「宇田川源流」【日本万歳!】 世界から日本が愛される理由としての「現地をわかる人」の存在

「宇田川源流」【日本万歳!】 世界から日本が愛される理由としての「現地をわかる人」の存在

 毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本の素晴らしいところや日本人の称賛されている記事を皆さんにご紹介し、その記事の中で、なぜ日本人が称賛されているかということを分析してみるということを行っている。日本人の場合、たいていの場合は、日本人の国民性や日本人の生活習慣などが称賛されており、それが特に目立った李、ほかの地(外国とか)に行っても、その習慣を曲げない、ほかの人々に流されないということが、かなり称賛されているような感じではないか。

 そのような意味で、日本人は、一人または特定の人々が称賛されている場合も、その人が同じ日本人から見た場合には「特別」なのではなく、日本人のすばらしさを体現している人でしかなくて、どの日本人にも同じような資質が中に入っているということになるのではないか。

 しかし、そうはいってもそれを貫ける人というのは非常に素晴らしい場合が少なくない。いつもこの連来の中では「特別」といっているのが、今大リーグで活躍している大谷翔平である。大谷翔平氏に関しては、当然に、そのプレイや実力は素晴らしい。しかし、それだけではなく、そのファンサービスや、何かグラウンドを片づけるなどのこと、ストイックな生活態度や、野球というものに対する考え方が、非常に素晴らしいのではないかという気がする。そしてそれらの中には、日本人の国民性や日本人の生活習慣や、精神性というものが、基礎になっているということが言えるのではないかという気がするのです。

 さて、他にも「日本人だから」「日本的な考え方だから」ということで、様々な世界で活躍する日本人がいる。その日本人に関して、取り上げてみるのもよいのかもしれない。日本人にとっては、彼らは有名人ではあるけれども「特別な人」ではないということであり、我々にも同じ資質が備わっているということが言えるのではないか。そのことを実感してほしい。そう思って今回はこの記事を使ってみた。

アフガニスタンの “親日化” に貢献した2人の日本人「中村哲」「緒方貞子」

 アフガニスタン人の間では親日感情が強い傾向がある。日本とアフガニスタンとの間に良好な関係が築かれている背景として、2人の日本人に触れなければならない。これら偉人が残した業績が、アフガニスタンにおける日本全体に対する評判の向上につながっているからだ。

 1人目は、2019年12月に東部ナンガルハール州で凶弾に倒れた、中村哲医師である。中村哲医師は1980年代初頭、日本キリスト教海外医療協力会からの声がけにより、パキスタン北西部のペシャーワルでの仕事を始めた。同地への赴任に伴い、1983年9月に発足させたのが、ペシャワール会である。

 当初は、中村哲医師はハンセン病患者の治療に当たっていた。この時、パキスタンの国境の西側アフガニスタンでは、ソ連の侵攻に伴う戦闘が続いており、アフガニスタン難民への医療活動は喫緊の課題となっていた。そうした政治的状況の影響もあり、中村哲医師は1991年から、アフガニスタン東部ナンガルハール州のダラエヌール渓谷に診療所開設の準備を始め、アフガニスタンでの医療活動を展開することとなった。

 しかし、戦争により国土が荒廃したアフガニスタンでは、食べ物不足で栄養失調になり、抵抗力が落ちた中で汚水を口にして感染症にかかった子どもを抱えた母親が、頻繁に診療所を訪れるようになった。中村哲医師は、アフガニスタン人医師の進言を受け入れ、自ら率先して清潔な飲料水の確保に乗り出した。こうして始められた東部での井戸掘り活動はその後も続き、結局、2006年までには約1600カ所で井戸が掘られ、住民の生活の建て直しと定住化に成功した(中村『天、共に在り』、88頁)。

 それでも、清潔な飲料水があるだけでは、農業の復興には不充分である。中村哲医師は2003年、干ばつが進む中、農村の復興を目指して、灌漑用水路の建設に着手することとなる。暴れ川である大河川クナル川から取水し、農業用地に供給する灌漑用水事業が始められた。

 ペシャワール会の灌漑用水事業では、日本古来の伝統技術が活かされている。福岡県に山田堰と呼ばれる斜め堰があり、暴れ川である筑後川から取水することを可能にした。中村哲医師は、地図を見ながら、この山田堰が、ペシャワール会が取り組んでいる取水口と地形によく似ていると気づいた。この技術の導入が、東部ナンガルハールの農村復興を成功させる鍵となった。

 また、中村哲医師は、仮に用水路が自然災害で破損したとしても、地元民が自分たちで維持補修できるよう、蛇籠工と柳枝工という技術を採用した。蛇籠とは、金属でできた枠組みに石を積み上げる護岸の用具で、これであればアフガニスタンの地元民でも補修することができた。また、蛇籠の背面に柳の木を植えることで、根が蛇籠の中の石の隙間に入り込み、さらに強靭になる。

 開発援助の世界では、往々にして最先端技術を開発途上国に導入したはいいが、故障した際に部品を海外から調達しなければならないといった失敗例が報告される。中村哲医師は、アフガニスタン人が主体性を持ち、技術的にもそれを維持管理できる持続可能な体制をつくったのだ。これによって、草木一本生えなかったガンベリ砂漠に緑が戻り、パキスタンに避難した住民たちも村に戻り、農業にいそしむ生活を取り戻した。

 2019年12月、中村哲医師は武装勢力に銃撃され、帰らぬ人となった。アフガニスタンからの衝撃的なニュースに、日本国内は騒然となった。多くのアフガニスタン人が、中村哲医師の家族と日本国民に弔意とお見舞いを伝えた。今なお、中村哲医師の活動は、アフガニスタンの人々に恩恵を与え、生きる力を与えている。そして、日本人の私もそのことから裨益している。中村哲医師が残したものは、とてつもなく大きい。

