「宇田川源流」 ジェンダーレスの究極の形はなぜか批判殺到という「ジェンダーレストイレ」の愚

「宇田川源流」 ジェンダーレスの究極の形はなぜか批判殺到という「ジェンダーレストイレ」の愚

 以前から「ジェンダーレス」という話に関して、「本当にジェンダーレスであるならば、風呂もトイレも男女をなくすべきではないか」という主張を、少なくとも「土曜日のエロ」でしてきた。「男女差別をなくそう」というスローガンは別に反対すべきではないが、しかし、「女性が……」などと言う主張をする、例えば、テレビなどにたまに出てくる(最近見ることが少なくなった)田島某とか、そのような人々に関して言えば、「『女性』と主張して特別扱いを求めること自体が、逆差別に当たる」というようなことを感じていた。また、そのように感じていた人も少なくなかったようで、1980年代に日本社会党が当時土井たか子委員長で「マドンナ旋風」なるもので、女性票を集めたとき以来、全くそのような主張で政治的な動きができることはなかった。

日本の「差別議論」というのは、結局「今まで虐げられていたのだから、ある程度の特権を認めるべき」というようなことに繋がり、また、その様につなげて主張することによって、政治的な「集票活動」に繋げるという政治的な動きにしてしまうので、あまり指示できないというような人が少なくない。マスコミなどは、この動きを見て「日本は保守的」などということをいうが、実際には「過激な上下逆転理論を展開し、真の平等が全くわかっていない政治的なポジショントークに嫌気がさした人が多い」ということに他ならないのだ。

さて、以前にも申し上げたが、私の大学時代の刑法の論文は「刑法強姦罪における男女不平等」についてというものであり、当時が「強姦罪」は男性が女性に対して強引に姦淫した場合に限られており、女性が男性を強引に犯した場合は「強制わいせつ罪」にしかならない。強姦罪の場合は、最高刑が死刑になるのに対して強制わいせつ罪は最高刑で懲役3年であるという不平等をどのように考えるのかということを書いたものであった。

私自身は「真の平等とは、男女がお互いの違いを尊重して、それぞれの特徴(性質)を活かして、社会に貢献する事」であると考えているのである。アリストテレスは、均分的平等は、いわば個性の差を無視した頭割りの平等を意味し、これにたいし配分的平等は、ひとしきものはひとしく、ひとしからざるものはひとしからざるように扱うもので、正義の最高形態と定義している。まさに、現在の男女平等議論は、「均分的平等」を求めているのではなく、正義の最高形態である配分的平等を求めているモノではないということが大きな問題なのである。

その結果どのようなことになるのか、というおもしろい例が出てきたのである。

男と女が隣で用を足す「歌舞伎町タワー」共用トイレに批判殺到…化粧直しの女性と目があった男性記者は恐縮しきり

 新宿・歌舞伎町の新たなシンボルとして、4月14日にオープンした「東急歌舞伎町タワー」。地上48階、地下5階で、高さは225メートル。映画館やフードコート、劇場、ライブホールなどを兼ね備え、鳴り物入りで開業したばかりの同タワーだが、早くも大炎上している。

 問題となっているのは、2階にあるジェンダーレストイレ。要は、性別に関係なく誰でも利用できるのだが、男性の小便用トイレを除き、すべて共用なのだ。いわゆる「大」のほうは男女が隣同士で入ることもあるため、性犯罪などのリスクが指摘されている。

 実際、SNSには、

《手を洗うところもメイクを直すところも男女入り乱れるのあり得ない》

《ジェンダーレストイレになった意味がよくわからないですね。普通に女子トイレが無くなっただけで、何をどう考えて女性が割を食うわけ!?》

《そもそもジェンダーレストイレなんて言い方がしゃらくせぇわ。昭和前半の「共同便所」だろうがよ。退化してんだよ》

 など、苦言や批判が相次ぐ事態に。当の歌舞伎町タワーにも問い合わせが殺到しているようで、19日、公式サイトに「東急歌舞伎町タワー2F 個室トイレについて」との文書が掲載された。

 同文書によると、このトイレは《国連の持続可能な開発目標(SDGs)の理念でもある『誰一人取り残さない』ことに配慮し、新宿歌舞伎町の多様性を認容する街づくり》のため導入されたという。

 防犯対策として、

・警備員による巡回

・防犯カメラによるトイレ共用部の常時監視

・カメラ画像解析

・SOSボタン、長時間滞在と騒音による異常を検知した場合の警備員による駆け付け

・清掃員による高頻度の清掃実施

・夜間の電子錠によるロック(店舗利用者のみ使用可)

 などの施策を実施しているとした。

 実際のところ、このトイレはどのようなものなのか。4月21日、本誌記者も訪れてみた。

 2階に上がると、すぐにサイバーパンクな世界観が広がるフードコート「新宿カブキhall~歌舞伎町横丁」が目に飛び込んでくるのだが、共用トイレが設置されているのはこのフロア。ということは、酒を飲んで酔っ払った男女がトイレ内で鉢合わせする可能性も高そうだ。

 フロアに警備員は巡回していたが、記者がトイレに行くタイミングでどこかに行ってしまい、しばらく戻ってこなかった。これでは立哨警備(不審者がいないかどうか立ったまま監視)になっていないのではないかと感じた。

 トイレに行ってみると、左手に「男性用トイレ」(いわゆる男性用の小便トイレ)、右手に「男性用トイレ」「女性用トイレ」「多目的トイレ」「誰でもトイレ」と指示されている。どっちに行けばいいのか、急いでいるときは慌ててしまうだろう。

 共用トイレを覗くと、洗面台エリアでメイク直し中の女性が複数いて、目が合ってしまった。「あれ? ここで合ってる?」と戸惑っていると、男性2人組が物珍しそうに中に入って見物して回っていた。こういう人は今後も多発するだろうが、女性は嫌なのではないか。

