日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄 第二章 日の陰り 7
日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄
第二章 日の陰り 7
拉致される。逃げなきゃ
青山優子はそのように思った。逃げなければ何をされるかわからない。大沢三郎のパーティーに行って、そのまま止まるのを拒否して拉致されたなど、あまりうれしい状態ではない。
あのままホテルに泊まっておけばよかった・・・・・・
しかし、そのような後悔はなかった。逆に、優子にとっては半分くらい「これで大沢三郎の呪縛から逃げられるかもしれない」というような、何か期待のようなワクワク感があった。
このような男女の関係というのは何か不思議なもので、自分の中では「もうやめなければならない」「いつかは離れなければならない」ということがわかっている。しかし、それまでの関係をなかなか自分から断ち切ることはできない。なぜか、別れようと思うとその人との良い思い出ばかりが出て来たり、偶然何か良い記念品などの土産が目についたりしてしまうのである。そうしているうちにずるずると関係が続いて行ってしまうのである。
何か大きなきっかけがあったり、または外的な圧力がなければ、別れることができない。青山優子はそんな女性であった。人と別れる時、それが不倫とわかっていればなおさら、自分から禁忌に身を投じたことがあり、いつの間にかその禁忌から離れられない。だめだとわかっていてもなかなか離れられないのだ。そして、その大きなきっかけに松原に「売られた」ということが有ってもおかしくはなかった。しかし、今回大沢三郎のパーティーの事務方を最後まで手伝ってしまっている自分に、どこか呆れていたのかもしれない。せめてもの抵抗が、このホテルに泊まらないということであったのではないか。「部屋をとってあるのに宿泊しない」というのは、せめてもの抵抗であったが、しかし、自分の中では、それが目いっぱいであった。
そのようなときに自分が拉致されたのである。大沢三郎と別れるという「大きなきっかけ」に、今回「拉致される」ということが変わってくれるのではないか。本来であれば「拉致される」というのはかなり大きな問題であり、場合によっては命を失うかもしれない危険があるのだが、そのようなことから、青山優子の心の中には、どこか、自分を大沢三郎との関係から逃げることができるのではないかというような、淡い期待にも似た感情が生まれていた。
「青山優子さんだね」
目の前の男、太田寅正は、リムジンの中についている冷蔵庫から白ワインを取り出すと、グラスに注いだ。そのワインを菊池綾子、自分、そして青山祐子に渡した。
「毒や薬は入っていない。疑うならば他のグラスに変えてもよいし、ワインでなくてもよい」
低いどすの利いた声で、太田はそう言った。
「いえ、このまま頂きます」
「いい度胸だ」
青山優子は、もらったグラスの白ワインを一気に飲み干した。かなり高級なものではないのか。口の中に淡い香りが残る。一気に飲むようなワインではないのだが、なんとなくこれでよいような気がした。
「頂きます」
綾子も、ワインを飲んだ。寅正も綾子に合わせて一口飲んだ。
「薬などは入っていないが、飲みすぎれば酔うのは仕方がない。」
「いいの、ところであなたは」
「銀龍組の太田寅正と申します。」
「あら、暴力団の親分が私に何の用事かしら。」
青山優子は、もう一杯注がれたワインに口を付けた。ちょっとおいしかったので、なんとなく嬉しい気持ちになった。そう言えば大沢三郎との間では、身体の関係が始まるまで、このような接待を受けていたし、食事も難解も誘われた。しかし、身体の関係になってからは、いつの間にか食事などもなく、ホテルの中に閉じこもるようなことばかりになり、いつの間にか、秘書と家政婦と夜の相手を全て一人でこなす女性に成り下がっていたのではないか。
久しぶりに、自分を大事にしてくれる感覚を味わい、ワイン以上の甘さを心の中で感じていた。
「結構いける口ですな」
太田寅正は、青山優子の質問をかわしながら、冷蔵庫からチーズを取り出した。
「リムジンなので、こんなものしかなくて申し訳ない」
「いや、ありがとう」
青山優子は差し出されたチーズを手に取った。
「ところで大沢三郎の話を聞きたいのだが」
「大沢先生のこと」
優子は、せっかくいい気持なのに、最も聞きたくない名前を聞いた。白ワインのアルコールが全身を包み込んでいたために、自分の感情を隠すことができず、いつの間にか露骨に嫌な表情をしているようだ。
「気を害されたかな」
「いえ、ちょっと思うところがあって」
「まあ、もう一杯」
太田寅正が言うと、横で綾子がワインを注いだ。優子は、ありがとうという意味でにっこり笑うと、口を付けた。いい感じでワインが回っている。
「大沢の何が知りたいんですか」
「天皇陛下暗殺計画」
太田寅正は、たった一言そういった。青山優子は、その太田寅正の、別夷声を荒げるわけでもない静かな一言に、全く逆らう気が失われた。
大沢三郎より大物だ。
青山優子はそう思った。愛人と思われる隣に座る派手な服を着た菊池綾子がなんとなく羨ましく思えた。自分はなんとつまらない大沢三郎などという男にはまってしまったのか。反社会的な損じであるというようなことから、接することもなく、話すこともなく、なんとなくイメージで毛嫌いしていた。しかし、人間というのはそうではない。このような反社会勢力であっても、この太田寅正の銀龍組に所属し、命を捨てる覚悟で何でもするような男たちが何人もいるのだ。他にやることがない、暴力意外に能力がないのではないかと思っていた。しかし、この太田寅正と話をして、断ったこれだけの言葉しか交わしていないのに、いつの間にかその世界に引き込まれている自分に気付いた。この太田寅正にはそのような魅力がある。
大沢三郎のような男にしか目がいかなかったのは、自分が人を見る目がなかったからだ。大沢三郎が悪いわけではない。しかし、その大沢三郎に比べて太田寅正は全く違った。大沢三郎が、様々立派なことを言っていても、結局は自分では何もしない口先だけの男である。それも付き合ってみてわかるが、結局その政策や考えも他人の考えをそのままもらっていて、自分の中でなんとなくまとめているだけである。その意見や政策をまとめているのは、青山優子たちであった。それに比べて、太田寅正は、口先のような話にはならない。付き合ったわけでもないし、また、深く知っているわけでもない。しかし、大沢のような口先だけの話ではなく、何か「身体を張っている」ということがよくわかる。その言葉一つ一つに命を懸けているような重みを感じるのである。
どうせ身体を捧げるならば、こんな男にささげたかった。
優子は、にわかに菊池綾子に嫉妬を覚えた。いや、嫉妬というよりは羨望かもしれない。社会的な身分もステータスもないかもしれないが、しかし、女性としては綾子の方がずっと上に感じた。女性は、付き合うとかそう言う意味ではなく、自分が信じる、そして応えてくれる男性がどんな人かということで価値が変わるのではないか。もちろん、それは女性だけではなく、男性も相手の女性によって価値が変わるのであり、別段フェミニスト的な考え方をしているわけではない。
「天皇陛下の暗殺計画ですか」
「ああ、話しづらければ・・・・・・」
「いえ、話しづらいことはありませんわ。でも、それを話せば大沢を裏切ることになります。」
「そうなるな」
「その分、私の面倒を見ていただけます」
青山優子は、急に「女」の目になって太田寅正に視線をながした。太田寅正は、一瞬菊池綾子の方に目を向けたが、その菊池は余裕で太田寅正の方を見ている。一晩くらいこの女と遊んでも自分のもとを離れるはずがないという自信があった。
「うむ」
「じゃあ、お話しますわ」
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