「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 カリスマ的権力者の「死」と権力の行方を見事に描いた第一章の終焉
「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 カリスマ的権力者の「死」と権力の行方を見事に描いた第一章の終焉
毎週水曜日は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について好き勝手書いている。前回「頼朝が死んだ」と書いてしまったが、実際は今回で頼朝が死んでいる。
まず何よりも、その頼朝の死の描写があまりにも素晴らしくて、驚いた。そもそも政子と頼朝が初めてであったときのエピソードを持ち出し、「これ、何ですか」というセリフを出して、次のカットで頼朝が死んでいる。政子は、一瞬頼朝が息を吹き返したことで喜び、そして、その後死んでいる頼朝を見て抱きつく。よく、人間は死ぬときに、今までのことが走馬灯のように頭の中を流れるというが、この頼朝と政子の間に、出会いの頃の初々しさと、そしてそれから培ってきた二人の間のきずなのような信頼、そして、二人にしかわからない愛情というこの内容を、「これ、何ですか」という一言のセリフのフィードバックで視聴者に感じさせる。まあ、なんという手法であろうか。
このシーンがあったから、北条時政や妹の実衣との「鎌倉殿」という権力者への感覚が異なるという、かなり深い物語になっているのではないか。実に素晴らしい。
今回の内容は「権力と人間」ということが見事に書かれている。
権力というのは、他の人々から見ていれば、何でもできる力のように見え、羨望の眼差しの大将になる内容であろう。しかし、その本人からすれば、自分の言葉で他人の一生を左右する、場合によっては命も奪ってしまうようなモノであり、毎日緊張の連続でありまた、心の中の葛藤が非常に大きなものである。
その権力を手に入れたいとねがうりく(牧の方)や実衣、道(比企能員妻)などの女の戦いと、実際に実台所として苦労した政子の「違い」が見えてくる。まさに「権力者の妻の実態」が良く見えている内容ではないか。
当然に、その内容に関しても北条時政・阿野全成という勢力や、源頼家、比企能員という人々の動きが生々しく書かれているのは、なかなか興味深い所ではなかったか。
カリスマの死と、権力の継承の難しさということ、そして権力者の人間性は、実はそれとは異なるところにあったという話が、しっかりと書かれている。
「鎌倉殿の13人」大泉洋 小栗旬から“手のひら返し”「頼朝さんは死ぬのが早すぎた」
俳優の小栗旬(39)が主演を務めるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜後8・00)は3日、第26話が放送され、俳優の大泉洋(49)が硬軟自在に演じ、圧倒的な存在感を示してきた鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の最期が描かれた。相次ぐ冷血な粛清により、SNS上には「#全部大泉のせい」というハッシュタグも出現し、憎まれ役となった今作の頼朝。それでも、大泉のコミカルな演技や“人たらし”ぶりが冴え渡ったため、オンエア終了後、SNS上には悲しみの声があふれ返り、瞬く間に「頼朝ロス」が広がった。ドラマ前半最大の立役者・大泉が撮影を振り返った。
<※以下、ネタバレ有>
稀代の喜劇作家・三谷幸喜氏が脚本を手掛ける大河ドラマ61作目。タイトルの「鎌倉殿」とは、鎌倉幕府将軍のこと。主人公は鎌倉幕府2代執権・北条義時。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男。野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。新都・鎌倉を舞台に、頼朝の13人の家臣団が激しいパワーゲームを繰り広げる。三谷氏は2004年「新選組!」、16年「真田丸」に続く6年ぶり3作目の大河脚本。小栗は8作目にして大河初主演に挑む。
第26話は「悲しむ前に」。落馬した源頼朝(大泉)の容体を心配する政子(小池栄子)。安達盛長(野添義弘)が涙に暮れる中、北条義時(小栗)は先を見据え、大江広元(栗原英雄)らと頼朝の嫡男・頼家(金子大地)を次の鎌倉殿とする新体制作りを始める。しかし、頼家の乳母父・比企能員(佐藤二朗)の台頭を嫌うりく(宮沢りえ)が、夫・北条時政(坂東彌十郎)を焚きつけ、この流れに対抗。鎌倉に不穏な空気が流れる中、狩りから戻り、父・頼朝の容体を知らされた頼家は…という展開。
政子らの願いは届かず、頼朝は荼毘に付された。事切れる前、頼朝は起き上がって縁側に座り、政子が運んだ食事の器を手に「これは何ですか?」。遺骨は生前、最もつながりの深かった盛長が運び、御所の裏にある持仏堂に納められた。
今作の頼朝は上総広常(佐藤浩市)、源義高(市川染五郎)、源義経(菅田将暉)、源範頼(迫田孝也)らを次々と粛清。その冷酷ぶりにSNS上には「#全部大泉のせい」というハッシュタグも出現し、何度もツイッターのトレンドに入る憎まれ役となった。一方、女癖の悪さが幸いし、長狭常伴(黒澤光司)(第7話、2月20日)や曽我十郎(田邊和也)五郎(田中俊介)兄弟(第23話、6月12日)の襲撃を回避し、命拾いする強運も。愛妾・亀(江口のりこ)のいる館が焼かれる「後妻(うわなり)打ち」の際の「ここまでするか?」(第12回、3月27日)、義時と比奈(堀田真由)を奪い合いになった際の「あっ、そう!(見送りは)無用である!」(第23話)など、幾度となく視聴者の爆笑を誘う演技は大泉の真骨頂となった。
