日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄 第四章 風の通り道 11

日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄

第四章 風の通り道 11

 そのころ、天皇陛下のご座上の車は、会場の後ろの駐車場をやっと抜け出していた。ある意味で樋口が時間を稼いだおかげで、最も危険でありかつ、最も人を殺す技術を持った大友佳彦を足止めしたために、命拾いをしたとも考えられる。その意味では、樋口が果たした役割は大きかった。

 しかし、それでもこの段階でまだ首謀者の陳文敏も、大沢三郎もこの会場そのものに姿を現していない。また、松原隆志も駐車場に仕掛けた爆弾を爆発させたが、出入り口の爆弾は全く機能しなかったところを見届けて、そのまま会場を後にしている。また関西の学生運動の雄といわれた大津伊佐治も、中国からの要人をすべて襲撃し、そのまま姿を消している。関西の北朝鮮人のコミュニティで紅花のオーナーである金日浩は逮捕されたものの、その金と行動を共にしていた近藤正仁は、逮捕を免れている。このように考えれば、決して安全というわけではなかった。

 その意味では、車は安全な方向に向かわなければならないのである。何よりも天皇陛下を護衛しているのであり、絶対に安全に皇居まで送り届けなければならないのである。

「荒川君、大丈夫かね」

 東御堂信仁は、心配そうに助手席から運転席に向かっていった。

「最善はつくしますよ」

 嘘でもいいから、このような時は絶対に大丈夫という力強い言葉が欲しかった。特に、後ろには天皇陛下が乗っていて、その言葉を聞いているのである。最も嘘のない言葉であっても、頼りない、そして先行きが不明な内容では困るのである。

 しかし、今の状況でそのようなことを言っても意味がない。東御堂は、困ったような顔をして後ろを見た。さすがに天皇陛下というのは、人物である。これだけ自分の身に危険が迫っている状態でありながら、全く動じることなく、普段と同じ姿勢でまっすぐ前を向いて座っている。

「陛下、大変無礼ですが、少々頭を下げて弾に当たりにくいようにしてはいかがでしょうか」

「東御堂さん、そんなことをしてもあたるときは当たりますよ。それよりも、弾が当たった時に、あまりにも無様な様子をさらしたくはないので」

 そういうと、陛下はそのままその場所で背筋を伸ばしたまま、にっこりと東御堂信仁のほうを向いてにっこり微笑んだ。

「それと、荒川さんといいましたか。運転ご苦労様です。」

「あっ、はい」

 荒川は、このような状況で陛下から声がかかるなどとは全く思っていなかったので、さすがに驚いた。

「運転したままで結構です。そのまま、その調子で頑張ってください。」

「は、はい」

 荒川は、横で爆弾が爆発した時よりも、じっとりと手のひらに汗がにじんでくることを感じた。

 そもそも、東御堂信仁と荒川義弘の出会いは、数年前にさかのぼる。そのころ荒川は

ジャーナリストとしてかなり有名なところにあった。テレビ番組のコメンテーターや討論会のパネリストなどを勤めるそれなりの力があった人物であった。一応「保守系言論人」というようなこともあったので、荒川の周辺にはそのような人物が少なくなかったのである。すでに10年以上前の話である。

 そのような中「保守系」ということで、皇室の取材を任された荒川は、日本のマスコミや言論の多くが皇室をほとんど理解していないということに気が付くのである。そのうえで、皇室についての研究を始める。そのような研究の荒川の取材に答えたのが、東御堂信仁であった。もちろん、仲介の人物が何人も入っていて、その中で荒川が取材をしているのであるが、荒川の場合、酒を飲みそしてその酒の中で話を聞いてゆく、場合によっては東御堂の自宅などに上がり込んで、朝まで飲み明貸しながら様々な話を聞くということがあった。

 荒川が気に入られたのは、聞いた話を書かないことであった。ジャーナリストであるのに聞いたことを書かないというのはおかしな話なのであるが、そうではなく、「世の中に広めること」「絶対に書いてはいけないこと」などの区別をつけ、その書いてはいけないことは記事の中で「におわせもしない」という手法をとっていた。どうしても触れなければならないときは、東御堂以外の人物から話を聞いて、その人物の記名で記事を書いていたのである。当然に、先に荒川が知っているのであるから、相手も様々なことを話さざるを得ない。特に旧皇族や旧華族ではなく、元宮内庁職員などであれば、そのようなタブーを理解しない場合も少なくないので、資料などから話をしてしまうことがあるのだ。

 そのようなことで信用を得た荒川に、ある日、10年位前であるが、東御堂からオファーがあった。

「ジャーナリストをやめる気はないか」

「仕事をやめろと」

「ああ、いや、その調査能力、知っていることを書かない力、それに、様々なところに入りこむ技術。いずれにしても、今のままジャーナリストでいさせるのはもったいない」

「いや、私にも生活がありますので」

「まあ、じゃあ、明日の夜食事をしよう」

 東御堂信仁は、すでに何かを決めたという言うような覚悟で話をしていた・

 荒川は翌日指定下場所に行くと、荒川は車に乗せられた。そして、赤坂の某ビルの最上階に連れていかれたのである。

「陛下、お連れしました」」

「東御堂さん、ありがとう。あなたが、荒川さんですね」

 荒川は驚いた。目の前にいたのは、天皇陛下その人であった。いや、その横には、皇太子殿下もいる。

「緊張しなくていいですよ。私の父が70年位前に、人間であると宣言していますから、僕もあなたと同じ人間です」

 天皇陛下はそういって笑った。それにしても今まで取材対象にしていた天皇陛下、それも絶対に自分の前に出てきて本音を語ることなどはないと思っていたその人が、目の前に現れて、自分の名前を言ったのである。多分、江戸時代の人々が、将軍などの高貴な人々の前に立った時には、似たような感覚になったのであろうと予想できた。普段は、何事もなかったかのように天皇のことを話していたが、目の前に出てきて直接となれば、とても話などできるものではない。がちがちに緊張して、そのまま隣の部屋で会食をすることになるのであるが、その中で、今まで荒川が疑問に思っていた皇室のこと、天皇のこと、そして天皇が日本という国について、そして神話についてどのように考えているかということなどがすべて話されたのである。

「ところで、荒川さんは、僕のために、いや、この日本国の伝統と文化のために働いていただけませんか。もちろん、社会的な今までの活動は続けていただいてもかまわないのですが、しかし、皇室のことに関しては、あまり前に出て離さないでいただきたいですし、また、今までのようにテレビなどで忙しいということも少し控えて少しだけ『日陰』に入っていただければありがたいのです。」

「あっ、はい」

「東御堂さん、そういうことです。その代わり、荒川さんには、様々なお話をさせていただきますし、天皇ということの立場のすべてをお話ししましょう。荒川さんが適切にマスコミなどにお話しいただけることを期待しています。そして、報酬ですがすべてっ東御堂さんから出るように取り計らいましょう。まあ、たまにはマージャンなどで取り上げることもありますが。いずれにせよ、皇室の家内いると世情がわかりませんので、たまにはそれらをお知らせに来てください。」

「はい」

 天皇陛下はそういうと笑った。荒川もその時にひきつった笑いしかなかった。

 天皇陛下には、その時にすでに何らかの情報を必要としていたことは確かなのである。その後何回か天皇陛下の御前に出ている。そして今、爆弾の中、荒川が運転して天皇を守っているのである。

宇田川源流

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