「宇田川源流」【現代陰謀説】 全裸でなければ入館できない博物館

「宇田川源流」【現代陰謀説】 全裸でなければ入館できない博物館


 今週も「土曜日のエロ」をお届けする日になった。なかなかこの日のネタは尽きないのであるが、ある意味で興味深い。その話の前にちょっと今秋を振り返ってみよう。

今週のニュースを見回してみると、やはり「イスラエル=ハマス戦争」が中心であった。人道問題というようなことを言っているが、本当はどのようなことになっているのであろうか。その辺はオンラインサロンの方でしっかりと書いているので、そちらを見ていただきたい。

それ以外でいえば、今週の注目のニュースはカンボジアなどの外国で日本の特殊詐欺の電話をかける役「かけ子」が25人逮捕され、そして日本に移送されたというニュースが大きかったであろうか。このような話は普段のブログでは全く扱わないのであろうから、ここで少し話をしておくと「犯罪が国際化」していったということになる。単純に言えば、海外の特に東南アジアの国々は、その国の刑務所や法律の執行ということに関しても日本とは全く異なる。そのような意味で、犯罪者にとっては東南アジアの国々の方がはるかに楽であるということになる。

しかし「楽」ということを言ってもそれは、犯罪者のトップにとって楽なのであって、かけ子をやっている人すべてにとってよいというものではない。当然に逃亡もできないし、自由などもあまりない。要するに、支配者と金本にとって楽なのが東南アジアなのである。そのやめに逮捕された後に「ほっとした」などの言葉が出てくるのは当たり前である。

さて、この「犯罪の国際化」というのは、ある意味で「犯罪が国際的に広がっている」ということを示しているので会うrが、それは通信などが海外で行っても同じというような科学技術の進歩でもある。その科学技術の進歩を「文化の違いで解釈を変えれば犯罪にとって便利」になる。しかし、それが東南アジアの文化で「悪い人が悪用」すると「犯罪者天国」ができてしまうのである。

そのように、ある一定の条件下で「一般と異なる人の『天国』」ができてしまうということがある。エロにおいてもそのものである。それは一般の社会でその一般の人と異なる人々の何かが制限されているということである。

「服を脱いで観覧してください」 ヌーディストが集まったスペイン博物館

 いわゆる「ヌーディスト」のための展示会がスペインのある博物館で開かれた。

 10月30日(現地時間)、米国CNNは10月28日にスペイン・バルセロナにあるカタルーニャ考古学博物館でヌーディストのために全裸で作品を観覧する特別なツアーが行われたと報じた。

 報道によると、今回のツアーは自然主義クラブと共同で90分間開かれた。訪問客はカタルーニャ考古学博物館で全裸のままで「リアーチェのブロンズ像写真展」を観覧した。

 CNNによると、展示を案内するガイドも裸の状態で観覧客に作品を説明した。

 ガイドのEdgard Mestreさんは「典型的なガイドツアーではなく、もっとカラフルな訪問にしたかった」とし「作品を見に来た観覧客は自分が見ている作品と同じように感じてほしかった」と説明した。

 また、博物館のウェブサイトは訪問客に「作品のように完全に全裸になったまま他の人に囲まれている状況で姿勢を取ってみて作品を鑑賞できる機会」と説明している。

 ある観覧客は「今回の機会を通じて裸体は常に存在してきた(と感じた)」としながら「私たちの身体は誰にとっても羞恥心の対象になってはいけないことをさらに深く理解することができる」と話した。

 一方、全裸で作品を鑑賞できるようにした展示は今回が初めてではない。ニューヨーク・タイムズによると、2016年カナダ・モントリオールで開かれた写真作家Robert Mapplethorpeの展示や2012年オーストリア・ウィーンのレオポルド博物館で開かれた男性ヌード画展示会でも裸体ツアーが行われた。

 これに先立ち2011年オーストラリア・シドニー現代美術館(MCA)で開かれたStuart Ringholtという作家の展示会では裸体状態の作家が観覧客を引率して自らギャラリーを回りながら作品の解説を行ったことがある。観覧客も服を脱いで全裸にならなければならず、ツアーは成人だけが出席することができた。

 当時展示に対してこの博物館は「作品を何の妨害もなく観覧する自由を保障するために展示空間内の不必要な装飾を全てなくしたように、観覧客が着ていた服もこのような妨害要素になる場合があるのでヌードが解決策になりえる」と説明した。

2023年11月2日 13時24分 中央日報

https://news.livedoor.com/article/detail/25281020/

 「ヌーディスト」という人々がいる。その人々は服を着るということが邪魔であるというように考えている。その為に人間は服などを着ることは本来の人間の姿ではないというように考えている。もちろんアフリカや東南アジアなどの少数民族の中では、伝統的に服を着る習慣のない民族がいる。その人々は特に裸であるということが「恥ずかしい」とか「風俗を乱す」というように考えていない。つまり裸でいるということはそのまま彼らの文化である。つまり「裸であるということを恥ずかしがったり、それをわいせつと考える」ということは、その文化において共通の物であって、人間そのものの本来の本能的な内容ではないということが明らかになる。

要するに、「ヌーディスト」というのは「服を着る文化の中の人々」では異端ではあるが人間の本能的な問題としては、問題はないということになる。では人間はなぜ裸を見られると恥ずかしいと思うのか。そのことを考える機会があってもよいのかもしれない。

さて、その「ヌーディスト」が「一般とは異なる自分の文化でいることのできる空間」を作った。それが上記の記事である。スペインで博物館を閉鎖し、その中で全裸でなければ鑑賞することができないということになる。そしてそれは初めてではなく、過去にカナダでも行ったことがあるという。

実際にヨーロッパのように曇りの日が多く、太陽の光をあまり浴びることの少ない、そのうえ「石の建物が多い」国では、意外とヌーディスト志向の人が多い。それは、一つには「恥ずかしいという文化が少ない」のかもしれないが、一方で太陽を浴びるということを、恥ずかしいという文化以上に重要に考えているということであり、その太陽をなるべく多く浴びるために、全裸で太陽を浴びる面積を増やしているということになる。特にヌーディストではないが、外国の映画で日差しの強いビーチでトップレスになって日焼けをしている女性の画が出てくる映画は少なくない。それはビーチであるから特におかしくないというようになってしまっており、また映画などでは背中しか見えていないというような感じに加工されているところも特徴であろう。同時に狩猟民族であることを考えれば、動物の本来の姿は裸である、人間以外は服などを着用しないというようなことを感じている人も少なくないのである。

「作品を何の妨害もなく観覧する自由を保障するために展示空間内の不必要な装飾を全てなくしたように、観覧客が着ていた服もこのような妨害要素になる場合があるのでヌードが解決策になりえる」<上記より抜粋>

服が、鑑賞の「妨害要素」になるというのであるから、なかなか興味深い内容ではないか。実際に精神的に解放され、服からも解放されると展示物がどのように「違って見えるのか」は、少将興味のあるところではある。

宇田川源流

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