「宇田川源流」【宇田川教育論】 160字で論破せよ!記憶に頼らない試験がトレンドになる理由

「宇田川源流」【宇田川教育論】 160字で論破せよ!記憶に頼らない試験がトレンドになる理由


 今週も、水曜日は「宇田川教育論」をお届けしたいと思っている。大河ドラマ「どうする家康」は、まあ、それなりに書きたくなった時でよいのかもしれない。

ちなみに、「どうする家康」は、三河一向一揆を追えて家臣、特に裏切った者たちや疑いを持つ者の処遇をどうするかということになる。実に情けない徳川家康は、それなりにそれでよいのであるが、しかし、コンピューターグラフィックや当時の風俗などはあまりにも受け入れられない人が少なくない。周辺でも毎年大河ドラマを楽しみにしている人々が「今年のはひどすぎる」と言って見なくなってきていることが特徴的である。一応、私は見ているのであるが、しかし、さすがに感想、それも前向きな作品の感想よりも、演出や、中国や韓国的な当時の日本の風俗の方が目についてしまって、なかなかストーリーが頭の中に入ってこなくなってしまうのである。一向宗の寺院に女性が神社の巫女のように仕えているなどという事があったであろうか。層であれば「不犯の誓いを立てた上杉謙信」とかはどうなるのか、女高野と言われた室生寺等では、若い稚児が仕えて乱れた寺院になっていたのであろうか。そういうところもあったと思うし、延暦寺の僧兵などを見ていれば、そのようなことが見えてくるのであるが、しかし、そのような寺院ばかりであったのだろうか。

さて、「教育論」に戻ろう。

昨今の試験では「知識だけでは解けない問題」が増えている。日本の教育とは、昔ら「覚える」「覚えたとおりに行う」ということで記憶力を鍛えることだけが点数を取る秘訣になっていた。当時は今のようなAIは無かったのだが、計算機などはあった。要するに「計算問題」などは必要なく、計算機の使い方をしっかりと学べばよいのではないかというように思っていたし、電子辞書があるのであれば、辞書を使えば覚える必要はないのではないかと思っていた。それでも、なぜか試験というものは「覚える」というものが少なくない。それどころか、「試験のための試験」、法学部で使っていた用語で言えば「現実には起こりえないであろう限界事例」での処理の方法などを覚えさせられたのである。なんと「現実の社会で無意味なことを試験をするのか」と思っていた。

最近はやっと、そのような風潮が無くなってきたのではないか。

「160字以内で論破せよ」慶応義塾湘南藤沢中等部の受験の問題が話題に 出題意図は

 今年行われた中学受験で「論客が語る正論に反論せよ」という新しい切り口の問題が出題された。この正論を論破させる問題には、どのような意図が込められているのだろうか。

【映像】ひろゆき氏を意識? 中学受験で出た"実際の問題"

 「論客」とは、筋道の立った意見を持ち堂々と論ずる人、議論の巧みな人、議論を好む人のこと。近年、メディアで重宝される「あらゆるテーマに幅広い見識で鋭い意見を述べる有識者」を指す言葉だ。

 正論をもって相手を言いくるめるいわゆる"論破"に対して、アンチテーゼとなる問題が今年の慶応義塾湘南藤沢中等部の入試問題で出題された。

 それがこの問題だ。

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問題:あなたの目の前に次の意見を述べる人が現れたとして、あとの問いに答えなさい。

「甘いモノって、誘惑は強い割にだいたい体に悪いじゃないですか。肥満とか生活習慣病にも繋がるし。だから国なり県なりで税金をかけて、値段を上げていけば自然と国民・県民の健康が増進されるって思うんですよ。子どもの身体の生育に必要な部分もあるでしょうから、料理に使う砂糖とかは例外として、生活習慣病の人の食生活をある程度追いかけてみて、どう見てもいけないなぁと思うような品目だけでいいんですよ。課税しましょう」

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 一見、正論が並べられていて間違いがないように思えるこの文章。問題は「この人の意見に160字以内で反論しなさい」というもの。中学受験専門塾「スタジオキャンパス」の矢野耕平代表はこう分析する。

「問題文を見たとき『すごい皮肉だ』と思った。知識人やコメンテーターの方は(言葉を)いい切る人が多い。メディアで流されるような意見を鵜呑みにしないというか、『疑うことも必要だよ』というのを学校側が込めているように感じた」

「会話をしていると、思わず『そうだね』と言ってしまうことがあるが、一度立ち止まって、『今言ったことに瑕疵(かし)がないか』『どこかおかしいところや矛盾点はないか』『曖昧な部分はないか』と考える。自分なりに反論してみようとする能力があるかを試しているのではないか」

 ネット掲示板「2ちゃんねる」創設者のひろゆき氏や、米・イェール大学助教授の成田悠輔氏を意識しているのでは?と話す矢野代表。成田氏は、『ABEMAヒルズ』で「過熱する中学受験」に対して、次のように疑問を呈していた。

「受験に関してはみんなやり過ぎだなと思う。どちらかというと受験勉強や入試に過剰に適応してしまっていて、他のことをやるときに上手く路線チェンジができない人が多い」

 一見すると「正論」に見える問題文も、よくよく考えると反論する余地はあるという。では、先程の問題の場合はどのような答えが考えられるのだろうか。矢野代表の考えを聞いた。

「私だったら、『どうみてもいけないなと思うような品目だけでいいんです』という部分。"どうみてもいけないなと思うような品目"が非常に曖昧ではないか。そこの線引きはどうすれはいいのかと(反論する)」

