小説 No Exist Man 2 (影の存在) 第二章 深淵 5

小説 No Exist Man 2 (影の存在)

第二章 深淵 5

「長崎も『死の双子』だったそうだ」

 受話器を置いた嵯峨朝彦は、ため息に混ざった言葉でそのように言った。

 目の前には、今田陽子と菊池綾子が座っていた。

「東京と長崎の共通点は」

「長崎も、中国の福岡の領事館が倉庫を借りているそうだ」

 荒川の連絡は毎日来ている。この連絡で中国大使館、つまり中国政府が日本人を狙っているということは明らかになってきている。

「ワクチンはどうだ」

「現在研究中です」

 今田陽子は、少し悔しそうな顔を仕上がら答えた。警察官の遺体や香港のマフィアの遺体などから、検体を検出し、それを防衛医大病院の病理学研究室と、大宮にある自衛隊科学学校で、ワクチンや治療薬の製造を行っている。しかし、元が炭疽菌にエボラ出血熱の毒性の強いウイルスを使っているだけではなく、その元の病気も治療薬もワクチンもない状態なので、その治療薬やワクチンを作ると言ことは、かなり困難を極めている。

 今田陽子は、東銀座の事務所の後、そのまま大宮に向かった。

「今田参与ですか」

 大宮の自衛隊科学学校の校長を行っている鬼塚浩太郎が出迎えた。

「校長自ら門まで来ていただくのは恐縮です」

 自衛隊の大宮駐屯地は、正門のところに受付と門番があり、通常はそこでタクシーなどを降り、そこからは中を歩くようになっていた。もちろん特別な許可があれば、車で中まで入ることができるが、タクシー運転すがスパイでないと限らないので、基本的には許可のある人しか中には入れない仕組みになっている。そのことから、今田はバスでここまで来て、門まで歩いたので会った。

「暑い中大変でしたでしょう」

 鬼塚は、部下に運転させた車の扉を開けると、後ろの座席に今田を案内した。普通ならば遠慮する今田であったが、この暑さの中で、車の中から冷たい空気が出てきて、今田の顔を撫ぜると抗いにくい状態になってしまった。

「別に、日本の自衛隊ですから、今田さんを誘拐したりはしませんからどうぞ」

 鬼塚は、笑いながら扉を開けている。今田はそのまま後ろ座席に座った。

「それにしても、今回のオーダーはなかなか大変ですよ」

 鬼塚は、助手席に座って言った。後部座席には、今田が一人で座っている。

「すみません」

「いや、お役に立って有難いと思っております。自衛隊と言えば、基本的には、いつも武装とか、軍事とか、後は災害の時ばかりなので、今回のようにパンデミックの予防ということに我々がお役に立てるのはありがたいと思います」

「いや、ここにお願いすれば、単なるワクチンだけではなく、その現場の消毒や立ち入り禁止区域の設定まですべて行っていただけると思うのです。実際に、警察では既にお手上げ状態と言いながら、一応警察病院でも研究しているのですが、とてもうまくゆくような内容ではないという感じです」

「警察の方も、かなり苦労されているのでしょうね」

「はい、警察病院の方は、やはり警察の範囲内でしかできない部分が少なくなく、どちらかと言えば、治療薬の方が中心の内容になっています。」

 実際に、日本の警察というのは「事件が起きてからの対応」ということがほとんどであって、予防的に何かを行うというのは非常に少ない。特に、その内容に関して、法律に規定のない事項に関しては医療の分野(つまり警察病院なのだが)であってもなかなか予算がつかない。そもそも警察は、警視庁と警察庁と双方の内容に分かれてしまっていて、そのことから、その予算なども二つに分かれてしまっている。今回の内容も、羽田の事件であるといえば警視庁の分野なのであるが、しかし、相手が中国大使館や香港のマフィアとなると、警察庁の管轄になってしまう。このように管轄などがあるので、内閣官房としてもどこに何を命令してよいのかなかなか難しいということになってしまうのである。そのことから、警察はあまり物事を頼めないし、また、うまくゆかないということになる。

「それにしても、敵は中国ですか」

 科学学校の校長室に入った鬼塚は、今田に対してその様に行った。

「はい、以前京都においても自衛隊に協力いただきまして陛下をお守り頂きました。」

「あれは大変でしたね。まさか平城京の跡地にヘリコプターを降ろしながら、陛下を装甲車にご案内するなんてことは、なかなかやることではないですから」

 鬼塚校長は、そう言うと、書類を一つ持ってきた。

「今このようになっています。」

 その書類には、ワクチンが見通しが立ったということが書かれていた。

「これは」

 鬼塚は、そのファイルの上に黄色の付箋紙が貼られている、その書かれた文字を指さした。<盗聴されている恐れがあるので、完全にできるまで極秘>そのように書かれている内容を見ると、この大宮の駐屯地でも安心はできないようである。

「最近は、うまくゆかないことが多いので」

「そうですか」

「ここの駐屯地にもマスコミが入ってきます。自衛隊としては、当然に国民に親しんでいただきたいとは思うのですが、しかし、日本国内には、国民だけではなく、外国人もいますので、その意味ではマスコミが報道している内容もある程度の秘密は必要なのです。もちろん、この科学学校の内容も、秘密の内容は秘密にしなければならないのです」

「まあ、そう言うことですね」

 今田は、全てを察した。そのうえで、メモ帳を切り取って<数は?>と書いた。最も大事なのは、日本国民全体にこのワクチンを配布することができるかということである。

「ところで今回の病原菌はなかなか難しい。研究する方も感染しては良くないので、しっかりと防護しなければならないのですから、研究もなかなか進まないのですよ」

 口から出る言葉では、うまくゆかないことや研究の難しさを言いながら、手書きのメモでは、実質的な生産計画の話をするようになっている。この二人の器用な会話は、もう少し続いた。

「では、ワクチンや治療法が確立し次第、防衛大臣橘重蔵先生を通して首相官邸に報告いたします。」

「いや、出来ればその前に阿川首相に直接」

「いや、それは指揮命令系統に違反することになりますから」

 そう言いながら、鬼塚は<定期的に今田参与に報告します>とメモに書いた。

 そしてメモと付箋をすべてはがすと、灰皿の上で火をつけた。そして鬼塚は、その日を種火に、少し太めの葉巻に火をつけたのである。

「校長は葉巻をたしなまれるのでしたか。それならば遠慮せずに、火を着けられれば良かったのに」

「いや、種火があった時だけやるのですよ」

 今田は全てを納得したように大宮の駐屯地を後にした。

宇田川源流

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