「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 情熱の歌人和泉式部に感化された源氏物語
「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 情熱の歌人和泉式部に感化された源氏物語
毎週水曜日は、大河ドラマ「光る君へ」について、適当に自分の感想を書いている。一応歴史小説作家なので、もしも私が書くとすれば…ということを考えながら見るのは、なかなか面白い。ドラマというのは、私の場合、他の者でもそのようにしてみてしまうので、少し見方が異なるのかもしれない。
さて、今回は「源氏物語ができるまで」ということが描かれている。ある意味で「物語」というのが、なかなか出てこない部分があり、当時は日記が主流である。特に紙が貴重品であった時代であるから、そのような中で物語を書き記すということは、それなりの「地位」「役目」がなければならないという発想から「左大臣道長(柄本佑さん)が、皇后定子(高畑充希さん)を失い、枕草子で過去にばかり思いを更けている姿を見て、新たな一歩を踏み出し、中宮彰子(見上愛さん)に目を向けてもらえるように、物語を紫式部(吉高由里子さん)に作らせた」というストーリーにしたということになる。
さて、そのストーリーの話の前に、今回の重要な登場人物である和泉式部(あかね:泉里香さん)について、一応史実というか記録ではどうなっているのかを見てみよう。
記録上は、本名そして正確な生没年ともに不明となっており、和泉式部の「和泉」は夫橘道貞の任国に由来しているとされる。越前守・大江雅致と越中守・平保衡の娘の間の子とされ、長保元年(999年)頃までに和泉守・橘道貞の妻となって、娘の小式部内侍を生んでいる。しかし、道貞との婚姻は後に破綻し、冷泉天皇の第三皇子・為尊親王との熱愛が世に喧伝されるが、身分違いの恋であるとして親から勘当を受けた。為尊親王の死後、今度はその同母弟・敦道親王(帥宮)の求愛を受け、また、源雅通や治部卿(源俊賢か)ともうわさされている。寛弘年間の末(1008年 - 1011年頃)、一条天皇の中宮・藤原彰子に女房として出仕。長和2年(1013年)頃、主人・彰子の父・藤原道長の家司で武勇をもって知られた藤原保昌と再婚し夫の任国・丹後に下った。
和泉式部の和歌は「恋し」「恋す」などの恋愛における主体的な言葉を多く用いており、男性中心の言葉を自在に詠みこなす点が、突出した女流歌人の歌と評価されている。恋愛遍歴が多く、道長から「浮かれ女」と評された。また同僚女房であった紫式部には「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と批評されている。紫式部が評価するほど和歌には定評があり、殊に恋歌に情熱的な秀歌が多い。才能は同時代の大歌人・藤原公任にも賞賛され、赤染衛門と並び称されている。
今回、曽於のような「恋多き女」「素行の悪い浮かれ女」を泉里香さんが、NHKとは思えないほど艶っぽく演じているのは、、泉さんのセクシーな容姿や表情等から見ても、ある意味で当たり役ではないかという気がする。
【光る君へ】「セクシー」「歩く平安エロス」 あかねの色気に視聴者ドキドキ
俳優の吉高由里子が、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を生み出した主人公・紫式部(まひろ)を演じるNHKの大河ドラマ『光る君へ』(日曜午後8時)。第31回では、まひろが、あかね/和泉式部(泉里香)に『枕草子』について尋ねるシーンが描かれた。その時のあかねの様子にSNSでは「セクシー」「なまめかしい」という声であふれた。
(※以下、ドラマの内容に関する記述があります)
あかねは『枕草子』について「覚えてないわ。覚えてないけどあまりひかれなかった」と答えると「なまめかしさがないもの」と理由を説明した。さらに「『枕草子』は気が利いてはいるけれど人肌のぬくもりがないでしょ……だから胸に食い込んでこないのよ。巧みだなと思うだけで」と語った。
SNSでは「あかねがなまめかしい」「なまめかしさの塊」「あかねが艶っぽい」「色っぽい」「ドキドキする」「艶がすごい」「セクシー和泉式部」「歩く平安エロス」「なまめかしさの権化」という声であふれた。
8/19(月) 9:26配信ENCOUNT
https://news.yahoo.co.jp/articles/442d264b6a0ac32c6116c4933ab7927b12c3d6bd
さてさて、今回は、藤原道長が一条天皇に嫁がせた中宮彰子のために、昔恋仲であった、いや、もしかしたらこの時もまだお互いを好いているまひろに対して、頭を下げに行くという事であろう。劇中の下男のセリフにもあったが「左大臣が来るのか、この家すごい家だな」という言葉は、当時の人であれば、誰でもが思うであろう。現在でいえば、かなり年上の旦那と死別した母子家庭に、総理大臣がわざわざ頭を下げに来るという事であり、当時の身分制度を考えれば、それ以上の珍事であることは間違いがない。
しかし、その内容は、当時宮廷で流行し、なおかつ一条天皇が最もお気に入りの「枕草子」を超える本を作るということになったのである。これはまひろにとっては二つの課題がある。一つは「枕草子を分解解剖し、その弱点を探る」ということであり、もう一つは「その内容を超える」問いことである。道長は、四条邸における物語が評判であるということを使って頼むということにしたのであるが、それは四条邸の女房たちであるから許されることで、天皇に出すとなれば、簡単なものではない。
その「枕草子の弱点」を知らせてくれたのが、なんと和泉式部であるというストーリーだ。
あかねは『枕草子』について「覚えてないわ。覚えてないけどあまりひかれなかった」と答えると「なまめかしさがないもの」と理由を説明した。さらに「『枕草子』は気が利いてはいるけれど人肌のぬくもりがないでしょ……だから胸に食い込んでこないのよ。巧みだなと思うだけで」と語った。<上記より抜粋>
私の小説も、よく「エロスがない」といわれるが、まさに、「なまめかしさ」「人肌のぬくもり」というものがないと、胸に食い込んでこないというのは、まさに、なんとも耳の痛い言葉ではないか。確かにそうなのであるが、それは、しっかりとキャラクターがついていなければならないし、また、そのキャラクターを生かして、人間の醜い内面までも表に出さなければ、うまく書けるものではない。清少納言(ファーストサマーウイカさん)が「美しいところだけを切り取って」ということを言っていたが、まさに醜い部分をしっかりと書く物語ということが、まひろの善さなのであろう。
実際に源氏物語というのは、単に美しい恋愛だけではなく、捨てられた哀愁や、嫉妬、そして世の中をはかなむ心など、様々な「人間の醜い感情」が書かれており、また、その内容を、今回のk大河ドラマでは、まひろが悩みながら歩んできたということを読める。ようするに、今までのまひろの苦労がすべて伏線になって「源氏物語」ができているということがわかる・
まひろと道長の会話の中で「人間ですもの」という言葉の大きさが、ここで見えてくるのではないか。そして、平安の浮かれ女がそれを気付かせてくれた。そのことが、和泉式部も中宮彰子の女房に名を連ねることになる伏線になるということなのであろう。
なかなか、深く、そして人の内面を描いた面白い作品になっているところまで読み込んだ人は、少ないかもしれない。
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