「宇田川源流」【日本万歳!】 常に最先端を発信し続ける秋葉原の指し示す先

「宇田川源流」【日本万歳!】 常に最先端を発信し続ける秋葉原の指し示す先


 毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。普段は日本の素晴らしいところや日本の他よりも優れているとされているところ、または日本が海外から称賛されているような記事を紹介し、その内容を検証して、その内容を見てみることにしている。

日本人が称賛されている中には、大谷翔平選手のように、世界的にも優れていて、とても我々一般人にはまねができるというものではないところもあるのではないかという気がする。実際に、日本人の中にもヒーローのようなものがいて、そしてその人が情人を超えた力を発揮しているということになる。大谷翔平選手や久保建英選手、大阪なおみ選手などもそうであるし、7月から始まるパリオリンピックではそのようなヒーローがたくさん出てくるのではないかと期待している。その人々は、日本人特有の「道」つまり「○○道」というようなストイックでなおかつ何か頂点を目指すように精神的にも人生の中でも修業を積むというような形になっているというのが日本のそれらの選手の特徴であろう。天賦の才能と、本人のストイックな努力と、それに日本人的な精神鍛錬とで、一つの結果を構成しているということになる。ある意味で「普段からの心がけ」ということがあり、それが大きな力になるということになるのではないか。

もう一つは、日本人の多くがある行動をとることによってその行動を使うということになるのではないか。これは、日本人の国民性や、日本人の考え方、神とか不敬と・不謹慎というような考え方がありまた集団の中で和を乱さないというような精神性があるということになる。サッカーのワールドカップなどで毎回話題になる「試合が終わった後の客席の掃除」は、毎回称賛されるものの、日本人以外の観客ではなかなか根付かないようである。日本新の選手も同様のことを行っているということで、そのような「波及効果」が出てくるということになっているのではないか。

そして、もう一つは、アニメや漫画などのソフト文化である。日本的なそれらの考え方や精神性、死生観がしっかりと出てきており、また無国籍的で「敵を作っても、その敵にも物語がある」というような形になっている。

日本人の中には、必ず素晴らしい国民性とその国民性ならではの物語があるということが、ヒーローやヒロインではない人の中にも様々な形が出ているということになるのではないか。そしてそれが世界から称賛されているのであろうと思う。

秋葉原「オタク離れ」が起きている? 「アキバ文化」象徴する店が消え街の姿が変わった

 「秋葉原の見慣れた光景が変わったな~」という声が、SNSなどで聞かれる。実際、2022以降、東京・秋葉原で閉店や規模縮小する店舗が多く、街並みは変わってきた。

 この種の投稿内容をよく読んでみると、「10~20年前の秋葉原は雑多で魅力があったが、それが無くなってしまった」というのが、真意であるらしい。かつて電気街、その後「オタク文化」の象徴だった当時の様子を知っている人たちが、街から離れてしまっているのだろうか。

   閉店したガンダムカフェ、とらのあな、肉の万世

 秋葉原で、2020年以降に閉店・休業した主な店舗を調べた。22年1月に「ガンダムカフェ」など4店舗、同8月31日に中古漫画販売「とらのあな 秋葉原店A」、23年12月6日にホビーショップ「イエローサブマリン秋葉原スケールショップ」、24年3月31日「肉の万世」秋葉原本店といったところだ。秋葉原のシンボル的な店が、どんどん消えている。

 逆に、メイド喫茶から鞍替えした「コンセプトカフェ」は増えた。これは「特定のテーマを取り入れて全面に押し出す」営業をしているカフェやバーを指す。秋葉原のコンカフェ・コンセプトバーを検索できる「コンカフェちゃん関東版」に登録されているのは、219店に上る。

 店が入れ替わり、秋葉原を象徴する建物が無くなっている。ニッセイ基礎研究所でサブカルチャーやオタクの消費行動を研究する廣?涼氏に取材すると、「『オタクの秋葉原離れ』は、あると思います」と話した。

