「宇田川源流」【お盆休みの怪談】 仮設住宅
「宇田川源流」【お盆休みの怪談】 仮設住宅
本日から「お盆休みの怪談」として、お盆休みの、政治や経済があまり動かずに、様々な仕事が停滞している時期に、今まで書いていた会談などでその話をしてゆこうということを考えている。このまま20日までこの会談企画をしようと思っているのでよろしくお願いします。
私が震災の話を聞いた中で、印象的な女性のヘルパーさんがいました。本当はヘルパーさんではなく、何かほかのことをしていたようですが、集合住宅になってヘルパーみたいになっていました。今はその方も病気で亡くなられてしまっているのですが、今回はその人の話です。人を愛する人というのは、人ではない者の心もわかってしまうのではないかと思います。そのような話です。
仮設住宅
岩手県のある仮設住宅の話です。仮設住宅の問題は、それまでの人間関係とは全く関係のない人間関係になります。あくまでも家が引っ越してくるのであって、町や地域がそのまま移転するのではありません。私のように役場に勤めている人間は、このようなときに必ず苦情を言われるのですが、しかし、こればかりは仕方がありません。
本来ならば、地区の人をそのまま移転したいのですが、逆に避難される方も、親戚を頼ったり、移転してしまったりするので、仮設住宅そのものの数が合わないなどのこともあります。避難所から速く出たい人など、避難所との関係もあり、なかなかうまくゆかないのが現状なのです。
そしてそのような仮設住宅に入ると、大きな問題が「老人の孤独化」です。まだ、夫婦でいる場合は良いのですが、田舎の場合は老人が一人暮らしをしている場合が少なくありません。一人暮らしになってしまい、今までと環境が変わってしまうと、なかなか外に出なくなってしまいます。そのために、どんどんと孤独化してしまい、社会との接点がなくなってしまうのです。年老いてから新たな人間関係を作るのは非常につらいのもわかりますが、社会から隔絶されてしまうと、さまざまなところで問題が生じます。私たち役場の人にとって最も良くないのは「孤独死」ですが、そこまで行かなくても鬱になってしまったり、仮設住宅の社会に溶け込めなくて困ってしまうこともあるのです。
そのために、「地域コミュニティ」を新たに作ったり、あるいは家庭訪問を頻繁に行ったりします。しかし、それでもどうしても漏れてしまうということがあるのです。
ニュースなどでたくさん出ましたのでご存じと思いますが、残念ながら「孤独死」をしてしまうお年寄りが何人か出てきてしまいます。実際に、震災までは家族でいらっしゃったのに、家族が震災で犠牲になられてしまって孤独になってしまったお年寄りなどは、訪問なども受け付けてくれませんし、社会コミュニティーに入ってきてくれません。自分から社会への扉を閉めてしまいます。私が担当したお婆さんの中にもそのような方がいらっしゃいました。実のところ、そのような難しいケースのお年寄りはヘルパーさんや地域の人に任せるのではなく、私たち町役場の人が必ず担当につきます。何かあった時にすぐに行政で対応できるようにです。そして、トラブルも多いので、必ず複数で行くことになっています。逆に、そのように慎重な対応にしていたために、なかなか時間があわなくて行かなくなってしまったからでしょうか。もともと、身体が弱かったのか、あるいは家族がなくなられてしまったので、自分から死を選ぶようにしていたのか、ある日、伺ったら返事が名k中で「孤独死」されていました。
もちろん、私の責任であることは間違いがありません。しかし、役場ではそのようなことを言う人はいません。役場はそれどころではありませんし、また、「孤独死」まで田舎くてもそれに近いことはみんなが経験していることなんです。
お年寄りを荼毘に付して、町役場で簡単な葬儀をしました。仮設住宅と、以前の地区の町会長さんなども来ていただいて、ささやかではありますが、ちゃんと埋葬しました。
しかし、問題はそのあとです。当然に、そのあとしばらくは部屋の換気」をして、また私物の整理などをします。この時は遺族が誰もいらっしゃらなかったので、一応規定に従って六か月間広告を出して、遺族をお預かりし、そのうえで誰も引取り手がいらっしゃらなければ町役場で処分することになります。但し、震災の混乱期なので、六か月ではなくなるべく長くこれらのお預かりをするということにしていまして、町役場の倉庫においてあったのです。
