「宇田川源流」【お盆休みの怪談】 道しるべ
「宇田川源流」【お盆休みの怪談】 道しるべ
本日から「お盆休みの怪談」として、お盆休みの、政治や経済があまり動かずに、様々な仕事が停滞している時期に、今まで書いていた会談などでその話をしてゆこうということを考えている。このまま20日までこの会談企画をしようと思っているのでよろしくお願いします。
何か不思議な声が聞こえることはありませんか。何か迷ったときに、自分の背中を押してくれる声があると思います。その声が、助けてくれることもあれば、何か悪意を持っているときもあるという感じではないかと思います。では、そのような声はいつ聞こえるのでしょうか。自分の心に隙間があるとき、そして何か引き付ける時に、そのような声が聞こえるのではないかと思います。
道しるべ
陽太は宅配の仕事をしていた。その日も午後の配達と集荷の日であった。いつもの通りに海沿いを走っていると、急に地面が揺れた。地震である。陽太は慌てた。そんなに歳を重ねていない陽太にとって、おばあちゃんの言葉は忘れられないものがあった。
「地面が揺れたら、すぐに高いところに行け。他の者など何もかまうな。すぐに海が襲ってくる出のぉ」
そのおばあちゃんは一昨年亡くなっている。しかし、陽太の中にはいつもそのおばあちゃんの教えがあった。まだ独身の陽太にとって、そのおばあちゃんに曾孫の顔を見せられなかったことが心残りだが、それでも、祥月命日には墓参りを欠かさなかった。それほどおばあちゃんの言葉は、陽太の心の中に生きていた。
「すぐ高いところに行かなきゃ」
しかし、海沿いの一本道で山の方に曲がる道などはない。地震で事故でもあったのか、あるいは、道に車を寄せて様子を見ている人がいるのか、車は全く動かなくなってしまった。
「このままではまずい」
陽太は、少し前に山側に曲がる道があったと思いだすと、かなり強引にUターンをしてアクセル踏んだ。
まだ津波が来る様子はない。津波は、地震の後大きく水が引く。そしてそのあと一気に海が襲ってくる。おばあちゃんはおばあちゃんの子供のころの話としてそんなことをはなしていた。それが本当だとすると、まだ水が引いている感じはしない。しかし、それでも高いところに避難した方が良いのは決まっている。自然と陽太は焦った。
「そこを右じゃ」
不意に、陽太の耳元で、厳しい、でもどこか懐かしい声がした。陽太は考える間もなく、そのまま右にハンドルを切った。
「次を左」「そして右じゃ」
耳の中の声は、カーナビとは全く違う音質でずっと響いた。陽太はどうしてもその声に反抗できず、その声のままハンドルを操作した。声の導く道路は、全く渋滞がなく、人の姿もまばら。車は思ったよりも早く高台についた。高台についたころには、その耳元の声も無くなっていた。少し広いところに車を止めて振り返ってみると、そこには今までとは全く違う光景が広がっていた。少し前まで走っていた海沿いの道は完全に海の中に没し、走ってきたところも、家の屋根がやっと見えるくらいになっていたのである。そして第二波と思える黒く多岐な壁がすでに水に埋まった街を飲み込もうとしていたところであった。
「助かった」
陽太はそう思った、しかしもう一つ、陽太が思ったことがあった。
「あの声はなんだったのか」
おばあちゃんの声に似ていたようで、おばあちゃんの声ではなかった。山の上にあった陽太の家に戻ると、当然に家族は電気のない家で無事でいた。陽太は両親にその日の出来事を話した。
「おばあちゃんのお母さん、陽太にとってはひいおばあちゃんねえ、昭和3年の津波でなくなっているのよ。きっとひいおばあちゃんが、あなたのことを助けてくれたのね」
厳しいけれどどこか温かい声は、ひいおばあちゃん。陽太は今でもそう思っている。
阪神大震災や東日本大震災のような巨大な地震が来た時、実際に揺れを感じたときに「地震だ!」と気付くのはかなり難しいことです。日常の中で「地震」と判断するのは、震度4や5でしかないから、それ以上となると、ほかの衝撃と勝手に判断してしまいます。この「陽太のおばあさん」はその辺の感覚まで鋭かったのか、「地震」という言葉を使わずに「地面が揺れたら」という言い方で孫に教えているということがすごいのです。地震でなくても、とにかく揺れを感じたらこうする。これは、咄嗟の判断の時に最も重要なことなのかもしれません。
自然の力ではありませんが、古くからの教えを守りそして継承する、そのような「真面目」さが、この「不思議な声」を聴くきっかけになったのではないでしょうか。このように、何か不思議な力によって助けられた方というのは、インタビューしていても何か共通して「古来からの言い伝えやシキタリに素直」であるということがあるような気がします。あとはそれをどのように自分の中に受け入れるのかということなのかもしれません。
通常の怪談では「不思議な声の言うとおりにしていたら死にそうになった」という話が圧倒的に多く語られています。例えば、カーナビに目的地をセットして、その音声解説の通りに車を動かしていたら、何か知らないところにやってきてしまい、もう少しで崖に落ちるところだった。、危なく、急ブレーキで止まったら「もう少しだったのに」という声が聞こえるというパターンです。
このような怪談は「不思議な声」は「生きている人を死者の世界に引き込む」という事で、その様な話になっています。しかし、この陽太さんの場合は全く逆です。そもそもそのままにしておけば、津浪に巻き込まれて死んでしまうのですから、幽霊もわざわざ声で指示して死者の世界に入れる必要もなかったのかもしれません。咄嗟の判断で高台に向かっていたのですから、死に導きたければ、そちらの方に向けることは簡単だったでしょう。しかし、陽太さんに聞こえたのは全く逆で、助けてくれる声だったのです。そして、その声に陽太さんは全く疑うことなく受け入れているのです。陽太さんには、「助けてくれる声」であるということがなんとなくわかっていたのかもしれません。その「わかる」ということに、理由はありません。母親が子供を諭す声が、怒りながらも愛情があふれている、そのような声を受け手側も理解する者なのではないでしょうか。
この陽太さんの場合は、「曾祖母」ではないかということですが、もしかするともっと昔のご先祖様なのかもしれません。本編にはありませんでしたが、後に、この陽太さんは、自分が助かったのはご先祖様のおかげと言って、今まで以上にお墓参りに行っていることと、お祭りには積極的に参加するようになったということです。
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