「宇田川源流」 個人のブログなので書かせてください。高橋幸宏さん逝去の「無念」
「宇田川源流」 個人のブログなので書かせてください。高橋幸宏さん逝去の「無念」
本日は他の記事を書くつもりであったのだが、この訃報は書かなければならないということで、急遽記事を差し替えさせた頂いた。
まず、一人のファンとして、そして私に多大な影響を与えてくれた感謝を込めて、高橋幸宏さんのご冥福をお祈り申し上げます。
さて、私が小学生のころ、つまり1970年代の後半、77年とか78年という年代。音楽シーンというのは、「歌謡曲」「演歌」「ニューミュージック(フォーク含む)」辺りが全盛期であった。松田聖子さんや田原俊彦さんなどのいわゆる「80年代アイドル」と言われる人々の第一期がデビューした時くらいで、その時に新人賞で演歌歌手の神野美伽さんなども一緒に受賞できていた時代である。
そんな時代にNHKのニュースで一つの特集があった。それはYMOである。当時最先端であったレーザー光線を使ったライブと、歌詞のないポップな音楽が、外国人を熱狂させていた。その舞台にいたのがYMOだったのだ。私の記憶の中では、たまたま見ていたNHKのニュースがYMOとの出会いである。
はっきり言って衝撃の出会いであった。
当時、中学校受験のために基本的には部屋に籠って勉強することが少なくなかった。現在の受験生のように毎日塾に通うというようなことは、かえって自分の勉強ができなくなるなどと言って、塾は週二日で、残りは自分の勉強をしていた。その時の「受験勉強の友」と言えば、当然にラジオである。
そのラジオもなるべく「日本語」が流れる番組は避けるようにしていたが、そうもいかない。結局、音楽主体の番組、当時はNHKとFM東京しかなかったFM局に併せて勉強をしていたものである。そのFMでは、演歌やクラッシックに混ざりYMOの先進的な曲(少なくとも当時はそう思っていた)が流れていた。正直、かっこよかった。今でも、高橋幸宏さんの作曲した「RYDEEN」や「テクノポリス」などを聞くと、当時のことを思い出すのである。
「YMO」高橋幸宏さんが70歳で死去、「ライディーン」作曲…誤えん性肺炎で
人気グループのイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)で活躍し、代表曲「ライディーン」を作曲したミュージシャンの高橋幸宏(たかはし・ゆきひろ)さんが11日、誤えん性肺炎で死去した。70歳だった。葬儀は家族葬で行った。2020年に脳腫瘍で手術を受けたと公表。療養生活を続けていた。
東京都出身。1972年にサディスティック・ミカ・バンドにドラマーとして参加。78年には細野晴臣さん、坂本龍一さんとともにYMOを結成した。シンセサイザーを使った未来を感じさせる斬新なサウンドは、テクノポップと呼ばれ、ブームを巻き起こした。海外ツアーも成功させ、「ライディーン」を収録した79年のアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」はミリオンセラーを記録。テクノと歌謡曲を融合させた83年のシングル「君に、胸キュン。」(YMO作曲)もヒットした。
高橋さんは、切れ味鋭いドラムスに、情感豊かなボーカルでグループを支えた。デザイナーの顔を持ち、グループのファッション面もリード。メンバーが着用した「赤い人民服」は、鮮烈な印象を与えた。YMO以外にもソロや、鈴木慶一さんとの「ザ・ビートニクス」、原田知世さんらとの「pupa(ピューパ)」などのグループで作品を発表。俳優として大林宣彦監督の映画に出演するなど、幅広い活動で知られた。
昨年9月、音楽活動50周年記念のライブが行われ、親しいミュージシャンが登場したが、高橋さん本人は出演できなかった。
2023/01/15 18:13 読売新聞
カッコいいだけではなかった。「増殖∞」というアルバムで、スネークマンショーが曲の間に入っているという内容が出てくる。まさにラジオ放送のような形のレコード(当時はコンパクトディスクもないのだ!)が出てきた。はっきり言って、擦り切れるまで聞いた。そののち、散会の時の「サービス」というアルバムではスーパーエキセントリックシアターが、同じような位置づけで入ってきた。
スネークマンショーでは「向坂と桃内のご機嫌いかが1・2・3」などの健全なものから、すっかり下ネタのものまで、数多くの面白いコンテンツがあり、それだけで独立で出てきたし、スーパーエキセントリックシアターでは三宅裕司さんや小倉久寛さんなど、現在でも芸能界で活躍する人が数多く出てきている。YMOのように、「実力があり、その人々が本気で面白いことをするということが、実にかっこよく面白い」ということを教えてくれたのではないか。
その中で高橋幸宏さんは「偉大なる凡人」と自分でおっしゃっておられた。細野晴臣という天才と、坂本龍一という秀才、天才は「常人には理解できない」という特徴がある。常人に理解できないし、何でもが全て瞬間で思い付き形になってゆく。そのことから、作品にあまりこだわりや執着がなく、同時にそのことから既成概念などもすべて枠を取っ払ったボーダレスな内容ができる。それがまた新しいし、また全てにおいて素晴らしい出来になる。一方で秀才というのは「努力をすることが全く苦ではない」ということになる。そして突き詰めて物事を考え、ある意味で求道者のようなストイックさを発揮しその中で「今までの延長戦と自分の持っているすべての知識や知恵を使って新たなものを生み出す」という特徴がある。この二人の間に入り「偉大なる凡人」は、その二人の常人では測りきれないことを理解し、それを受け入れ、そのうえで、言い方は悪いがもっとも「俗っぽく」一般にわかりやすい形を提供する「偉大なる天才と秀才の中和剤」となっていたのであろう。このような組織は、優秀な組織であれば、必ず起きる。その時に「偉大なる凡人」と「ただの凡人」の差が出てしまうことによって、組織全体の評価も、またその功績も変わってくる。
「偉大なる凡人」は「凡人」ということを言っているが「常人に有らざる凡人」であったのではないか。これは決して「凡人」をけなしているのでもなく、高橋幸宏さんの音楽性が劣っているということでもない。少なくとも私にそのようなことを語る資格などはない。そうではなく、「凡人という役割をすることで、天才と秀才をうまく中和させるという組織内の天才であった」という事ではないか。
ラジオで、一度高橋幸宏さんにお会いしたことがある。おしゃれな幸宏さんに「高橋幸宏さんですよね。」といったら、にっこりして笑顔を返してくれた。そのうえで、上記の「凡人論」をお話したところ「凡人には凡人の良さも悪さもあるんだよ」と、かなり失礼なことを言ったかもしれないのに、笑顔で答えてくれた事を思い出す。そのうえで「笑いが、天才も秀才も凌駕する」ということを、無言で教えてくれたのではないか。そんな気がするのである。
正直に、もう一度お話したかった。
改めて、ご冥福をお祈り申し上げます。
0コメント