「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 まひろ旅立ちの時
「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 まひろ旅立ちの時
毎週水曜日は、大河ドラマ「光る君へ」について様々な話をしている。関連のあることなども話をしているが、まあ、ほとんどは私の勝手な感想を書いているのに過ぎない。実際に、こんかいのどらまは非常によくできている。普通の民法のドラマが1クール13週で終わってしまうのに対して、48回の長期にわたり、様々な伏線を持たせながら、その内容をしっかりと書くというのであるから、なかなか面白い。特に「光る君へ」では、今までも様々な学説が言われているのであるが、その中の最も「つながりがよい」モノをストーリーに仕立て上げて話を構成しているのが興味深いところである。
さて、今回の内容はまひろ(吉高由里子さん)の旅立ち道長(柄本佑さん)の出家が大きなテーマになっている。
伏線ということでいえば、そもそも道長が一度父の暴政に嫌気がさし、まひろと駆け落ちをしようとしていたということを、直政の死などから思いとどまらせて、道長が「庶民のための良い政治」を心掛けるようになったのは、まひろとの約束ということが大きな内容であった。実際に「まひろとの約束」と「まひろとの関係」が、この大河ドラマの大きな流れになっており、その関係が夫婦というのではなく、ある意味で職場における最も信頼できる関係というような感覚から、そのほかの人々が彩を与えているというように考える。ある意味で道長が「民衆のための政治」というように考えている時に、自分の欲や、権力への魅力のために、または個人の贅沢のために政治をしている人々が、徐々に政争に敗れていったり、自滅をしてゆくというような物語になっている。その代表的な例が藤原伊周であり、一条天皇であり、そして三条天皇であった。
その道長も子供頼道(渡邊圭祐さん)の代になり、またまひろの方も賢子(南沙良さん)の代になって、そしてまひろと道長も、徐々に自分の隠してきたことを話したり、お互いの心が見えてっ来ているという状態ではないか。
ある意味で「最後まで二人がすれ違っている」という感じが、ある意味でこのような恋愛ドラマではたまらない展開なのであろう。実際に、男性と女性というのは「タイミングがずれる」ということがあり、それが民法などを含めてドラマになることは少なくなく、その内容を客観的に見ながら、自分のことと照らしてみている人は少なくないのではないか。
<参考記事>
「光る君へ」賢子は自分の子!道長“苦悶”罪悪感?知らなかった?ネット衝撃「悔恨」まひろ別離&爆弾告白
11/24(日) 20:46配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/58dde746d2d2ef12558095a81f1d96131feb549b
<以上参考記事>
正直なところ、史実的に紫式部が、太皇太后彰子(見上愛さん)のもとを去ってから、どの様な生涯を送り、どこで亡くなったのかということは全くわかっていない。というか、記録に残っていない。実際に、筆記用具がまだ高価であった時代に、一介の女房の生涯をしっかりと記録に残すようなことはないであろう。ましてや生前に九州に行ったかどうかなどということは全く見えていない。当然に、紫式部が史実的に道長の妻妾であったとか愛人であったという説や、賢子が道長の子であるというような説は昔から存在する。今回はその内容をしっかりと出しているところが非常に興味深し。
そしてその学説だけではなくそれが物語につながっているということになる。
「船に乗って行けと仰せになったではありませんの。これ以上、手に入らぬお方のそばにいる意味は、何なのでございましょう。私は十分やってまいりました。その見返りも、十分に頂きました。道長様には、感謝申し上げてもし切れないと思っております。されど、ここらで違う人生も歩んでみたくなったのでございます。私は去りますが、賢子がおります。賢子はあなた様の子でございます。賢子をよろしくお願いいたします」
このまひろの言葉は、道長にどのように刺さったのであろうか。多分、その落ち込み方はかなり大きかったのではないかと考える。その後道長は出家するとあり、その時に妻の源倫子(黒木華さん)は、「藤式部がいなくなったからですか」というように言っている。まひろがいなくなった時から、かなり落ち込んでいて、すべてにやる気がなくなったということをよくわかっている妻であったのであろうと。そして「お休みになるならば私のもとで」というように言っていることも、この倫子という妻のできた嫁であるということが見えている。
このドラマを見ていると、結局、伊周や一条天皇、三条天皇など、道長の政敵と道長との差は、「妻や周辺の人々の差」であったということがよくわかるのではないか。しかし、その中の最も大きな支えな、自分のことを支えてくれる女性であり、なおかつ自分の理解者であるというような感じではないか。
賢子が自分の子であるとわかった道長は、賢子が女房として出資する姿を見て、様々な感慨があったに違いない。その内容はすべてセリフではなく表情で表現されているのも、演出の妙であろう。
一方、あまり話題になっていないが、すべてを取り去ったまひろが旅に出て「晴れ晴れとした表情」をしているというところも非常に興味深い。当時、多分京都おから女性の脚で大宰府までは数十日かかったに違いない。江戸時代の様に街道が整備されていることもなかったし、また、宿屋なども整備されていない。多分寺院などに間借りして泊まり、歩いてゆくということになったのに違いないのであるが、その間「すべてを拭い去った」というような感覚の表情を見て、道長との差が明らかに出ているということになる。「女性の強さ」というのは、歴史に残っていない中でも、日本の中心的な内容として存在するのであろう。間違いなく、日本は「記録は男性」が残っているものの「実質的には女性が操っていた歴史」ということが言えるのかもしれない。
男性は女性との約束でよい日本を作るとという国づくりを命がけで行い、そして女性は自分の人生を男性に託し、そして自分の役割が終わったら、次の生きがいを探してその場を去ってゆく。もちろん去るという選択肢しかないわけではないが、女性が其れだけ強い世の中であったということではないか。今の「ジェンダー」を言うことを強く言う人々は、本来の日本のこのような在り方を見ていただければよいのではないか。
さて来週は刀伊の入寇である。久しぶりに藤原隆家(竜星涼さん)が出てくるし、歴史にはないがどうもその刀伊の入寇にまひろが巻き込まれるということの様である。最後にまた一波乱あるというのは楽しみである。
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