「宇田川源流」【大河ドラマ どうする家康】 「物語は悪くないがCGなどが」という歴史好きの声

「宇田川源流」【大河ドラマ どうする家康】 「物語は悪くないがCGなどが」という歴史好きの声


 毎週水曜日は「宇田川教育論」か「大河ドラマ」に関してお話をさせていただいている。ニュースの解説ばかりでは肩が凝ってしまうので、一週間の真ん中は少し気を抜いた話ができるようにということで、大河ドラマに関しては「現在よりも過去について、そしてテレビドラマということに関して話をする」ということを、また「宇田川教育論」に関しては「若者を教育するということを通して、日本の将来を考える」ということをテーマにしている。要するに水曜日は、いつの間にか「現在ではなく、過去や未来を語る日」というようなテーマになりつつある。もちろんそのようなことをはじめから企画したわけではないのであるが、いつの間にかそのようなテーマになっている。

さて今回は久しぶりに大河ドラマ「どうする家康」について書いてみたい。

どうも今一つ人気が高まらないという感じがしないでもない。私の周りだけなのであろうかというような気がするが、そうでもないような感じでもある。しかし、見ていれば「ストーリー」は全く問題がない。もちろん、脚色などはなかなかであるし、歴史の新解釈などもかなりふんだんに入ってきている。実際に、「王道」というような歴史(徳川家康)物語とは異なる。しかし、それだけに見ごたえのあるストーリーになっている。

そもそも大河ドラマはあくまでも「ドラマ」である。つまり「物語」であって、史実や歴史の勉強ではないのである。その意味では、脚色やストーリー性が高くても全く問題はないということになるのではないか。そこは歴史ではない、ドラマであるということをしっかりと強調すればよい。もちろん、あり得ない話をしてはだめだ。例えば、戦国時代に携帯電話があったり、本能寺の変の後に織田信長が生きていたり(明智光秀は、生きのこって天海和尚になったという説まあるが)というようなことはさすがに「史実と違う」というようなことになる。しかし、実際に当時の時代にありえる話で、完全に否定できない内容であれば、書きこんでもよい。実際に、「どうする家康」の中でも、事前に徳川家康と武田信玄が会ったというような話がある。記録などを調べたうえで「ココならば他のエピソード(史実や記録)と無理がない」ということでやったのであろうから、問題はないと思われる。

「武田騎馬隊のCGひどすぎ」「馬に優しい撮影」 NHK「どうする家康」合戦シーン演出に賛否

 2023年6月11日に放送されたNHK大河ドラマ「どうする家康」第22話で、騎馬隊の演出をめぐり、視聴者の間で賛否の声があがっている。

   迫りくる騎馬隊に向かって鉄砲を放つ

 今回のエピソードは、長篠城をめぐって織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍との間に起きた長篠・設楽原の戦い。徳川家康(松本潤さん)は、馬防柵を作るばかりの織田信長(岡田准一さん)に不満を抱き、武田の背後から夜襲をかけることに。作戦は功を奏し、武田勝頼(眞栄田郷敦さん)軍のほうから攻撃をしかけてくる。

 兵力で大きく劣る勝頼だが、「目の前に、信長と家康が首を並べておる。このような舞台はもう二度とないぞ」と自軍を鼓舞。戦国最強と呼ばれる騎馬隊とともに設楽原へ。一方、織田軍はこの瞬間を待っていたとばかりに、迫りくる騎馬隊に向かって鉄砲を放つ。「三段撃ち」で3000丁もの鉄砲を使用し、武田軍は敗戦。壮絶な戦場を目にした家康の息子・信康(細田佳央太さん)は「これは、なぶり殺しじゃ...」と唖然とするのだった。

 インターネット上では騎馬のCG技術をめぐり意見が割れた。ツイッターでは、

「CGなもんだから馬の首の動きがみんな一緒...」

「武田騎馬隊の馬CGがひどすぎて、あそこまで稚拙ならもうあのシーン馬入れないほうがよかったのでは」

などと、映像の違和感を指摘する声があがる一方で、

「武田騎馬隊の馬CGは確かに苦笑してしまったけど、あれだけの馬がそもそも用意出来ないし、でも迫力は出したいしで妥協案かなとは思いました」

「確かに馬のCGは拙いが、馬に優しい撮影をしてくれてありがとう」

などと、撮影用の馬に配慮する声もあがった。

2023年6月13日 7時0分 J-CASTニュース

https://news.livedoor.com/article/detail/24415190/

 テレビドラマの問題の最も難しいところは、そのような「ストーリー」ではなく、「演出」や「画像」である。そして、それがあまりにもおかしな話になれば、さすがに「これはちょっと」とおもってしまう。視聴者というのはわがままであるので、「あり得ない映像」を見てしまうと、そちらが気になって、せっかくの秀逸なストーリーが頭の中に入らなくなってしまうことがある。そのようなことでは問題になってしまうのではないか。

その問題を解決するためには二つの方法がある。一つは昔NHKが使った手法で「人形劇」にしてしまうということである。人形劇の三国志は、当然に「人形劇」であるので、リアリティはない。しかし、その人形劇は非常に素晴らしいと評価されている内容であり、馬の映像などもすべてその流れで出てきていた。逆に人形であるというリアリティの無さが、かえって、視聴者の頭の中で本物の映像を結ぶことになり、そしてより現実味が増すのである。つまり、「人形という現実ではないと誰もが認識している内容を使うことによって、かえって人形が生きている実際の人間が演じている以上に、想像力がそれを補完して現実味を帯びる」という手法である。この手法は、人形劇などで非常にお金がかかるしまた、その動きなども非常に素晴らしく作らなければならないことなどから、なかなかやらないのであるが、やれば大概の場合素晴らしい作品になる。

そしてもう一つは「全てにリアリティを追求する」というものだ。しかし、それもなかなか難しいので、「現代人がそうであろうと認識する内容」つまり「らしさ」の追及をする」ということになる。こちらは解説廃必要ない。まさに普通に見える内容で演じるだけの話である。

さて、この中間というのがある。つまり「人間が演じながら、CGなどは作りものであるという味を出して演出する」という方法である。人間が演じていながらも、その途中に紙芝居などを入れる手法だ。要するにこれらは「視聴者を信用して、ところどころで視聴者のイメージによって補完してもらう」ということを前提とした手法であろう。

「武田騎馬隊の馬CGがひどすぎて、あそこまで稚拙ならもうあのシーン馬入れないほうがよかったのでは」<上記より抜粋>

さて、このような意見が出てしまうということは、まさに「視聴者の補完機能」を全く考えていないということになる。これは「ぷろゅーさーなどが歴史付きで時代考証の人がしっかりと口を出し、金をかけて行う」という現実の内容であれば、その通りになるのかもしれないが、残念ながら「歴史好きではない人が仕事でやっている」のか、あるいは「何らかの事情で妥協してしまっている」のか、いずれかはわからないが、補完機能にも頼らず、また、現実にも近づけないというような「中途半端」な映像を作ってしまったということが、ストーリーに没入感を持たせない「稚拙さ」と視聴者が感じる内容になってしまっているのではないか。

大河ドラマにおいては、「合戦シーン」というのは、人の生死という、死生観をしっかりと出す素晴らしい場面のはずなのだが、その部分の演出であっただけに至極残念と思っている人が多いのではないか。

宇田川源流

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