「宇田川源流」【お盆休みの怪談】 身体がないんです
「宇田川源流」【お盆休みの怪談】 身体がないんです
本日から「お盆休みの怪談」として、お盆休みの、政治や経済があまり動かずに、様々な仕事が停滞している時期に、今まで書いていた会談などでその話をしてゆこうということを考えている。このまま20日までこの会談企画をしようと思っているのでよろしくお願いします。
心と身体は一体化しているのですが、しかし、時たま分かれてしまう場合があります。幽体離脱なんて言うのはそのものなのですが、亡くなった時は完全に分かれてしまいます。逆に言えば、体が滅びても心はそのまま生きているということなのかもしれません。では心が生きていて、身体がなくなったということが気付かないとき、人間はどのような行動をとるのでしょうか。
身体がないんです
震災直後のことである。
まだ街に中には、瓦礫だけでなく人々が生活をしていた痕跡がたくさん残っていた時のことです。街の消防団や警察などが、自分の家族のことも後回しにして町のために、一人でも多くの生存者を助けていた時のことです。
街の中には、津波に被害にあった車が、たくさんありました。車の中には、車ごと津波に巻き込まれたのか、まだ人が残っているときもありました。中から御遺体が出てくることもありました。まだ街の中は水が引いていないので、ところどころに海水が残っていました。
このころは、まだ、消防団など特別ない人を除いて、町の中に出ることは許されていませんでした。というのも、瓦礫の中に危険なものも多数ありましたし、また、ガスや化学薬品など、近づくのも危険なものも少なくありません。せっかく助かったのに、そんなところでけがをしたりしてしまってはよくありません。そこで、消防団など、選ばれた人だけが街の中で捜索していました。もちろん、彼らならば危険であってもよいなどということではありません。しかし、何かあった時に逃げることができる人でなければなりませんし、また、被災者がいたときに、すぐに担いで動ける人がいなければならないのです。
しかし、そんな中、夕方になるとどこからともなく子供連れの女が現われたのです。
「おい、あの遠くにいるの、女性だよな」
「スカートはいているからな。それに、子供を連れているのではないか」
「本当だ、もう暗くなるし、まだ余震もあるから避難しないと」
「誰か、言いに行ってくれるか」
消防団から私を含めて三人が選ばれました。そろそろ日も落ちかけています。暗くなるのに、子供を連れて瓦礫の中を歩くのは危険です。私たちはすぐに近くに行きました。道につみあがった瓦礫を挟んで向こう側に親子が見えました。
「どうしました」
私たちの問いかけの声に、女性は何も言いません。手を引かれているのは小さな女の子ですが、背中を向けているのでよくわかりません。ただ、なんとなく無視されているのは面白くない。もう一度大きな声で声をかけました。
「大丈夫ですか。ここは危険ですよ」
「ないんです」
お母さんの声であった。
「なにがないんですか」
隣にいる林さんはやはり大きな声で言いました。
「ないんですよ」
女性は、道路で横たわっている自動車の中を覗き込み、そして、そこにないと見ると、次の車を探して子供の手を引いた。
「なにがないんですか、一緒に探しますよ」
瓦礫があるので、なかなか近くに寄れないでもどかしい思いをしていながら、女性の声に対して林さんが大声をかけた。
「それが、私も娘も無事なんですが、身体がないんです」
「身体?」
意味がわからない、と思った瞬間、女性が振り返った。いや、振り返った感じで顔が見えると思った瞬間に、女性と子供は目の前から煙のように消えてしまった。
「身体がないって……」
林さんは、瓦礫を乗り越えて、消えた場所に行こうとしたのですが、横にいる最も年長の奥野さんがその腕をつかんだ。
「自分が死んだことを認めたくないんだ。何か思い残したことがあったのだろう。それに、娘を一緒に殺してしまったことを後悔しているのだろう。引き上げよう。」
それから毎日、夕方になると子供連れの女性を目撃します。私たちだけではなく、他の消防団の人や自衛隊の人の中にも目撃談がありました。しかし、車の中で、女性と子供の溺死体が見つかり、その遺体を供養してからは、目撃談が少なくなりました。それでも、まだたまに目撃談を聞くことがあります。あの親子はまだ自分の身体を探しているのでしょうか。
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