「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 道長の金峰山へ参詣と暗殺計画

「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 道長の金峰山へ参詣と暗殺計画


 毎週水曜日は、大河ドラマ「光る君へ」について、見た感想文を書いている。今回の「光る君へ」は、ある意味であまりドラマ化されない(もちろんかなり作品はあるが、戦国時代や幕末に比べて、大河ドラマになっている部分は少ない)。ある意味で時代劇というと「戦争(合戦)」と、それに伴う生死において、様々な人が様々な考えを残してゆくというような感覚があり、その中で、人間ドラマを作ってゆくというイメージがある。もちろん人が死ぬという場面は、現代ではあまりないので、そのような意味で「人の死」を扱うということに関して、どの様に考えてゆくのかということが、ドラマならではという感じで見えてくるのである。ある意味で日本人的な「散る美学」とか「死に関する美学」があり、その美学を書く方が、我々小説家は書きやすい。そのようなことで、そちらに引きずられている部分があるのではないか。

しかし、平安時代というと、戦争はあまりない。もちろん、平将門の乱のような事件もあるしまた、多分であるが「光る君へ」でも「刀伊の入寇」という戦争は存在するのだが、しかし、京都の周辺で、または主人公の周囲で戦争が興、身近な人が死ぬという場面はかかれないのである。その分、陰陽師による者や暗殺などが非常に強く書かれることになる。単なる病死でも呪いであるかのような書き方になるのであるしまた、「死」ではなく「生」つまり「御子を生む」ということを中心にした陰謀が中心に書かれている。

しかし、「陰謀」は当然に「見えない」者であるのだから、それをうまく視聴者に伝えるというのは、かなり脚本力が必要になる。また、様々な伏線を作って、それをリフレインのように繰り返さないと、なかなかその内容を視聴者が見ていてわかるというものではない。基本的に先週の放送の最後の部分は覚えていても、先々週の内容は覚えていないという前提で見てゆかなければならないので、それを思い出させながらドラマを進めてゆくという手法は、かなり難しい。

その「難しい」台本をうまく演じているというのが、今回の「光る君へ」の印象である。

<参考記事>

『光る君へ』伊周の企てを阻んだ隆家 竜星涼「兄貴を守ったような気がするんですよね」【君かたり】

2024-09-15 21:00ORICON NEWS

https://www.oricon.co.jp/news/2344781/full/

<以上参考記事>

 今回は、藤原道長(柄本佑さん)の金峰山へ参詣である。当時は、山深い吉野の中であるので、かなりの苦労であったと思われる。後に、例えば後醍醐天皇が京都から落ち延びて吉野で南朝を作ったり、その前に源義経が頼朝の追手から逃げたりというように、吉野は山が深く、また、道もあまりよくなく、大軍などで攻めて言ったりあるいは人がしっかりと行けるような所ではない。つまり「道もあまりしっかりとしていない田舎」であったという事であろう。そのような場所でありなおかつ山が深くて守るに易い場所であったことから、南朝ができたのであろう。その後醍醐天皇が南朝を作り、京都に対抗していた時代よりも300年前に、京都から参詣にゆくというのであるから「命がけ」であったことは間違いない。現代のように観光バスに乗っていればいつの間にか現地についている場所とは異なるのである。

当然に「命がけ」であるということは、「命を落としても不思議はない」ということであり、その場所で暗殺を企てても何の不思議もない。当然に藤原道長と対立している藤原伊周(三浦翔平さん)・隆家(竜星涼さん)兄弟が伊勢国を基盤とする武士の平致頼を抱き込んで、8月2日に平安京を出発して大和国の金峰山へ参詣中の道長に対して暗殺を実行しようとしているとの噂がにわかに浮上している。ドラマでは伊周がもっぱら企て、隆家はそれを止めに入ったことになる。

ここで思い出すのが、安倍清明(ユースケ・サンタマリアさん)が、「弟君(隆家)後にあなた様の役に立つ人になるでしょう」というように読縁していることである。このようなことを覚えている人は、今回の内容で、「隆家が伊周の暗殺を止めた」ということを、安倍清明が予言していたということになるのであろう。なお、先に挙げた「刀伊の入寇」を止めるのはこの藤原隆家ということに、少なくとも歴史上はなっている。

さて一方の京都では、中宮彰子(見上愛さん)の心が大きな問題になる。一条天皇(塩野瑛久さん)との間に子供ができるかどうかということになる。そして、彰子が寵愛を受けないのは、一つには死んだ皇后定子(高畑充希さん)の影を天王がいつまでも追っているということと、中宮彰子がなかなか心を開かないということの二つであろう。その「心を開く」というところで、藤式部(吉高由里子さん)が、「源氏物語」と共に大きな役割を果たす。

これも現代と異なるのは、「あまり娯楽がない」という平安時代、特に「女性の娯楽」があまりない時代、もちろん外で遊ぶなどは基本的にはないので、物語というのは非常に大きな娯楽になる。このように書くと「意外」に思うかもしれないが、現代であっても、週刊誌のゴシップを元に、男性も女性も井戸端会議や雑談で話題にしている光景はよく見る。当時は週刊誌のゴシップ記事はないので、噂話と物語がそれらのゴシップ記事の代わりになっているということになる。そのうえ、その物語は、読む人が「光源氏は誰なんだろう」というような、当時の人であれば共通の話題になるものである。完全にモデルが誰であるのかということが良くわかり、なおかつ、その内容を見て、多くの人が「こうなってほしい」というようなことになる。現在の「恋愛ドラマ(現在はムネキュンドラマとでもいうのであろうか)を見て、来週の予想をする」というような感じになっているのであろうか。その点では大石静さんは、その手の物語を作るプロであるから、その物語を読んでいる人々の描写もかなりうまくやっているし、その物語が社会現象になっているということをうまく書いているという事であろう。

ドラマというのは、現代の世の中を歴事情の人物の姿を狩りて描写しているものであり、そこにメッセージ性を作って見ているということになる。そのように考えた場合に、この物語の優れた部分は、現代の「恋愛ドラマを見て、さまざまな視聴者が心を動かし、そして人生を変えてゆく」ということを、天皇や中宮のレベルで書いているということが面白い。その面白さが、「昔の貴族の社会も、現在のお茶の間も同じ」という共通間を作り、そして、恋愛がうまくゆかない人々は、自分の身近な「藤式部」を探すということになるのかもしれない。

そのような「現代の光景をうまく観察し、それを時代を変えて描写した物語」が、今回のドラマの面白さである。フィクションでありながら、うまく現代につないでいるところが興味深い。

宇田川源流

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