「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 源頼家と善児のそれぞれの死

「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 源頼家と善児のそれぞれの死


 毎週水曜日は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について書いている。今回、先週の土曜日(27日)の夜のTBS系列の情報番組で、三谷幸喜氏が出演していて、やっと大河ドラマの脱稿をしたということと、その脚本家の仕事ということをお話していた。自分のイメージでは、前回の最後のシーン、比企尼が善哉(後の公暁)に自分たちの呪いを伝える場面であったが、自分の脚本では、もっと遠くでそれほどボロボロではない草笛光子が、遠くからの絵甥を伝えるイメージであったが、演出や草笛光子さん本人の以降で、あれだけ近くで説得するようにし、また草笛さんが顔を汚すのをお好きな方なので、顔まで泥だらけにして(もちろん演出)行うという。

脚本家がどうしてもというときは「ト書き」にその旨を記載するのであるが、基本的にはそのような内容はほとんどが演出家や役者本人などが台本を読んでイメージし、そのうえで、演出を行うという。その意味では脚本というのは一つの方向性を示すものではあるが、一方で、脚本家が全てを決めるわけではないのである。基本的には現場で対応するというのがほとんどであり、台本一つの内容からの解釈というのはなかなか興味深い所かもしれない。

今回取り上げる善児に関しても同じで、三谷幸喜氏も演じている梶原善さんもそうで、自分が思っている以上に人気が出て、キャラクターが大きく出てきているという。非常に興味深い人物になり、また、暗殺という意味で、実際に歴史を動かす人物になった。何度も書いているが、このように「歴史書に実際に出てこない人物」というのは、小説やドラマの中で、「最もドラマの中で矛盾が生じる内容をすべて解消する」ということになる。私などはすぐに忍者を使ってしまうが、このように暗殺を専門に行う人物という設定も面白い。まさにその「矛盾の解消道具」であるから、「感情」や「表情」は一切かえないで、その仕事を淡々とこなす。その仕事をこなす姿こそが、なかなか面白いし興味深いということになる。そこに梶原善さんの演技のうまさが、ある意味で「善児の不気味さ」を醸し出している。そこが大河ドラマや鎌倉時代の清廉さからの対比で、かなり面白い構造になったことが、人気の秘密なのではないか。

「きれいなストーリー」だけではなく、そのようにダークな部分を全て引き受けることが「人間」を描くうえで最も重要であり、「建前」ではなく「本音」の人間が書けるのではないか。

『鎌倉殿の13人』頼家vs善児、まさかの結末に驚きの声続々「鳥肌」「地獄回」(ネタバレあり)

 小栗旬が主演を務める大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合ほか)第33回「修善寺」が28日に放送され、修善寺に幽閉された源頼家(金子大地)と暗殺を命じられた善児(梶原善)が対決。まさかの結末を迎えるとネット上には「鳥肌立った…」「息をするのも忘れるくらいの地獄回」などの声が続出した。(※以下、ネタバレを含みます。ご了承の上、お読みください)

 鎌倉では源実朝(嶺岸煌桜)を三代鎌倉殿とする新体制が始まり、北条時政(坂東彌十郎)が執権別当に就任。北条家が権力を磐石にする中、他の御家人たちは派手に権力をふるう北条家の人間を敬遠していた。一方、修善寺に閉じ込められた頼家は、自分こそ鎌倉殿であると考えて北条家への復讐を画策する。

 ある日、頼家が京の後鳥羽上皇に、北条家追討の院宣を願い出ようとしたことが発覚。時政と義時(小栗)は、頼家を討ち取る覚悟を決める。そして義時は下人の善児に頼家暗殺を命じる。

 その後、義時の息子・泰時(坂口健太郎)は、頼家に逃げるよう伝えるために修善寺を訪ねる。時を同じくして善児は修善寺へ潜入し、猿楽衆に変装し頼家に接近。泰時は変装した善児を見破り暗殺を阻止しようとするが、そこに善児の弟子・トウ(山本千尋)が乱入。泰時は気絶させられてしまう。

 そして対決することになった頼家と善児。頼家は一瞬の隙をついて善児に傷を負わせるが、背後からトウに襲われ絶命。その後、善児は雨が降る中、息を切らしながら「しくじった…」とポツリ。そんな彼を背後からトウがひと突き。正面に回ると、トウは怒りに満ちた表情で善児に「ずっとこの時を待っていた」とトドメを刺すのだった。