 その一因として、2010年頃からのJR秋葉原駅周辺の開発で、画一的な駅前になったことを挙げた。

「再開発前にあった『秋葉原ラジオ会館』のような独特の雰囲気が無くなり、『秋葉原に来た!』というオタクのアイデンティティーを感じることが減ったことが、原因の一つとして挙げられます」と話す。一方、「秋葉原自体が観光地化したことで、街の変化と共に居場所や心地よさが損なわれたと考える人たちもいるでしょう」と解説した。

    秋葉原の需要そのものが減少

 ランドマークのような施設が消え、通信関連や電子部品販売の小型店が次々と姿を消した秋葉原。こうした店を目当てにしていた人々の足が向かなくなっていると、廣?氏は説明した。

 Eコマースの発展も影響しているという。インターネット通販の拡大のため専門店で買わなくても済み、必ずしも秋葉原にくる必要がなくなったことが挙げられる。

 一方で、10~20代の「推し活需要」の点から考えると、テーマカラーの商品を買う「推し色消費」ができるコラボカフェやイベントが、原宿や東京スカイツリーで開催されることがある。このことから、次のように指摘した。

「推し活を含めた『オタ活』全般をする人口は増えているため、関連の市場の規模が大きくなっている。また、秋葉原以外の地域でその需要が満たせるようになっていることもあり、秋葉原に対して需要を見いだしていたのはアニメ、ホビー、マンガ、アイドルなどのアキバ系コンテンツを消費しているオタクのみでジャンルによっては秋葉原に来なければいけない理由は、そもそもない」

2024年5月30日 19時5分 J-CASTニュース

https://news.livedoor.com/article/detail/26508047/

 さて、今回はそのアニメの聖地・漫画の聖地であるとされた秋葉原が、徐々にそのような内容ではなくなってきているというような事である。

実際に、秋葉原にAKB劇場が昔はあったり、またはガンダムカフェが期間限定でできたりというのも10年位前の話になってしまっている。そもそも秋葉原といえば、昔(私が学生時代)は電気街、または無線などを自作できるパーツが売っている場所というようなところで、何しろ「ラジオ会館」などは、理数系それも物理やコンピューターが好きな人の聖地であった。そしてその内容が様々なパーツを打っているということになったのである。そのような場所であったので、秋葉原はあまりアニメの聖地というようなことは私はあまり思わなかった。もちろんレコードやコンパクトディスクなどが、その最高の音響製品と一緒に売っていたということも確かな話であるが、しかし、現在のように当時のアイドルが秋葉原でイベントを行うというようなことはなかったのではないか。やはりコンサートやライブは新宿や渋谷で行い、レコードは秋葉原で買うというようなことが十分にできていたような気がする。

そのレコードや音響製品が、徐々にゲームセンターができるようになり、そしてゲームセンターにキャラクターが出てくるようになって、漫画やアニメの聖地になっていったのではないか。もちろんそうではないという人もいる。アニメイトやマンガの森、虎の穴などの店が出たのもその一つの要因であり、また秋葉原というのはそのような「普通とは異なる人々もすべて受け入れる街」であったような気がする。

そして、そレは「アニメの聖地」ではなく「時代を先取りした最先端」であり「その時代から見れば先に行きすぎた異端児の集まり」というようなことになっているのではないか。そのように考えれば「日本」というのは一つには横並び的な集団性を持ち合わせながら、片方では「異端児などが集まる別世界」が存在し、その中にすべての最先端の内容が出てきているということになっているのではないか。そのように考えると電気街からアニメ、そしてオタクの聖地といわれた場所の変遷がよく説明がつく。

ちなみに、江戸時代からもそのような「世間から完全に切り話された別格」という場所はあり、吉原などの遊郭は完全に日常からも切り離された場所ではなかったか。まさにそのような場所を許容することによって、日本は常に最先端の内容が入り、そしてその内容がそのままその中に入ってくるということになるのである。

現在すでにアニメの聖地ではなくつぎの最先端を探している時ではないか。そのような町があることが日本のすばらしさの一つのなのかもしれない。

宇田川源流

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