「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 やはり毎回誰かが死ぬ大河ドラマで久しぶりに笑いが出る「次の展開」

「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 やはり毎回誰かが死ぬ大河ドラマで久しぶりに笑いが出る「次の展開」


 毎週水曜日は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について、私が好き勝手に語ることになる。それにしても、三谷幸喜氏が「喜劇作家」というような言い方をされることがあるが、今回もしっかりとその本領が発揮され、非常に面白い感じになっている。ある意味で「閑話休題」的なところが今回の内容ではないか。

 先週、北条義時の妻であった八重が死んだ。その前は源義経。その前は木曽義高、そしてその前は木曽義仲、その前は上総広常と、ほぼ毎週誰かが死んでゆく展開。毎週「○○ロス」が激しくなっている状態であった。まあ、このほかにも、源行家、伊東祐親、大庭景親、平清盛などが死んでゆく展開であったが、その辺はロスはなかったような感じがする。今週もしっかりと「後白河法皇」が死んだ(崩御したというべきか?)。

 しかし、この後白河法皇は、少なくとも物語の中で、これら「○○ロス」といわれる原因を作った人ということになる。もちろん、ドラマではそのように書いてあり、「日本一の大天狗」というようなセリフにつなげるようになっている。このドラマを見ている人は、大泉洋さん演じる源頼朝の次に、嫌な役として、西田敏行さん演じる後白河法皇を憎んだに違いない。また、そのように仕向けるようなうまい演出であったし、さすがに演技も素晴らしい。に組まれる演技のすばらしさは、このお二人はかなり素晴らしかったのではないか。

 しかし、実際に史実であっても後白河法皇の身勝手で木曽義仲も源義経も死んでゆくことになる。そしてそのことから静御前も木曽義高も命を落とすことになってゆくのである。後白河法皇からすれば、当然に「朝廷を守る」だけではなく「武士に実権を渡さない」という、朝廷のコントロールを必ず手にしておくということが命題であったのであろう。そのために、常に、二つまたは三つの拮抗した勢力を持ち、その勢力の間に立ってきゃすてボードを持つということを考えていたに違いない。ある意味で、ナポレオン三世のような政治を目指したに違いない。しかし、平清盛も、そして源頼朝も、いずれも強く、そして法皇の名を使って統一してしまった、拮抗するような勢力を残すことはなかったのである。そのような苦悩の中にあって、死んでいったのである。ある意味で、時代にほんろうされた人ではなかったか。

「鎌倉殿の13人」久々の爆笑回!義時むっつり?比奈ツンデレ?頼朝“二度見”政子と“征夷大将軍コント”

 俳優の小栗旬(39)が主演を務めるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜後8・00)は5日、第22話が放送された。

 <※以下、ネタバレ有>

 稀代の喜劇作家・三谷幸喜氏が脚本を手掛ける大河ドラマ61作目。タイトルの「鎌倉殿」とは、鎌倉幕府将軍のこと。主人公は鎌倉幕府2代執権・北条義時。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男。野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。新都・鎌倉を舞台に、頼朝の13人の家臣団が激しいパワーゲームを繰り広げる。三谷氏は2004年「新選組!」、16年「真田丸」に続く6年ぶり3作目の大河脚本。小栗は8作目にして大河初主演に挑む。

 第22話は「義時の生きる道」。源頼朝(大泉洋)の上洛が決まり、命に従って随行する北条義時(小栗)。大軍を率いて念願の京へと上った頼朝は、後白河法皇(西田敏行)九条兼実(田中直樹)と会談。今後の世の在り方を思い描く。そんな中、自分たちには利益のない上洛に、三浦義澄(佐藤B作)岡崎義実(たかお鷹)千葉常胤(岡本信人)らの不満が募る。一方、比企能員(佐藤二朗)は比企家の地位を盤石にするため、一族の比奈(堀田真由)を…という展開。

 1192年(建久3年)7月、頼朝は征夷大将軍となった。

 頼朝「大したことではない。御家人共を従わせる肩書に過ぎん。(仏頂面から一転)征夷大将軍じゃ~!わしは日の本の武士の頂き。おまえはその妻じゃ。政子、呼んでくれ」

 政子「征夷大将軍~!」

 そして、能員の妻・道(堀内敬子)は、能員の姪・比奈を頼朝のそばめにしようと画策。頼朝はゾッコンになるが、政子は「聞いてません。(征夷)大将軍になって、ちょっと浮かれてるんだわ」とイラつく。

