「宇田川源流」【宇田川教育論】 生成型AIの出現で変わる学校教育

「宇田川源流」【宇田川教育論】 生成型AIの出現で変わる学校教育


 毎週水曜日は「宇田川教育論」か「大河ドラマ」に関してお話をさせていただいている。ニュースの解説ばかりでは肩が凝ってしまうので、一週間の真ん中は少し気を抜いた話ができるようにということで、大河ドラマに関しては「現在よりも過去について、そしてテレビドラマということに関して話をする」ということを、また「宇田川教育論」に関しては「若者を教育するということを通して、日本の将来を考える」ということをテーマにしている。要するに水曜日は、いつの間にか「現在ではなく、過去や未来を語る日」というようなテーマになりつつある。もちろんそのようなことをはじめから企画したわけではないのであるが、いつの間にかそのようなテーマになっている。

さて今週は「教育論」である。ちなみに、大河ドラマ「どうする家康」は、有村架純さん演じる築山御前が武田家と内通していたことでそろそろ「刑死」する場面となる。今回の大河ドラマは、脚本は本当にうまくできていて、明るい中にもしっかりと人間の考え方の違いやすれ違いが大きく出てきている。今までの観点では築山御前というのは、悪人で常に今川家にいた時代の人質時代の徳川家康しかしらないで、自分は宗主国の姫君という特権階級にいるというような描写ばかりであったが、そうではなく、「自分なりに戦争を終わらせる」ということから、平和外交をするというような感覚は、なかなか面白い観点であろう。なかなか、現代人に対する「アンチテーゼ」的な描写で、なかなか面白い。NHKがこんなことをするんだという感じで、「戦う人」と「平和交渉を行う人」との対立を書いているというのはおもしろい。特に長篠の合戦の後に女性が女性的な考え方で平和外交をするということに関して、それを否定するというようなイベントに持ってきてしまうのは、画期的かもしれない。実際の歴史は同であったかわからないし、築山御前が何を考えて武田勝頼と結ぼうとしたのかはよくわからない。しかし、そのことによって歴史は大きく動くことになる。少なくとも絶対的な嫡男であった徳川信康は消えてしまい、そして次男も後継者ではなくなるのである。そしてその次男のゆうきひでやすのいえがらが、幕末には松平春嶽を輩出し、そしてやはり公武合体で平和外交的な内容を行って、戊辰戦争からは一歩引いた形になるというのもなかなか面白いのではないか。

さて、教育論は、本来はそのような歴史教育に対して書きたいが、それはそれでまたの機会に譲る今年にして、今回は、「生成型AI」ということに関して考えてみたい。

学校AI利用「限定的に」、文科省が指針案…創作・テストは「不適切」

 「チャットGPT」に代表される生成AI(人工知能)の取り扱いについて、文部科学省は学校向けガイドライン(指針)の原案をまとめた。専門家らの意見を聞き、近く公表する。学校現場では「限定的な利用」から始めることとし、定期テストなど成績に関わる場面での不適切な使用や著作権の侵害など教員が留意すべきポイントを盛り込んだ。

 指針案は、生成AIについて、著作権侵害や偽情報拡散など「様々なリスク」があると指摘。学校現場では「限定的な利用から始めることが適切」とした。

 その上で、学校での使用の適否について具体例を示した。不適切な例として、▽詩や俳句などの創作活動で最初から安易に使わせる▽定期テストなど成績に関わる場面で使わせる――などを挙げた。

 読書感想文やコンクール向けの作品などで、生成AIに作らせたものを児童生徒の成果物として提出することは「不正行為」とし、「学びが得られず、自分のためにならない」ことを周知するよう求めた。

 また、生成AIによる文章などを学校で利用する場合には、「著作物の権利を侵害することがないように留意する必要がある」と明記した。

 一方、適切な活用としては、子どもたちが議論を深める目的で使う場面などを例示。教員の働き方改革の一環として、教材作りのたたき台や模擬授業の相手に生成AIを使用するなど校務での活用例も盛り込んだ。

2023/06/22 22:39 読売新聞

https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20230622-OYT1T50170/?from=smtnews

 「チャットGPT」に代表される生成AI(人工知能)の学校教育の現場での取り扱いということが大きな問題になっている。実際に禁止したところで、既にできてしまって入り込んだものを排除することはできない、という前提でしっかりと物事を見なければならない。

その意味で学校の現場では「限定的な利用」ということを言っているようであるが、そもそも学校の教職員がその内容についていけるのかということが問題になる。私の経験上学校の教職員というのは、それほど優秀ではないし、また、思想は確信リベラルな人が多いのに、態度や自分の仕事に関する内容は全く自分では変えようとしない「保守的」というよりは「自分スタイルに固執している」というような変化を嫌う状態である。そのような内容で生成型AIを使いこなせるのかということになる。このような先端技術に関しては、当然に、「子供」の方が発展的でなんでも挑戦してしまうので、学校側は学生の方が発展的になってしまうtことになり教職員が鳥のされるということになるのではないか。

そのうえで、学生が生成型AIを使った論文などの不正をどのように考えるかである。

読書感想文やコンクール向けの作品などで、生成AIに作らせたものを児童生徒の成果物として提出することは「不正行為」とし、「学びが得られず、自分のためにならない」ことを周知するよう求めた。<上記より抜粋>

そもそも、各教員が学生一人一人を指導し、なおかつその学生に関して「生成型AIを使い、なおかつそれに頼り切った論文など(上記で言えば読書感想文など)を作った場合には、それを見破る力」が各教員に要求され、それを持てない教職員を排除するような状況にならなければならない、学校はそのような厳しい所になり、教職員はその力を保有することが条件になり逆にそれが教育になるということになろう。

逆にそのような力がない人が教員になった場合は、「AIでは学べないことを人間から学ぶ」ということにならなければならないはずである。つまり記憶に頼り、その記憶をそのまま生成するような内容ではなく、精神的または人間的な感情面や倫理観の内容を作ることが重要になるということになる。そしてそのような精神的そして倫理的な情緒を作ることが、人間としての教師の必要性であり、なおかつAi出は出来ないことというようになるのであろう。

その意味では「学校教育」や「大学受験」は、「記憶教育」ではダメだということになり、そのような内容になって来るのではないか。そうならなければ、つまり現在のような記憶教育と偏差値で物事を判断するのであれば、AIだけで、人間はAIに知識を教えてもらえばよいということになってしまうのである。

今回はかなり柔らかなガイドラインであるが、その最終形態が見えているのか。教育の現場はそのことが問われている。

宇田川源流

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