異変は、まずその倉庫から始まりました。誰もいないはずの倉庫で音が出るのです。もちろん、不審な音ではありません。ちょうど茶碗と箸で何かを食べているような音です。食器が当たる音といったほうが良いかもしれません。誰かが倉庫の中で何かを食べているような感じです。しかし、これは、そんなに気になりませんでした。役場の皆さんが、かなり疲れていて神経が高ぶっていたので、そのような音で周りを騒がせるわけにもいかなかったのです。
次に、倉庫で話し声が聞こえるようになりました。しかし、その話し声もなんだかわかりません。はっきり聞こえないのです。もちろん、私が担当していたおばあさんのものだけではありません。身元不明の被害者の方の荷物などもたくさんあります。ですから、そのような話声も、今回が初めてではないのです。そこで、倉庫で一度除霊祭りを行いました。神主さんを読んでかなり大々的に行ったのです。ちょうど七月くらいだったと思います。その後倉庫では話声が聞こえなくなりました。
しかし、今度は仮設住宅から苦情が来たのです。
「この暑い八月に『寒い…寒い…』と声が聞こえるのです」
この他にもうめき声や、泣いている声など様々な声が聞こえてくるというのです。東北と言えども八月に寒いということはありません。また、窓を開けて寝る人が多くても、その様な声が聞こえるようなことは少ないのではないでしょうか。思い当るところもあり、私はすぐに調査に向かいました。いつもあのお婆さんのところに一緒に行くヘルパーさんにお願いして、一緒に行ってもらいました。はたして、夜になると、どこからともなく、確かにうめき声のような声が聞こえます。
「あのお婆さんの声ですね」
ヘルパーさんは確信を持って言います。
「行ってみましょうか」
「えっ」
ヘルパーさんがあのお婆さんの家に行くと言い出しました。さすがに私は怖いので逡巡していると、そのまま手を引かれるようにして連れて行かれました。お婆さんの部屋の前に行くと、確かに声がはっきりと聞こえます。ヘルパーさんはいきなり、ガラガラと扉を開けると
「おばあちゃん、どうしたの」
と、お婆さんが生きているときのように声をかけたのです。私にははっきりと、今は何もなくなったお婆さんの部屋の中に、布団を一枚引いた上にお婆さんが座っていたのです。
「ひざ掛けがないんだよ」
「お婆さんのお孫さんが作ってくれたひざ掛けのこと」
「そうだよ、あれがないと寒いのよ」
私は完全に腰を抜かして声が出ません。でも、ヘルパーさんはそのまま会話を続けています。
「わかった、明日持ってきてあげるからね。おばあちゃん、ここに持ってきたらいい」
「他の荷物と一緒にしてくれないかなあ」
「いいよ、探したらすぐに持っていくからね。待っててね」
「ありがとう。話聞いてくれるのはあんたたちだけだよ」
そういうとお婆さんはそのまま徐々に薄くなって消えてゆきました。
「どうしてあんなことできるのですか」
「仕方ないじゃない、相手は死んじゃってても私の担当だったんだから。今まであれだけしてきたんだもの、仲良かったんだもの、何か言いたいことがあるから出てきているだけで、私たちに何か悪いことしようとすることもないから」
「でも、お婆さんすでに死んでいるんですよ」
「生きているのよ。津波で死んだ人も、ここで死んだ人も、みんな、みんな、心の中だけでなくて、町のことが心配でここにいるんだよ。あんたみたい若い役場の人が早く街を元に戻してくれないと、お婆さんも他の人も心配であの世に行けないから、がんばんなさいよ」
ヘルパーさんは、確かに少々豪快な人とは思いましたが、まさかここまで豪快な人とは思いませんでした。翌日、部屋の中をもう一度見てみると、押し入れの中に、ひざ掛けが一枚残っていたのです。そのひざ掛けを一緒に倉庫にしまいました。それ以降お婆さんが出てくることはありません。しかし、ヘルパーさんの言うとおりどこかで心配でまだ見ているのではないか、何かあればまた出てきて様々な要望を言うのではないかと思っています。
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