 いわゆる"AIの時代"といわれる現代社会。人工知能の発達で、物事の答えが簡単に手に入る時代だからこそ「人間として試行錯誤する姿勢が問われている」と矢野代表は話す。

「AIは"思い悩む"ことはなかなかできない。自分たちが生きてきた中で、本当に試行錯誤して得てきた背景知識を総動員して、『自分だから答えられるものはなんだろうか。自分だからできることはなんだろうか』という"個のパワー"がこれから先の時代は求められていくのかなと感じている」

 人と対話して、相手の意見に反論するという中学受験の入試問題。『ABEMAヒルズ』では、中学受験経験者ということで番組MCの柴田阿弥アナウンサーと、成田悠輔氏の弟で起業家の成田修造氏がこの問題に挑戦。それぞれ次のように回答した。

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生活習慣病や肥満の原因は甘味物の接種以上に食事量の多さ、運動量の少なさに起因する可能性があり課税対象選別の難易度が高い。また、糖分の適切な接種は栄養素としてもストレス解消手段としても重要である。課税による制限よりも食習慣や運動習慣に関する教育や風土醸成に予算をかけ肥満や生活習慣病低減を狙う形が合理的ではないか。

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砂糖が体に悪い、とは言い切れない。生物学的女性はホルモンバランスが崩れるので月経前・中に甘いものを欲する傾向にある。 これはセロトニンの減少や血糖値が下がるためである。ゆえに、短期的に砂糖は有効で、入手しにくくなる事で、生産性低下、抑うつなどが起こり得るので、課税が健康増進に効果的かは疑問である。

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 上記回答のポイントについて、修造氏は「(相手意見は)『甘いものは体に悪い』と決めつけているが、体にいい要素もあるということ。それと『生活習慣や肥満は他の要因が大きいのでは?』という論点が大事ではないかと思った」と述べた。

 一方、柴田アナは「女性なので自分のフィールドに持っていったほうがやりやすいなと思った。あと、人とかぶらないほうがいいのではないかと考えた」と話す。

 首都圏を中心に激化する中学受験戦争。「子どもには中学受験をさせる意思はない」という修造氏は、子どもの教育や受験について考えを明かした。

「今の受験は、どちらかというと詰め込みもしくは勉強することを目的とした"受かるために受ける"人たちが多いイメージ。10~18歳ぐらいまでで僕が特に大事だと思うのは、自分が好奇心を持てるものを見つけたり、『自分ってどういう存在なんだろう』と考えた経験がどれだけあるか。この経験値でその後の伸びしろも変わると思うが 、今の受験はそれをほとんどやってくれない。それよりは、自然に触れたり、美術・音楽・スポーツに触れて、自分が好きなものや関心があるものに向き合う時間にした方がいいのではないかと思う」

(『ABEMAヒルズ』より)

ABEMAヒルズ 2023/03/01 11:00

https://times.abema.tv/articles/-/10069321

 論文試験なのに模範解答があるということ自体がおかしいのであるが、まあ、160文字くらいの記述ならば、ある程度の模範解答が出て来ることは仕方がない。はっきり言ってしまうが、社会に出てしまえば「模範解答」などは存在しない。回答があることを問題にしていれば、それは仕事をしていないか、あるいは笑われるだけである。そのことを考えれば、「常に答えのない究極の選択を求められるのが社会人であり、我々である」ということになり、そしてそのことを他の文化、他の宗教、他の言語の中で行うことが「グローバル」なのである。

そのようなことを考えれば、「模範解答がある問題ばかりを学生時代に解いていて、社会人になった瞬間に答えのない問題の前に立たされる」などと言うことはおかしな話である。教育そのものが、社会人として国をまたは世界を率いるまたはその中で役に立つということを学ぶ場であるということを考えれば、記憶教育をすることなどはの意味もない。日本人にの現在の教育はAIには絶対に勝てないということを担ってしまうのではないか。

では、教育とは一体何か。社会の構造を知り、その社会において役立つ能力をするということになる。そして、その社会の構造は、AIでも何でも「人」が中心でありそして人と人のコミュニケーションが中心になる。

さて、人は一つの考え方があり、その考え方は、どの観点を持つことによってその議論が変わってくる。同じ富士山の山頂を目指すにしても、山梨から歩くのか、静岡から目指すのか、飛行機で空中から落下傘で降りるのか、ヘリコプターや道を切り開いて来るまで行くなど、様々な方法がある。同じ目的でもその行き方が異なるように、目的が同じでも方法論は古語なる。そして、そのような目的論の中においても、どれが正解かわからないのである。

、修造氏は「(相手意見は)『甘いものは体に悪い』と決めつけているが、体にいい要素もあるということ。それと『生活習慣や肥満は他の要因が大きいのでは?』という論点が大事ではないかと思った」と述べた。

 一方、柴田アナは「女性なので自分のフィールドに持っていったほうがやりやすいなと思った。あと、人とかぶらないほうがいいのではないかと考えた」と話す。<上記より抜粋>

大人がやってもこのように「様々な意見が出てくる」ということになる。まさにこのようなことで様々な価値観と触れ、そして調整し、自分の意見を言うようになることが最も重要なのではないか。全ての答えを一つにするのではなく、様々な人の答えがあって、「皆違って、全てが正解である」ということを体験し、そのなかで相手を説得するためにどのようにすることが重要なのかということを考えるべきではないか。

教育は変わっている。では、古い記憶教育を受けた社会は、どう変わってゆくのであろうか。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

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