 女性と目があって思わず恐縮した記者だが、気を取り直して中へ。しかし、やはり同じ空間に女性がいる違和感はどうしても拭えない。

 共用トイレは入室中に赤いランプが灯り、空室になるとランプが消える仕組み。空いているトイレに入ってみると、ドアの造りはしっかりしており、きちんと消音ボタンもついている。上から覗くこともできないが……しかし、ここを男女共用にする意味が率直にいってまったくわからない。

 また、酔っ払った若い男性などが、ここに入ってきて「お姉さん、一緒に飲もうよ」などとナンパするケースも容易に想像できる。SNSでは、こんな “被害” も報告されている。

《中の個室のトイレ入ったらドア閉めるときに手洗いスペースのとこにいた男がこっちくるのが見えてドア閉めたあと隣に誰か入った音がして、なんか嫌な感じしたから用足さずすぐ個室出たんだけど、そしたら隣からその男がすぐ出てきて明らかに挙動不審》

《男女混合のジェンダーレスエリアで酔っ払いがトイレに辿り着く前に吐き散らかしてて、こりゃ女性も迷惑極まりないよなと、、》

「誰一人取り残さない」はずが、ジェンダーレストイレによって、むしろ女性たちは取り残されてしまったのではないか――歌舞伎町タワーはこの状況を打開できるだろうか?

4/22(土) SmartFLASH

https://news.yahoo.co.jp/articles/ed3d03470236cb10102fa12a343081e73a6b2fb1

 少し記事が長かったかもしれないが、まさに、「男女平等」を「男女均分的平等」として、現在の日本のジェンダーレス主義者たちの主張を形にするとこのような形になるということになろう。

昔、毎回参議院議員に立候補していた雑民党の東郷健(故人)氏は、「おかまの人権」(現在この言葉を使うと差別用語かも知れないが、当時このように本人が主張していたのでそのまま使うことにする)ということを言い、なおかつ男性性器の名称をNHKの政見放送で連呼したことに対して、NHKが「ピー」音を入れたことは選挙妨害に当たるとして長年裁判をしてきた事でも有名だ。この時の主張は「おかま用に、お風呂屋さんは男湯と女湯と『おかま湯』を作るべきだ」という主張をしていた。もちろんこの主張で当時は参議院になれることはなかったのであるが、しかし、現在ならばもしかしたらNHK党(この政党も今は名称変更したが)のように議席を獲得したかもしれない。ある意味で際立った内容であったような気がする。

現在の「ジェンダーレス」は「性同一性障害の人のために、男女差別をなくす」ということを主張する。これが、アメリカなどにある肌の色の差別や、宗教による差別などに関しては、例えば「白人しか入ることのできない店を排除する」などでよいと思うが、男女というようなことになると話は全く変わってくる。外国では、性同一性障害を解消し、性器を取った「元男性の女性アスリート」が、スポーツ大会に出場して優勝するという事態が起き、その事で元男性のスポーツ大会出場を禁止する法案などが審議されている。まさに、「性同一性障害」という精神的な問題とスポーツという先天的な体力差を、同一に扱うこと、つまり「均分的な平等として扱うこと」そのものがおかしい、というか「かえって平等ではなくなる」ということに気づきつつあるのである。

しかし日本ではそのようになっていない。そこで「トイレ」が「男女兼用」になるという。

《中の個室のトイレ入ったらドア閉めるときに手洗いスペースのとこにいた男がこっちくるのが見えてドア閉めたあと隣に誰か入った音がして、なんか嫌な感じしたから用足さずすぐ個室出たんだけど、そしたら隣からその男がすぐ出てきて明らかに挙動不審》<上記より抜粋>

まあ、このようなことは十分にありうるであろう。芸能人の渡部某に関して言えば、このようなトイレがもう少し前にできていれば、「多目的トイレ」で女性と淫行をすることなく、もう少しごまかしようがあったのではないか。逆に、その渡部某の真似をして、広く女性に声をかけたり、トイレでないか別な用を足そうとする人も少なくなくなるのではないか。そのような問題が多発することは明らかである。

しかし、それが「ジェンダーレスの人々の主張する真の男女平等であり、トイレも風呂も男女の垣根がなくなる」ということであろう。逆に言えば、「女性的な恥じらいを持った、ジェンダーレス的な考えを持っていない女性の権利を著しく侵害している」ということにしかならないことに、いまだに気づかないということになるのであろう。個人的には、そのようなことは関係なく、トイレではなく混浴の風呂が多くなってくれることは、ある意味で歓迎すべきことなのかもしれないし、また江戸時代などは、風呂屋は全て湯浴着着用で男女平等であったことを考えれば、それも伝統文化なのであろう。しかし、トイレなどで言えば、「簡単に盗撮をする事件が発生する」というような犯罪の温床になることは間違いがないのではないか。

まあ、主張がどのようになるのか、自分たちで自分たちの考えをしっかりと考えておく必要があるのではないか。それができないのであれば、過激なことを言い「訳も分からない平等を振りかざす」事は控えるべきではないかと思うのは、少し言いすぎなのであろうか。

もう一度言うが、私は男女差別主義者ではない。しかし、現在のジェンダーレス主義者が主張している内容をそのままにすれば、歌舞伎町タワーのようになるということに他ならない。同性愛者が「今のジェンダーの動きに同調するものではない」と主張して記者会見を行い、「差別はおきていない」ということを主張し始めたが、まさに、マスコミやジェンダーレス主義者の政治的な動きそのものがおかしいということなのではないだろうか。そのことを指摘する人がもっと多くてもよいのかもしれない。

宇田川源流

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