「宇田川源流」【宇田川教育論】 そもそも大学受験の「女子枠」というのは逆差別ではないのか

「宇田川源流」【宇田川教育論】 そもそも大学受験の「女子枠」というのは逆差別ではないのか

 水曜日は、「宇田川教育論」をお届けしている。たまに「大河ドラマ」に関して書くこともあるのだが、さすがに最近の「どうする家康」はあまり書きたいというような感覚にならないのである。どうも、やはり私の知っている家康とは異なるということまでは良いのであるが、それだけではなく、何かバタバタしてしまっている。

大河ドラマの場合、何か「重厚感」ということも必要であるし、また、40週を超える放送で、人の一生を描くということも重要になってくる。その意味では、「伏線」や「人間関係の複雑さ」「人間の心理の中の根底の部分の変化」など、目に見えない、即物的な内容ではないことが重要になってくるのであるが、残念ながら、そのようなことが「最近の人気の脚本家」には出来ていないのではないか。宮藤官九郎さん・古沢良治さんといった最近の人気脚本家ということになると、「短い時間にいくつもの山場を作り、その山場のつながりで笑いや物語の内容を作る」ということになる。その為に宮藤官九郎さんの「あまちゃん」は、もう10年も前の話になるが、朝の連続テレビドラマ小説のような「15分ドラマの連続性」の中で、しっかりとした人気を作ることができた。つまり「一話の中に山場を作り、その一話の山場を一週間続けて物語を変化させてゆく」ということができるようになった。しかし、その手法は45分の大河ドラマでは通用せず、物語の起伏が多すぎて落ち着きのない物語になってしまうのである。そのことが、「歴史ファン」にはなかなか面白くないということになってしまうのではないか。

さて、今回は、そのような話をしたいのではなく「教育論」で話をしよう。

同じような感じで「周辺が良いと思ってやったこと」が、なぜか「本人にとってはあまり良くない」ということになってしまうことは少なくない。まさにそのことが、今回の問題である。それは「大学入試の女子枠」ということである。

大学入試の「女子枠」 いる? いらない? 中高生がラップで表現

 若い世代に、社会問題について考えたり表現したりする楽しさを知ってもらおうと、毎日新聞は3月下旬、東京都内で中高生向けの「ジャーナリズムワークショップ」を開いた。Z世代と双方向型の新しいメディアを創造する「毎日新聞×Z世代プロジェクト」の一環。生徒らは大学入試の「女子枠」をテーマに話し合い、自分たちの意見をラップで表現した動画を完成させた。

 ワークショップは4日間開かれ、都内の中学、高校の女子生徒計10人が参加。毎日新聞の記者から、新聞の役割や記者の仕事について説明を受けた後、大学入試の女子枠について報じた新聞記事を読んだ。

 記事は、海外と比べて日本では理工学系の女子の割合が少ないことから、東工大や名古屋大などで女子に限った募集枠を設ける動きが広がっているものの、一部では「男子への逆差別」などの反対意見も出ている――という内容。

 参加した生徒らは「女子だから得をしたと思われるのは悔しい」「女子の意見を理系分野に取り入れることも必要」などと活発に議論。そのうえで、「多様性の確保につながる」などの理由から「女子枠に賛成」の立場で意見をまとめた。

 3日目には、ラッパーのマチーデフさんを講師に招き、自分たちの意見を基に、韻を踏んだラップの歌詞を作成。その後、「AIラッパーシステム」を使い、新聞記事と生徒らが考えた歌詞を素材にしたラップ調の動画が完成した。

 できあがったラップでは、理工系の男女比率のいびつさを指摘し、「このままじゃずっと変わんなくない?」「やってみないと分かんなくない?」と、社会が変化することの大切さを強調。「可能性を見いだす一発勝負」「多様性をインストール」などと訴えた。

 参加した中学2年の生徒は「最初は『自分なら女子枠を使いたくない』と思ったが、議論するうちに将来を見据えて必要ではないかと考え直した。ラップにすることで、多くの人に伝えるにはどうしたらいいかを考えることができた」と振り返った。

 高校2年の生徒は「作成したラップをきれいな映像にしてもらって感動した。これからも、いろいろなことにアンテナを張って情報を集めていきたい」と語った。

 「AIラッパーシステム」は、広告代理店の博報堂が設立し「創造性」に特化した研究を進めている「UNIVERSITY of CREATIVITY」(ユニバーシティ・オブ・クリエイティビティ)が開発。これまでに、「ブラック校則」や「ルッキズム」などについて論評した新聞記事を素材にラップ調の動画を作成し、動画投稿アプリ「TikTok(ティックトック)」で配信している。【大平明日香】

毎日新聞 2023/3/31 11:30(最終更新 4/1 04:42)

https://mainichi.jp/articles/20230331/k00/00m/040/057000c?utm_source=smartnews&utm_medium=android&utm_campaign=smartnews

 はっきり言って私は「女子枠」は反対派である。そもそも「性別で枠を設ける事」が正しいのかということになる。そのことはある意味で逆差別になるのではないか。この事は「上層部」に関しては何の問題もない。

例えば、定員100名の大学があるとしよう。1位・2位の人が女性であろうが男性であろうが、そのようなことは関係がない。その人は男性であっても女性であっても合格するからである。しかし、「女子枠が10人」あるとしよう。男性で全体の91番目の人は、本来は、定員100名であるから合格になる。しかし、女子枠があることによって、10名が女性であるということになれば、当然に「91番目の男性」は「不合格になる」可能性が高いということになろう。しかし、ではその91番目の男性が不合格になり、「101番目の女性が合格になる」という場合、それは学校として正しい選択なのか?ということになる。

まさに、そのようなことそのものが大きな問題である。しかし、ある意味でこれらの内容は「辺境事例」でしかなく、また91番と101番の差は何かということでもあるのだ。「女子だから得をしたと思われるのは悔しい」「女子の意見を理系分野に取り入れることも必要」<上記より抜粋>という意見はある意味で「両方正解」である。というよりは「環境や状況によって異なる」ということになるのではないか。そのような「環境の違いによって、内容を見分ける必要がある」ということで、一般論として、全てを平易に語ることのできない問題ではないか。

実際には「記憶量による正解数で物事をはかるという試験制度」が良くないのであて、論文などでしっかりと大学入試を作れば「そもそも○○番目というような序列ができない」ということになるのである。そもそも「一時の試験」出決めることもできないし、また、「大学に入学時点で序列を決めることは、そのまま、大学内での成長の速度などを計っていない」ということになるのではないか。そのようなことが全く見えていない大学の入試制度そのものの問題でしかないのではないかという結論になる。

同時に「環境によって異なる」ということが本来の内容であるはずが、女子枠は必要というような平準化した「予定調和的な結論」を出すことにも、何か大きな違和感を感じる。そのような問題ではないはずではないか。ある意味で、もっとしっかりと物事を考え、個別の事情を勘案し、そして物事の「違い」を受け入れることが重要なのに、そのことができていない「教育イベント」があること自体が、なんとなく危険な感じがするのである。

宇田川源流

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