役作りについて、大泉は「自分が演じる役ですから、皆さんが言うほど僕は嫌いじゃないです。彼がやってることはとても正しいというか。でも演じる上では、どこか孤独な人というか、ちょっと生い立ちが不幸だったなと思いますね。子どもの頃に家族を殺されて伊豆に流されてしまい、人をなかなか信用できないところがあるんだろうなと思う。頼朝なりの愛情はいろんな人にあったとは思うんです。政子や子どもたちだったり、義時や義経だったりへの愛情はもちろんある。ただ彼にとって一番大事なことって、自分のことや自分の一族のことなんですよね。すべては自分の、源氏の一族が末代まで繁栄できるようにということしか考えていないんだと思うんです。もちろん兄弟は大事なんだけど、自分に取って代わる可能性が一番あるのも兄弟だったんですよね、あの時代は。だから、やっぱり義経にしても、範頼にしても、排除せざるを得ない。そこがまた彼が孤独で人を信じ切れない人だからこそなんでしょうけど」と解釈。
「ただ、あの時代を見ると、兄弟を排除する、親を排除するというのが実はもの凄く多いわけです。今回はそこが見事に描かれちゃってるから、頼朝さんはどうしても嫌われちゃうんだけど“そんなの、みんなそうじゃないか!”と私は思ったりもするんですけど(笑)」とボヤいた。
第2話「佐殿の腹」(1月16日)のラスト、頼朝は義時に「おまえだけには話しておく。いずれ、わしは挙兵する。都に攻め上る。憎き清盛の首を取り、この世を正す!法皇様をお支えし、この世をあるべき姿に戻す!そのためには政子が、北条が欠かせぬのだ!良いな、事は慎重に運ばねばならん。このことは兄にも話すな。小四郎、おまえはわしの頼りになる弟じゃ」。以降、義時には本音を打ち明けてきた。
その理由について、大泉は「頼朝は、直感的な判断で人を見ていたと思うんですよね。義時については、もう会った途端から好きというか。小栗旬くんが演じている義時という人は、真面目だし、野心がない。そういうところを見ていたんじゃないですかね。結局、義時は頼朝に付いていって、頼朝をずっと見て、どんどん変わっていってしまうわけですよね。そこもまた『大泉のせい』って言われちゃんだろうな(笑)」と分析。
義時の“頼朝化”については「顕著になるのは頼朝が亡くなってからだとは思います。曽我兄弟の仇討ちの収め方とかも、義時ならではというか。そういう、とっても賢い人だっていうのを、頼朝は見抜いていたんじゃないですかね。でも“自分に似てきてるな”と思っていたかと言われると、僕はそう思って演じてはいなかった」とした。
第1章が完結し、次回第27話(7月17日)からは第2章の幕が開ける。
「この『鎌倉殿の13人』って、頼朝が死んでからが大事なお話というか。頼家の時代になってからが本番になる。だから当初、小栗くんとはLINEでよく“早く大泉死んでくれないと困る”とか“三谷さん、頼朝を描きすぎた”とか言ってたんだけど、最近、僕が死んでからは相当厳しい決断が続いているらしくて“いやぁ、頼朝さんは死ぬのが早すぎた”って手のひらを返された(笑)。頼朝がやってた厳しい決断を、今度は自分で下してるんだろうなと想像しているんだけど」と小栗とのやり取りを明かした。
[ 2022年7月3日 21:00 ]
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/07/03/kiji/20220703s00041000488000c.html
権力者というのは孤独である。その意味で源頼朝という権力者は、少なくともこのドラマの中では安達盛長・北条義時・北条政子と三人もの理解者を得ていた。その人々は、権力者の源頼朝と、人間としての源頼朝をしっかりと理解しており、そのうえで頼朝の進む道を補佐していた。このような心強い人がいれば、どんな権力者も偉業を成し遂げることができるであろう。この三人のうち二人が、承久の乱まで鎌倉を守るのであるから、なかなか面白い。つまり「源頼朝の意思が、この三人によって最後まで(少なくとも承久の乱まで)続き、そして武士に世の中を作り出す」ということになる。
「頼朝なりの愛情はいろんな人にあったとは思うんです。政子や子どもたちだったり、義時や義経だったりへの愛情はもちろんある。ただ彼にとって一番大事なことって、自分のことや自分の一族のことなんですよね。すべては自分の、源氏の一族が末代まで繁栄できるようにということしか考えていないんだと思うんです。もちろん兄弟は大事なんだけど、自分に取って代わる可能性が一番あるのも兄弟だったんですよね」<上記より抜粋>
源頼朝演じる大泉洋さんのインタビューの中から、このドラマの大泉洋さん演じる源頼朝が素晴らしかったということがわかる内容を抜粋した。要するに「愛情はある。しかし、その愛情よりも大事な価値観があり、それを自分の人生の中から選んでいた」ということでしかない。それを理解していたのが、北条義時であり、北条政子であった。
この二人はその後「源頼家」を盛り立てる。しかし、それが盛り立てられないとなると、雄平氏、その後実朝、そして、最後には北条が中心になって幕府を作り上げる。源頼朝の理想であった「鎌倉を盛り立てて武士の世の中にする」ということが、mっとも優先される内容になっている。
その政子が「本当は人間味のある頼朝であった」というのは、番組本編ではなく、最後の紀行の所で甲斐善光寺にある「頼朝像」の説明で「政子が知る頼朝」というナレーションに全てが現れていた。まさに、頼朝そのものの人間像が、そこに書かれているということになるのではないか。
実際の歴史は別にして、ドラマは現在を生きる人々に対して、歴史を題材に、メッセージを送ることである。そのような意味からすれば、今回のドラマは、少なくともその演じている役者がドラマの中の役柄を熟知し、セリフ以外の人間性まで理解して演じているということが素晴らしいのではないか。そのうえで「権力」や「人間性」「公の立場と私的立場」など、様々なことの示唆に富んだドラマではなかったか。
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