「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 とうとう不倫がばれた道長と祝いの席
「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 とうとう不倫がばれた道長と祝いの席
毎週水曜日は、大河ドラマ「光る君へ」について、本当に好き勝手欠かせていただいている。これだけ書いても、あまり誰からも苦情が来ていないので、まあ、非難しているわけでもないのではあるが、それほど問題になることは書いていないのであろう。
さて、今回は「中宮彰子(見上愛さん)の懐妊と出産」である。
出産された子は敦成となり、後の後一条天皇となる。
寛弘5年(1008年)初春、ついに彰子の懐妊が判明する。9月11日、三十時間以上におよぶ難産の末[25]、土御門殿にて一条天皇(塩野瑛久さん)の第二皇子・敦成親王(後一条天皇)を出産した。彰子の女房であった紫式部(まひろ:藤式部:吉高由里子さん)の手になる『紫式部日記』にはこの懐妊・出産の様子が詳細に綴られている。実父藤原道長(柄本佑さん)は大いに喜び、一条天皇もきっちりとした後見の元に皇子が生まれたことに安堵したらしい。
<参考記事>
「光る君へ」なぜ見せつけた?ネット震撼「完全にバレた」倫子“不信の退室”←道長&まひろ“あうんの歌”
9/22(日) 20:45配信スポニチアネックス
https://news.yahoo.co.jp/articles/e968ffa5e492e64760b2a7a87a1cf659ad582b45
<以上参考記事>
史実においても、紫式部日記に詳細が書かれているということは、当然に、その内容を書けるほど紫式部が、この時彰子の身近な存在になっていたということであり、その紫式部日記の内容は、今回のドラマの中で吉高由里子さんのナレーションの形で、映像とともに聞くことができている。魔除けのコメを撒いていたり、騒々しかったりという様子は、ほぼ日記をうまく映像化したという感じである。この辺りは変な脚色をせずに、うまくやっていたのではないか。
実際に、今の世の中もそうであるが、出産というのは、女性は大変であるが、男性は本当に役に立たない。祈祷をしたり魔除けをしたりという事、つまり出産と何か直接に関係のあることは全く何もできずに、結局は、ただぶらぶらして、心配したり喜んだりしかできない。ましてや、当時の社会的に地位のある左大臣藤原道長の孫であり、将来天皇の座が約束されている人の出産ということになれば、関係者だけではなく様々な人が動いていることになるのではないか。
一方、このドラマの面白いところは、常に「明暗」をうまく描き分けている。つまり、このことで、藤原伊周(三浦翔平さん)の立場は一層悪化する。そこに清少納言(ファーストサマーウイカさん)が現れ、藤式部を内心で対抗するというような感じになっている。ある意味で、亡くなった皇后定子(高畑充希さん)の事をずっと思い続けているということから、ある意味で、この二人は「道長を恨む怨霊」というような感じで書かれており、また、「定子を信奉する宗教」であるかのような感じに書かれている。
実際の史実であっても、伊周が、道長と彰子を恨んでいたことが事実であるようで、寛弘6年(1009年)正月末、彰子と敦成親王への呪詛が発覚する。呪詛を行ったとして捕縛されたのは円能という法師で、関係者に高階明順、高階光子、源方理の名前が出た。彼らは全て伊周の縁者であり、朝政に復帰していた伊周も大きな打撃を受ける。同年彰子は再び懐妊し、11月25日にすんなりと安産で第三皇子・敦良親王(後朱雀天皇)を出産。これにより道長の威信は大きく強まった。伊周は翌寛弘7年(1010年)正月に没する。
今回のドラマでは、これは伊周が呪詛したことと、それによって難産であったというような感じでうまく書かれていたのではないか。このような「呪詛のシーン」が次の場面の伏線になっているので、なかなか興味深い。
さて、そして祝いのシーンである。土御門殿で「五十日(いか)の儀」(子の誕生50日に行われる、お食い初めの祝い)が開かれ、道長は「無礼講ゆえ、皆々、心ゆくまで楽しんでくれ。いっくらでも酔ってくれ」。それぞれが酒や料理を味わう中、藤原公任(町田啓太さん)が「この辺に、若紫はおいでかな」などとまひろに絡んでいる姿を目にし、道長は「藤式部、何ぞ歌を詠め」と命じた。
道長氏似てみれば「若紫は、まひろである」というような感覚があったのではないか。
まひろ「いかにいかが 数えやるべき八千歳の あまり久しき 君が御代をば」
道長「流石であるな」
左衛門の内侍(菅野莉央さん)「用意してあったのよ」
道長「(まひろの横に座り)あしたずの よはひしあらば君が代の 千歳の数も数え 取りてむ」
2人の“あ・うんの和歌”。源倫子(黒木華さん)は首を傾げ、怪訝な表情。その場から立ち去る。道長も倫子を追った。
当時は、この「阿吽の呼吸」というのは、源倫子であっても、またほかの人でも「深い関係である」」ということが気づくような状態であったのであろう。もちろん、史実でもこれで彰子の女房の座を追われるわけではないので、来週はうまく取り繕うということになるのであろうが、しかし、不倫がばれるかどうかは視聴者が最もドキドキするところではないか。
ある意味で「もっとも気心の知れた幼馴染」ということが、道長にとってはうかつにも「二人の世界」にしてしまったということや、「若紫」というような感覚があったというようなことが推測される。一方、その内容に関して、周囲の人々は、それでなくても源氏物語で男女のスキャンダルが非常に好きであり、噂話を好んでいる状態で、このような「格好のネタ」があれば、飛びつくのに決まっている。そのように考えれば、二人は、急に現実に引き戻されることになる。
そのような「微妙な、そして時間によって次々と変わってゆく」二人の心の揺れ方が、まさに、その内容としておラマを彩ることになる。この二人の関係に関しては、実際に様々な文書に残っていないので、このドラマの「創作」というか、「史実から見た強い推測」という事であろう。その「強い推測によるフィクション」を中心に様々な人間関係が描かれているのは、非常に面白いのではないか。
0コメント