「宇田川源流」【土曜日のエロ】 下着をつけていないように見える乳首付きの女性下着の発売
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 下着をつけていないように見える乳首付きの女性下着の発売
今週も「土曜日のエロ」の日になった。今週もエロのネタをやってみたい。本当にエロネタはなくならないのが面白い。
何故エロいネタを行うのかということを聞かれることがある。「人間は嘘をつく」これは単純な話だ。その人間は、待合なく理性などの話が有り、その理性の話から、自分をよく見せるなどの話が出てくることから、または自分自身を納得させるために嘘で自分の精神応対を保つ。その自分の精神状態を保たなければ、うまくゆかなくなるということになるのではないか。
一方で、人間は動物であるから、その動物としての動きをしてしまうこともある。そのように考えれば、下のネタとエロのネタ、つまり人間の本能に根差した内容は、どうしても人間から切り離せないし、また、理性とは関係なくやってくる。そしてその本能の欲望を抑えることはなかなかできないということになる。そのことが様々な問題が出てくる。
同時に好き嫌いというのは、まさに感情ということに由来する。その感情というのは理論や理性でコントロールできるものではない。そのように考えれば、好きになるとか魅力を演出するということは、当然に性格などの内面的な部分はあるが、一方で外見的な魅力は片方で「性的な内容を出す」ということになる。スタイルがよくなりたいとか筋肉質になりたいとか、あるいは、女性のくびれを作りたいというようなことはすべて出てくるということに同じ内容になるのではないか。
そのようなことで今回は見てゆきたい。
ちなみに、今週は岸田内閣が安倍派の閣僚を追い出して内閣改造を行った。その前のパーティー券のチケット料金の不記載による政治資金規正法違反問題がある(決して裏金とか、脱税ではないと思われる)その内容をいかに考えるかということがあるが、それはメルマガやオンラインサロンで詳しく書いてみたいので今日はやめておくことにする。
「下着をつけてない」ように見える!?「お騒がせセレブ」キム・カーダシアンが発売した「ヤバすぎる下着」が全米で大激論に
まさかの下着を発売
11月末、米「FOX NEWS」が報じたある話題が、全米でまさかの議論になっている。
カニエ・ウェスト(ye)の前妻であり、「お騒がせセレブリティ」としてもおなじみのキム・カーダシアン。彼女が手掛ける下着ブランド「SKIMS」がリリースしたのは、なんと「ニセ乳首(fake nipples)付き」のブラジャー。しかもオンラインでは完売したという。
常にマスコミの注目を集めるキム・カーダシアン/photo by gettyimages
オンラインサイトの着用例を見ると、確かにブラの先端には小さな突起が設けられている。ボディコンシャスな服を身に着ければ、「下着をつけていないように見える」のは想像しなくてもわかるだろう。
キム自身が説明するに「自然とノーブラに見せられる」という、逆転の発想(?)から生まれたプロダクトのようだが、これをめぐりSNS上では様々な意見が噴出している。「下着の意味は?」「下品」と批判も多いなかで、「新しい自己表現」「女性らしさの押し付けからの解放」と肯定的に捉えるコメントもあった。
「前が見えている」と言えば、「スペインの至宝」こと21歳の人気女優、クララ・ガレが「ノーブラ」でサッカー観戦をしたことがSNS上で話題になった一件もあった。
クララが「試合ではなく私のバストの話ばかりしていてウンザリ」と嘆いたとおり、今のインフルエンサー界隈では「何も着けていないルック」が新トレンドなのかもしれない。
2023年12月7日 7時15分 現代ビジネス
https://news.livedoor.com/article/detail/25485343/
キム・ガーダシアンが下着の発売を行った。芸能人がファッションなどの業界に進出するということはそれほどおかしな話ではない。単純に言えば、芸能人がそのようなことを行うことによって、見ている人は、その服を切れば、またはそのファッションを真似すれば、その芸能人になることができるとか、またはその芸能人的に魅力が増すということになる。基本的にはそのようなことはないのであるが、そのように考えてしまうということがあるのではないか。
さて、そのうえで別な魅力は何であろうか。とくに男性に「性的な魅力」がある人を見れば、最も性的に見えるのは裸になるということであろうが、残念ながらそれ以上に「政敵に魅力がある」ということに見えるのは、「裸になったところを想像できる」というようなファッションになることのほうが魅力的に見えるらしい。実際にその人の裸を見てしまえば、見たくない部分も見えるということになる。見たくないものを見せてしまうよりも、自分の想像力を掻き立てられてその人の理想の形になった方が良いということになるのではないか。つまり、見る側の主観で良いと思われる内容の方が性的に興奮を掻き立てるということになるのではないか。
当然にその中で「想像を掻き立てる資料」が多い方が良い。その意味では「服から乳首の形や胸の形が見える」というのは、非常に妄想を掻き立てることになる。
キム・ガーダシアンのデザインした下着は、「偽乳首」がついていることによって、下着を着けていないような妄想を掻き立てられるということになるのではないか。しかし、それを魅力的と考えるのは「男性」であり、女性は本来「見られたくない」と考える者ではないか。もちろん芸能人の中には、「見られてもよい」と自信がある人もいるし、また、綺麗なうちに裸を取ってもらいたいというようなことを考えている人も少なくない。しかし、通常はそのような芸能人がテレビなどを通して見えてしまうので、自分の体系などに自信がない。そのように考えれば、キム・ガーダシアンはよほど自身があり、そのうえで男性的な視点を持っているということになる。そしてそのような女性が増えてくるということは、そのまま、だs根意が喜ぶ世界になってくるのではないか。
日本ではまだそのような文化ではないが、しかし、ある意味では「男性も女性も喜んで自分の体に自信がある」ような社会になってもらいたいものである。
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