 比奈に双六を教えていると、政子が現れ、頼朝は思わず二度見。政子の怒りを察知し「あれだけのおなごは坂東広しといえども、そうはおらん。小四郎にはぴったりだな。いや、小四郎も、そろそろ前に進むべき頃合いのような気がしてな。わしが(比奈を)狙っておるとでも思ったのか。小四郎のために決まっておるではないか。比奈なら、きっと、あいつの心を解してくれる」と言い繕った。

 すると、政子は「実はわたくしも同じことを考えていたの。あの子は比企の血筋。小四郎と結ばれれば、比企と北条の架け橋になってくれるはず。これはきっとよいご縁ね。早速、話を進めさせていただきます。とんとん拍子に話が進むのって、気持ちのよいものですね」。頼朝は笑いながら、恨めしそうな表情を浮かべた。

 義時は「私は、後妻をもらうつもりはない」と比奈を帰した。たらい回しとなった比奈は憤慨。「噂によると、あのお方(義時)、色恋になると相当しつこいらしいんです」。道が「むっつりでしょ。聞いたことある」と合いの手を入れると、比奈は「薄気味悪くて」と語った。

 SNS上には「征夷大将軍コントかw」「(頼朝の)二度見した顔w」「泣きそうな笑顔の頼朝(副音声)」「本日のパワーワード『むっつり』」「比奈ちゃん、ツンデレやん」「薄気味悪いとか言われる主人公w」「アバンの泣けるシーンと、後半の不穏さの間に挟まれたコメディーシーンでこちらの感情はジェットコースターのように揺さぶられた」などの声が続出。冒頭と終盤を除けば、久々の“爆笑回”となった。

2022年6月5日 スポニチ

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/06/05/kiji/20220605s00041000315000c.html

 さて、今回はそのような意味で「後白河法皇ロス」はほとんどない物と思われる。そのように考えてみると、いまだに「八重さんロス」は当然に残ってしまうし、また今回は上総広常の話が出てくるような感じになってしまうのである。

 さて、ストーリー的に言えば、源頼朝が征夷大将軍になるというストーリー展開である。実際に当時「征夷大将軍が武士としてのトップ」という認識があったのかということは非常に興味深い。そもそも平清盛も「太政大臣」である。そのように考えた場合「律令官制」の中に入っていて、その内容を行うという者ではなく、全く別枠で「征夷大将軍」という役職が令外官ででき、その上で「独自の政府」を作ることができるようになったということになる。ある意味で、「武士のトップになった」ということは間違いがないが、それは後白河法皇や後鳥羽天皇の苦肉の策で、実力を持った武士である源頼朝を律令官制の中に中に入れず、公家や朝廷自体を拮抗する対抗勢力とするというように考えていたのであろう。

 もちろん、後の話になるが、「朝廷自体が武士の政権との拮抗する勢力」ということになるのであるから、最終的には朝廷と武士が戦わなければならない。それが承久の乱であり、北条義時の最後の戦いということになるのであろう。本来は征夷大将軍というのは、そのような仕掛けであったに違いないのであるが、それを後鳥羽天皇はうまく使うことができなかったということになるのであろう。今回も、九条兼実と源頼朝の会話の中で「公家と武士で後鳥羽天皇を支える」というようなセリフが出てきた。まさに、そのセリフこそが、後白河法皇の考えた世の中であったのに違いない。源頼朝がそのことに、この時に気づいていたかどうかはわからない。少なくとも、大江広元は気づいていて、たぶん承久の乱をたきつけたのであろう。だから「京都が嫌いになったから鎌倉に都落ちした」というセリフが出てくるのである。

 いずれにせよ「武士の棟梁」ということを言われたのに違いない。源頼朝はそれを喜んだに違いないのであるが、その喜び方が、うまく喜劇的に書いている。その上で、その喜びをもとに比奈が出てくることになる。この比奈は、後に阿波の局といわれる北条義時の正妻になる女性である。他の本では、泰時(金剛)の母はこの比奈であるとしているところも少なくない。この女性の登場の仕方も「ハニートラップ」で出てきて、うまくいなされたということになる。

 いやいや、なかなか面白い。

 なお、次回は曽我兄弟の仇討ちということになる。今回その内容も触れるべきだったかもしれないが、それは来週にしたい。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

0コメント

  • 1000 / 1000