「宇田川源流」【大河ドラマ どうする家康】 今回はドラマから離れ徳川宗家の感想より
「宇田川源流」【大河ドラマ どうする家康】 今回はドラマから離れ徳川宗家の感想より
毎週水曜日は、大河ドラマ「どうする家康」について、適当に好き勝手なことを書いている。まあ、無責任にドラマに関して様々な意見を書くことができるのは、本当に楽しいのである。
基本的に多くの人はこのような文章を書くこと自体が苦であるというようなことを言う人が少なくないのであるが、実際に、私から考えれば「感想を友人たちと話している」というのと全く変わらない状態なのである。
さて、今回の「どうする家康」に関しては、あまりにも家康が「情けなさすぎる」ということになっており、また「史実」とされている今までの家康像やエピソードとは全く異なる。家康の妻の瀬名を夜伽役にするなどの今川氏真は全く聞いたことがないし、信長の妹市と徳川家康の関係なども全くわからない。そもそも、戦国時代の「弱ければ食われてしまう」世の中で、よく言えば心優しく戦いが嫌い、悪く言えば弱弱しく情けない家康が、なぜ様々な女性の心を射止めるのかは全く理解できない。
もちろんドラマであるから、「現代の価値観に寄せた」ということになるので、現代の女性の価値観がそのようになっているのであろうということはなんとなくわかるのであるが、それにしても弱弱しい主人公をそのまま見ていることは、従来の徳川家康ファンにはあまり評判が良くないということになる。
しかし、翻って考えれば、徳川家康は後の天下人で、その時代に徳川家康を悪く言う人はいない。その中で作られた「家康伝説」の多くは、家康を良く、または天下統一をさせた英雄譚に結び付けられるような形になっている。つまり「結果を見てから」の後講釈でしかない。それでは家康の実像は全くわからないのではないか。
そのように考えれば、今回の「弱弱しい家康像」は、もしかしたら本物の徳川家康像に近かったのかもしれないというような感覚になっているのである。
徳川宗家19代が大河に感想
徳川家康を祖とする徳川宗家で、徳川記念財団理事長の家広さん(57)が父・恒孝(つねなり)さん(82)から家督を継ぎ19代となったことをお披露目する「継宗の儀」が29日、東京都港区の増上寺で行われた。 徳川宗家の家督交代は今年1月1日付。徳川家の当主が替わるのは60年ぶりで、祝儀として行われるのは、江戸時代の第11代将軍家斉から12代家慶の生前交代以来、実に185年ぶり。
家広さんは式の後で記者会見した。放送中のNHK大河ドラマ「どうする家康」の感想を問われると「非常に面白く、エンタメ性も強い。日本のことを全く知らない海外の方に楽しんでもらえるのではないか」と話した。
また、徳川家康を演じる松本潤については「松潤さんは、非常に人間らしい若者らしい家康公のイメージになっている」と笑顔をみせた。「(家康は)生身の人間として喜怒哀楽がある生涯を送った人。見ている方に、感情移入していただけるとありがたい」とも話した。
この日の儀式は非公開で行われ、親族や徳川家に縁のある自治体の首長など関係者400人強が出席。歴史的な代替わりの儀式を見守った。【中山知子】
▼徳川宗家略系図 -は実子 =は養子 ※敬称略
<1>家康-<2>秀忠-<3>家光-<4>家綱=<5>綱吉=<6>家宣-<7>家継=<8>吉宗-<9>家重-<10>家治=<11>家斉-<12>家慶-<13>家定=<14>家茂=<15>慶喜=<16>家達-<17>家正=<18>恒孝-<19>家広
2023年01月30日 07時29分日刊スポーツ
それでは、有識者と言われる家康の専門家はどのように考えているのであろうか。単純に、家康の研究者や戦国の専門家が「時代考証」を行っているのであるから、その辺は「許容範囲」ということになろう。
私の聞いた話で、それも今回の「どうする家康」ではない作品のものであるが、「時代考証」とは「絶対にありえない内容を指摘する」ということであるが「ドラマ」に関して、そのストーリー性の流れを止めることはできないので、基本的には「あり得ないこと」以外は指摘しないということにしたという。
その方は民放のフィクションドラマ(あえて名前は上げないが現代の医者が幕末にタイプスリップするドラマ)の時代考証も行っている先生であったが、その作品などは「そもそもフィクションであり得ない話をしているのですから、時代考証と言っても、その肝になるところは全く指摘できない。
ペニシリンが日本で、それも江戸で世界初で発見され、実用されるなどはあり得ないし、そもそもタイムスリップということ自体が時代考証の範疇とは異なるということになる。
そのうえでの時代考証ですから、当時の医者に手術愛はなかったとか、生活風俗に関して少々アドバイスをしたくらいで、それ以外の事は何もしていないんですよ。まあ、後は視聴者からのクレームに応えるのが仕事ですかね」というようなことを言っていた。まあ、そんなものなのかもしれない。
では、「家康」の子孫はどのように考えるのであろうか。
上記のようには「松潤さんは、非常に人間らしい若者らしい家康公のイメージになっている」<上記より抜粋>というような話になっている。これは19代宗家の徳川家広氏の言葉である。まさに、「人間としての家康」をうまく表現した感想を出していただいている。伝説の偉人を、そのイメージを崩すようになってしまうのは、あまりよろしくないというような感覚があるが、一方で、伝説のまま、完全無欠のヒーローをそのまま引き継ぐことの難しさや、そのような人が現代に受け入れられないというような感覚を、一つでは見えているのではないか。
ある意味で「見ている人が、家康という偉人が自分たちに近いと考えることのできる作品」を作っているということになるのではないか。自分の考えに従っていないからという理由で今回のドラマを批判するのではなく、現代の視聴者とそこに訴えるメッセージということで、考えた方が良いのかもしれない。
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