 もう1人の偉人は、1991年から10年間、国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子氏である。冷戦が終結した当時、国家間紛争の脅威は低減した一方で、民族、宗教、社会的要因を背景とした国内紛争が次々と火を噴き始めていた。こうした紛争の影響を最も受けたのが、罪のない一般市民であり、多くの人々が難民として移動を強いられた。

 その当時、難民条約によって、難民は「国境の外に出てきた人」と定義されていた。しかし、実際には、国内に留まりながらも戦禍や迫害から逃れる大量の人々が発生していた。こうした「国境から出てきていない人々」を、UNHCRは保護・支援できるのだろうか。

 緒方貞子氏は困難に直面しながらも、2003年のイラク戦争開戦時、イラク国内にいたクルド難民を救済するべく、こうした人々の支援に当たる画期的決定を下した。緒方貞子氏は、自身の著書において「私の判断の拠り所となったものは、ただひとつ、彼らを『救わなければならない』ということであった。この基本原則(プリンシプル)を守るために、私は行動規範(ルール)を変えることにした」と述べている(緒方『私の仕事』、13頁)。

 さらに、同氏は、アフガニスタンの復興支援を牽引する役割を担った点が特筆される。1990年代、ソ連侵攻に伴って大量のアフガニスタン難民が出現していたが、諸外国の関心は湾岸戦争やアフリカやヨーロッパの民族紛争に移り、アフガニスタン問題は忘れられようとしていた。

「国際社会がアフガニスタンを見捨てた」との思いを有していた緒方貞子氏は、アフガニスタン支援総理特別代表に任命され、日本政府代表としてアフガニスタンの戦後復興を率いていく役割を担った。日本が、民生支援分野で大規模なアフガニスタン支援を行うことができた背景には、緒方貞子氏の過去の教訓を踏まえた熱意も大きな影響を与えたのだ。

2023年7月28日 11時0分 Smart FLASH

https://news.livedoor.com/article/detail/24695590/

 アフガニスタンは、歴史上も最もすごい土地であり現在の「火薬庫」であるといえる。1980年代にはソ連が侵攻したが、しかし、ソ連はアフガニスタンを攻め切ることはできずに、撤退せざるを得ない。そして、2001年以降は、ウサマ・ビン・ラディン氏をかくまったということから、アフガニスタンにおいてアメリカが昨年まで戦争を継続していた。平和主義などといっていたオバマ政権の8年間もずっとアフガニスタンでの戦争は継続していたのであるから、なかなか大変な場所である。そして、そのアメリカによるアフガニスタン戦争の終結をしたバイデン大統領は、軍隊の使い方を知らないとして、撤退時に多くの犠牲者を出してしまったばかりか、その後ISとタリバンの対立によって、アフガニスタンは混乱している。

 現在はタリバンの政権によって、女性は大学に通ってはいけないなど、イスラム教原理主義的な政治が継続しており、人権ということではかなり偏ったことになっているように報道されているのであるが、しかし、それを止める勢力はすでにソ連もアメリカも手を引いている。同時に、緯度が低い割には、かなり高地であり、また川なども少なくて水資源が少ないために、かな農耕などには適していない場所である。アフガニスタンに行けばわかるが、山肌にしがみつくように少数の集落がありそれがその周辺の植物と、少ない耕作地を頼りに暮らしている。残念ながら土地はやせていて、一生懸命耕してもあまり多くの収穫が期待できない。そのようなところから、ヘロインの生産(けしの畑と精製工場)を作り世界の麻薬の80%がアフガニスタンから出ているのではないかというようなことになっている。

 そのような国を何とかしようとしたのが、上記の記事に書かれている日本人二人だ。

 一人は中村哲さん。残念ながら2019年に凶弾に倒れて亡くなったが、それまでペシャワール会を率い、農業で自活できるようにしたのである。日本の技術を持ち込み、なおかつ日本人的に「困ったときはお互い様」というような形で、ほとんど無償の援助を行った。実際に、中村氏に会えば素朴な人柄であり「困った人が目の前にいれば誰でも助けるのが普通だろ」という考え方の持ち主であった。襲撃されたときは一時タリバンがやったのではないかというような紋切り型の報道がされたが、実態は異なり、中村哲氏はそのタリバンからっも好かれていた人物であったのだ。実は中村氏の護衛はそのタリバンが行っていたのであり、タリバンそのものが中村氏を襲撃するはずがないということはよくわかっている。ただし、麻薬工場のど真ん中に稲作灌漑施設を作ったことで、地元の軋轢があったということになる。しかし、「人々が安心して暮らすためには当然」という日本人の助け合いの心がそのようにしたのに違いない。

 もう一人は緒方貞子氏である。日本でも難民弁務官で報道されていたので知らない人もいないだろう。

 緒方貞子氏は、自身の著書において「私の判断の拠り所となったものは、ただひとつ、彼らを『救わなければならない』ということであった。この基本原則(プリンシプル)を守るために、私は行動規範(ルール)を変えることにした」と述べている(緒方『私の仕事』、13頁)<上記より抜粋>

 日本人というのは、この緒方貞子氏の話でもそうであるが、「人が困っている場合は、素直に助ける」ということで、そこに宗教も民族も、いや敵味方という概念さえない。人が人を助けるのに理由はいらない。その一念で物事を推し進めるというのが日本人のすばらしさではないか。

 多分、ウクライナなどでも日本人が中心に行えば、物事はほかの人々が中心にするよりも容易に行える可能背もある。こだわりをすてて、人が人を助ける。それが日本人のもっとも平和を愛する気持ちの中心ではないだろうか。

宇田川源流

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