食材によってアレンジされる場合がある。そのような意味でいえば「現地で食べる」ということは意外に大事なのである。
<参考記事>
"伝統的酒造り"文化遺産登録
2024年12月05日 06時01分時事通信
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12145-3626215/
<以上参考記事>
日本酒というように言われる。「ワイン」「ブランデー」というように種別があるが、「日本」というように国(地域名)がしっかりとついているのは、多分スコッチウイスキーと日本酒くらいなものではないか。もちろん「薩摩焼酎」の様に焼酎だけで通じるのに産地をしっかりとブランド化してつけることも少なくないのであるが、しかし、そのような内容ではなく、一般名称として国名がついているということが、なんとなく意味があるような気がする。
日本酒に関しては、それだけ「日本の文化」ということに非常に密接にかかわりがあるといえる。
この項目には過去に何回も書いているが、実際に「日本」というよりは「神道」の儀式の中には絶対に必要なものであり、その内容がすべて「日本酒」なのである。日本は、古くから大和朝廷の支配があり、その朝廷は「稲作文化」を中心にして政治も経済もそして儀式も神事も行われている。その中で「酒」というのは「稲の神様」である「サ」の「食事」である「ケ」を表すもので、米を主原料として、そこの麹と水で発酵させて作る。昔の日本は、神々が米を蒸留した水を食べ物として食べていると信じており、神事をするときには、神と同じ食事をして、神の力を授かると信じていたのである。
当然に「神様の食べ物」を作っているのであるから、伝統的な酒造りには日本の文化や日本の神に対する考え方含まれているということになる。というよりは、酒造りそのものも、「神事」の一つとして日本の伝統と文化が含まれているということになるのではないか。
当然に、「自然」「気候」だけではなく、その湿度や風通しなどもすべてが酒造りに大きく影響することになる。当然に、日本と気候の似ているところで作れば似たような内容ができるが、しかし、「水」は日本と同じものができるものではない。単純に硬度などを合わせればよいというものではなく、その中に含まれているすべての者が様々に「日本」が含まれている。現在諸外国でも日本酒を造るというようなことが行われているようだが、しかし、やはり「日本の神々の中で作られる」ということが非常に重要なのではないか。
もちろん文化遺産の中には、そのような「日本の神々」という意識まで出てくるような話絵はない。しかし、その一つ一つの儀式や、または、その精神の中に「日本」が含まれている。
いや、実は「地域」が含まれているということになる。上記のように、日本酒の味は、当然に「水」と「麹」と「米」で決まる。そこに気候が大きく作用するということになるのである。その水は、昔は水道などがないので、井戸などから出てきたり、湧水が有ったりというようになるし、また、その米も、「地域の米」は水や土で味が決まってくる。そのような状況で、「酒」は地域性が非常に強く、また、その地域の「肴」は、その酒に合わせた味になっている、日本酒であるからと言って、全ての日本酒の味が同じというわけではなく、「地酒」というように、酒は、当然に、その地域地域で味が違う。
そこが、「神々」と結びつく。。
日本の場合、唯一絶対の神がいるわけではなく、森羅万象すべてに神が宿りまた、地域地域によって神がいる。神は、そこに「杜」としてその場にいて、そしてその鎮守をする。その神が、「水」や「米」や「麹」が出てくるので、神が変われば、味が変わるということになる。それが「地酒」なのである。科学的には水のミネラルとか、そういったことになるのであるが、儀式的には、神が変わるから味が変わって当然というような感じになるのである。そのことを許容できる、つまり「酒がその地域によって味が違うということ」が「地域地域によって神々が変わる」ということになるのである。
まさに、日本そのものが現れたのが日本酒ということになるのではないか。
できればそのような文化まで、文化遺産として語り継いでもらいたいものである。
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