「宇田川源流」【土曜日のエロ】 アイドルからキャバクラ嬢へという「親和性」
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 アイドルからキャバクラ嬢へという「親和性」
今週も土曜日のエロということになったのであるが、まあ、なかなか今週も良いネタがある。一方で、今週のニュースはやはり「国葬」であろうか。本来であれば、「日中国交50周年」もあるし、北朝鮮のミサイル発射もある。ついでに言えば、ロシアのウクライナの東部4州併合ということもあったのであるから、まあ、様々なニュースがあったのであるが、それでもやはり国葬が最も話題であろう。
来週のブログではしっかりと「国葬」を、また、オンラインサロン「陰謀渦巻く世界情勢の中であなたが生き残る方法」(https://lounge.dmm.com/detail/2838/)では、来月10月で「国葬」を特集しようと思っているのである。まあ、あまりにも日本人が「国葬」ということを知らなすぎる。この日本のマスコミと左翼の人々の「非常識」には、さすがに驚くしかない。そもそも、死出の見送りに関して「予算」などと言うことをいうこと自体が訳が分からないし、また、死者に対しての暴言や無礼の数々はいったいどうなってしまったのであろうか。本当にここは「秩序と礼節の国日本」なのかと疑いを持ってしまう。同時にそれをあおるマスコミ。はっきり言って公共の電波を使う資格がある放送局は一つもないといってよいであろう。
「身体にこびりついて、落とさなければならない物、日本にこびりついて、落とさなければならない者、いずれもアカ」
まあ、先日Facebookに書いたのであるが、国葬に参加した保守系の大先輩が言った言葉なのであるが、うまいこと言うなと思う。確かにアカは落とさないと、どうもうまくゆかないし、気持ちが悪い。まあ、そんなものなのであろう。
葬儀というのは、「残されたものにとっての儀式」であり「けじめ」である。何しろ送られる側は、すでにこの世にはいないのであるから、関係がない。しかし、その残されたものと見送られるものの関係が、全てがわかる内容になっている。その意味では、日本に残した安倍元首相の国葬は、様々に考えさせられることがあり、何が日本を悪くしているかがよくわかるのではないか。
さて、しんみりした話は「精進落とし」しなければならない。
元欅坂46志田愛佳 銀座のキャバクラで働くことを発表「0から頑張ります」
2018年に人気アイドルグループ「欅坂46」を卒業した志田愛佳(23)が26日、インスタグラムを更新。銀座のキャバクラで働くことを発表した。
志田はグループ卒業後、ユーチューバーやモデルとして活動していた。インスタグラムには、勤務先とみられる店舗のインスタのアカウントをタグ付けし、黒の衣装に身を包んだ写真を投稿。「この度、NEXT銀座でお仕事を始めることになりました! 正直驚かれた方も沢山いらっしゃると思います。本当はずっと働いてみたかったけど無縁の職業だと思い中々行動に移す事ができなかったです」と明かした。
続けて「だけど周りの方に相談したら応援してくれる方が多く、人生一度きりなので働いてみよう!好きなことしてみよう!と思い決めました」とつづり、水商売については「楽しみな気持ちも不安な気持ちも沢山ありますが、本当に憧れてた職業なので0から頑張ります」と意気込んでいる。
2022年9月26日 22時0分 東スポWEB
https://news.livedoor.com/article/detail/22921280/
さてさて、精進落としと言えば「酒」なのであるが、その「酒」も、一人で飲むのと、大勢で飲む酒とは全く異なる。
そもそも「酒」とは「さ=稲の神様」の「け=食べ物」ということになる。それだけに「稲の神様」が作った結晶を蒸留し、そのうえで、発行させて「最も屈地に入れやすい液体」に変えたものであるということになる。日本の神社の儀式において酒を飲むということは、つまり、「神と同じものを食べる=同じ釜の飯を食い、神を取り込む」ということを意味しているのであり、そのことによって、神を身近に感じるのと同時に自分の祈りを現実のものに近づけ、神の承認を得るという作業になる。
当然に「精進落とし」で飲む酒とは「見送る人が迷わないように」ということと、同時に、「残されたものが頑張れるように」ということが祈願の中心になるものだ。まあ「精進落とし」という言葉自体が仏教用語なのになぜ神社の話をしているという疑問の人がいるが、日本の場合は「逆本地垂迹説」から「神仏習合」を考え、その双方の内容がリンクして発展してきているというところがあるので、その日本の歴史をしっかりと学べば、おかしなことを言う必要はなということになる。
さて、その「神」には「巫女」があり、当然に神社の儀式では「巫女」が酒を注いでくれる。日本の場合は、最近では南蛮の習慣を取り入れて「男女が交わって発展してゆく」ということをあまり考えなくなってしまっているので、大変に困ったものである。日本は、そもそも「国産み・神産みの伝説」も、全て伊邪那岐尊・伊邪那美尊の交わりから生まれてきたものであるとしているのであり、南蛮のように「神が個体を作った」というような考えを持っていないのであるから、それを個で分けさせることがおかしいということになる。文化にあっていないということが正しいのだろうか。
さて、その意味で「キャバクラ」というのは(かなり強引に持っていったなあ)、ある意味で日本の文化にあっている場所であろう。一応「風俗営業」と言いながらも建前上は「会話を楽しむ場所」であり、一緒に酒を飲むのである。
さて、芸能人が水商売をしているところもあるし、一方で「水商売から出てきた芸能人」も少なくない。双方ともに「身体(顔)を見せて・会話や演技で相手を楽しませる」ということをしているのである。元々芸能人は「河原者(現在では差別用語だそうだ)」というように言われていて、まともな住所には住むことができなかったということになる。しかし、それだけに「日本の河原者は芸も会話も達者」でなければ生き残ることはできない。当然に、その会話そのものが在れば、「性行為」は必ずしも必要がないということになるのである。
さて、欅坂46」を卒業した志田愛佳さんがキャバクラ嬢になるそうだ。まあ、残念ながら上記に書いたよウに水商売というのは「相手を喜ばせる」ということが中心にある価値観であり、それは「相手を知ること」「自分のできることを知ること」「自分を殺すこと」ということが重要になってくるのであるから、アイドルというように、何もしないでも皆があがめてくれるような立場とは全く異なるのである。その状況がうまくゆくかどうかは不明だ。しかし、他の水商売の女性と異なるのは「知名度」と「芸」の二つであろう。私は残念ながら志田さんと言われても、顔は思い浮かばないのであるし、まあ、最近の「○○坂」は、残念ながら全ての人の顔を覚えるのはすでに無理(モーニング娘の頃からその傾向にある)なのであり、同時にオジサン特有の「すべて同じ顔に見える」という現象に陥っているのであるが、まあ、取り敢えず上記にあるような「酒と男女」ということで頑張ってもらいたいものである。
ああ、もちろん、私はその店に行っても、よくわからないで終わるのであろうと思っている。
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