「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 まひろ結婚とその前後の「京都の凶事」

「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 まひろ結婚とその前後の「京都の凶事」


 毎週水曜日は、歴史小説作家らしく、大河ドラマ「光る君へ」について、好き勝手に一ファンとして書かせてもらっている。

それにしても、今回の大河ドラマはなかなかな色気のある描写が多く、また男性と女性の関係や人の心の描写が巧みである。もちろん色気がある描写が多いので、私のような下種な男性にとっては「どんな撮影現場なのか」等、余計なことが気になってしまうのである。今回だけで一条天皇(塩野瑛久さん)と中宮定子(高畑充希さん)の閨の場面と、最後に藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)とまひろ(吉高由里子さん)の閨の場面が、非常に心の中を写すような形でしっかりと描写されていた。

天皇と中宮のシーンは一度敗れた二人の関係や、その空白の時間を取り戻すような感じであり、同時にそのことは、天皇が政治を見なくなってしまったということにつながり、国事が滞るという大事につながるストーリーにつながる。ある意味で、プライベートが忙しくなってしまい公の席に全く現れなくなって、徐々に社会からと凛起こされてしまうというようなことは、歴史上少なくない。「傾国の美女」という言葉があるが、中国であれば、虞美人や楊貴妃、古代エジプトであればクレオパトラなど、そのような女性は少なくない。その時に藤原道長(柄本佑さん)のような賢臣がいると、うまく世の中が回り始めるのであるが、そのような賢臣がいなくなると、とたんに国が滅びてしまうことになるのである。

一方、まひろと藤原宣孝の方は、お互いが「不実なものですが」と言ってからの行為になる。もちろんNHKなので肌を見せるようなものではないが、藤原宣孝の背中で動くまひろの指は、様々な意味合いがあるということになる。お互いに、他の異性が好きであり、藤原宣孝は、他にも妻や妾が多い。これに対して、まひろは、心の中に常にに藤原道長という存在があり、その存在を消すことができない、心の中から愛することのできない身でありながらの結婚ということになる。

まさに「傾国のカップル」と「不実のカップル」の二つの場面が、非常に印象的に描かれているのではないか。

『光る君へ』吉高由里子×佐々木蔵之介、ラブシーンにネット騒然「年の差を感じない」「大人の色気がすごい」

 俳優の吉高由里子が主演を務める、大河ドラマ『光る君へ』(毎週日曜 後8:00 NHK総合ほか)の第25回「決意」が、23日に放送された。

 主人公・紫式部/まひろは、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書きあげた女性。「光源氏」の恋愛ストーリーの原動力は秘めた情熱と想像力、そしてひとりの男性への想い。その男性の名は藤原道長。変わりゆく世を自らの才能と努力で生き抜いた女性の愛の物語だ。脚本は大石静氏が務める。

 第25回は、越前の紙の美しさに心躍らせるまひろ(吉高由里子)。その頃、まひろのもとには宣孝(佐々木蔵之介)から恋文がマメに届いていた。為時(岸谷五朗)からの勧めもあり、まひろは都に戻り身の振り方を考えることに。道長(柄本佑)は、定子(高畑充希)を愛しむあまり政が疎かになっている一条天皇(塩野瑛久)に頭を悩ませていた。そんな中、晴明(ユースケ・サンタマリア)の予言通り、次々と災害が起こる。そこで道長は…というストーリーだった。

 ラストは、夜にまひろのもとに宣孝が訪れるシーン。まひろが「私は不実な女でございますが、それでもよろしゅうございますか?」と問いかけると、宣孝は「わしも不実だ。あいこである」と返す。宣孝が力強く抱き寄せると、まひろは身を委ねて見つめ合い…というところで終了した。

 視聴者からは「遂に2人の…」「ラストでぶっこんできたw」「大人の色気がすごい」「道長様も捨てがたいけど、ものすごく絵になる2人」「年の差を感じない」「この2人は幸せになってほしい」などの声が寄せられている。

6/23(日)オリコン

https://news.yahoo.co.jp/articles/ba566ce81d0ef7626d03cb7f818b11ddc0dfa269

 さて、今回の内容で一つの山場は、藤原道長が左大臣を辞職すると言いに行く場面である。実際に「権記」等に、道長は三回辞表を提出し出家の意思も示していたというようなことが書かれているが、それは、鴨川の堤防が崩れたことではなく、自らの腰の病が理由であるとしている。もちろんドラマであるし、「権記」が正しいかどうかも不明なので、その辺のところはよいとするが、実際に、道長自身に「出家した中宮に御執心の一条天皇に見切りをつけた部分」はあったのは間違いがないであろう。そのうえで、中宮定子ではなく、自分の娘を一条天皇に輿入れさせてそのうえで、子供産ませるというようなことを行うようになる。

世の中では権力欲が強い藤原道長というようなことを言うが、私は、ドラマの解釈である「ある意味で庶民の見方で、権力に覚めていた藤原道長」という方が、なんとなくしっくりくる。実際に、道長にそれほどの権力欲があったというようなことは、ないと言えばうそになるが、そのために父兼家のように、自分の息子に人殺しをさせたり、汚れ役をさせるようなことはしなかったし、現に自分の兄である藤原道隆(上地雄輔さん)は、特に何か汚れ役をさせられているわけではない、そのように考えれば、藤原道長は、世の中の学者の考え方とは逆で、「権力にはたんぱくであった」と考える方が、人として普通なのではないか。そのうえで、「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば」という歌は、ある意味で自分の幸せと一族の繁栄が自分の思った以上であると思った歌ではないかという気がする。この「虧」という文字は「欠ける」という意味もあるのだが「~のおかげで」とか「幸いにも~だ」というような、自分の運命が多くの人のおかげまたは神のおかげでこうなったというような意味があり、自分の実力を誇る(または奢る)意味合いがあるものではない。小学校の歴史でこの歌を習うときは、当然に「藤原摂関政治の絶頂期」ということを言うが、実際に権力にある人は、その権力を奢るのではなく、その権力を謙虚に受け止める。おごりがあれば、平家物語のように「奢る兵士は久しからず」となるが、藤原氏は現在まで摂関家としてつながっていることを考えれば、決して「奢った」和歌ではないということになるのではないか。

また「権力欲に奢った人物ではない」といことから、妻女であり、今回のセリフである「潔癖なところのある」まひろが、離れていても恋焦がれる存在というようになるのではないか。そのような「歴史の解釈を変えるくらいの背景」までが、様々な描写で出てくる。そしてそれが伏線となって、次の展開に導くという面白さは、さすが言える。

宇田川源流

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