 頼家と善児の2人がまさかの最期を迎えると、ネット上には「鳥肌立った…」「言葉にならない」「壮絶すぎて気絶しそう」といったコメントや「いや本当、神回」「神回があるなら今日は闇回」「息をするのも忘れるくらいの地獄回」などの反響が相次いだ。

8/29(月) クランクイン!

https://news.yahoo.co.jp/articles/2e816d790207ad235a0844fc5fdf03d722e014c5

 ああて、今回は二代将軍の源頼家と善児が死んだ。毎回誰かが死んでゆく中で、予告編から「次はあいつが死ぬ」ということがよくわかる構造になっており、なかなか興味深い所であはある。

伊豆の修善寺は、今年の1月に湯治を含めて訪れ、源頼家に関しては「ここで殺された」とする風呂屋が現在も営業をしている。頼家に関しては完全に暗殺ということであり、頼家の側に立って守った若い御家人の墓も一緒にあるし、また、北条政子が頼家の供養のために立てた指月堂なども、ひっそりと建っている。その時に思ったのが、北条政子の筆とされる文字を見たが、本当に「男性が書いているかのような、しっかりとした力強い文字」であったということが思われた。

その北条政子の気象に比べて、源頼家は、なんとなく線が細いというか、心もとない感じがある。思慮に欠けるというよりは、「お坊ちゃまが、百戦錬磨の御家人の間で頑張って空回りしてしまった」という感じではないか。

風呂の中で殺されるということが伝わっている姿ではあったが、ストーリーは京都の後鳥羽上皇との間に軋轢があり、頼家が後鳥羽上皇についてしまって、北条を滅ぼそうとしたということになる。その京都からの死者を含めて猿楽が催され、その中に善児が入って暗殺を企てるということになるのである。

その前に北条義時と北条泰時の親子の葛藤がある。時房が「太郎(泰時)をあのままでよいのか」といい、義時が「あれは昔の私の姿だ」というシーンは、全ての親子が同じことを考えるのではないか。純粋に「理想論」をいい、その若さから突っ走るということが片方であり、一方で、それでは一族や集団や組織を守ることができないという「現実」がある。理想論を言い、その内容を推進するのはうつくしいことであるし、また理想であろう。しかし、多くの人が様々な欲をもって話をしている現実社会の中において、「理想論」を話すことなどは、全く無意味であり、それでは守るものが守れないのである。

現在の報道や社会も同じで「こうあるべき」などというのは簡単なのであるが、そのようなことで世の中は動かない。「理想論」と「現実論」のはざまにいて、常に現実論を選択し、最も組織を守ることの重要性を持たなければならないのではないか。そのことは、鎌倉時代も今も全く変わらないのである。欲望とは、そこまで理想論を完全に無視してしまう者なのではないか。

そして、前々回、その泰時の「理想論」から一幡を助け、そしてそこに情をかけた善児が死ぬということになる。暗殺者が情を掛けて人間らしくなった瞬間に、その人は暗殺者ではなくなってしまう。まさに、そのことが、伏線になり、その伏線に泰時の「理想論」という伏線がもう一つ重なるということになる。

多分この泰時は、承久の乱で後鳥羽上皇を滅ぼすときになって、やっと「北条を守る」ということの重要性、つまり組織を守ることの「現実論」に変わるという物語が、もう一つの伏線で用意されているのであろうと予想される。

善児も、源頼家と死闘を繰り広げている間に、一幡という書付を見て、手を緩め、そしてそのことから深手を負う。「しくじった」というところで、昔殺した親の子であろトウに「親の仇」として殺される、こちらも、トウの親を殺したという因果応報が伏線になる。暗殺者には暗殺者の中の因果応報があり伏線があるということになるのではないか。

この何重にも針葎された伏線の面白さが、今回の大河ドラマの面白さである。一回見ているでも人の生き死にがわかるのであるが、一方で、続けてみている人にとっては、いくつもの伏線がみえるということになる。その伏線の奥の深さが、現代を生きる人間の深みと共感を生むという構造は、さすが三谷幸喜氏であろうというような気がするのである。

来週は、源実朝に嫁を迎える。その時に、北条時政とりく(牧の方)の息子が死ぬという展開になるのであるが、そこにはどのような話になるのか、また、その内容から畠山重忠や和田義盛の乱の伏線が生まれてくるのである。

宇田川源流

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