「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 涙と笑顔の使い方の絶妙な脚本が涙を誘う「義経の死」

「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 涙と笑顔の使い方の絶妙な脚本が涙を誘う「義経の死」

 毎週水曜日は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について、私の身勝手な意見をお話させていただいている。当然に、私の身勝手なので、賛否両論あるのであろうが、まあ、その辺は嫌なところは読まないという対応でご勘弁願いたい。

それにしても早かった。開始20回であるから、全体の半分よりも手前で、源義経を殺してしまったのである。まあ「殺してしまった」という言い方はおかしな話なのかもしれない。基本的に、義経を中心にした伝説、津杏里「義経=ジンギスカン」という、義経北帰行伝説以外は、義経は平泉の衣側の辺りで、藤原泰衡に殺されることになっている。そのまま奥州藤原氏は、頼朝に攻められて滅びてしまうということになるのであるから、父藤原秀衡に比べ、跡を継いだ泰衡がどれほど凡庸であったかということの例として、この源義経を攻めた話は使われる。秀衡が「義経を大将軍に」という話をしていたのに対して、泰衡はその父の遺言を全く無視し、正反対の事を行ってしまうということから、このように言われてしまうのであるが、では逆に、この時の源頼朝の勢いを止めることは、奥州藤原氏にできたのかといわれれば、そこはかなり難しいであろう。

そのような「史実的な話」を、さすがに三谷幸喜は全て「うまく帳尻を合わせた話」にしてしまった。源義経は、鎌倉を攻める方策をしっかりと考えていて、それを北条義時に見せる。そして梶原景時に見せて、その評価を得るという。梶原景時役の中村獅童氏の困惑した表情で「これであれば鎌倉は滅びる」という言い方も含め、「鎌倉全体のためには源義経を殺してしまったことは間違いではなかった」ということをしっかりと描いている。

一方で、頼朝と義経の兄弟の絆ということは、かなりうまく書かれている。その点は後半にしっかりと書いてゆこう。

さて、それにしても早い。20回という事、5月の半ばで源義経を殺してしまった。もちろん、北条義時に注目した場合、これからが佳境になり、まずは、範頼の暗殺、頼朝の死、頼家の暗殺、実朝と公暁の確執、そのうえで、三浦、和田、比企、畠山といった各豪族の様々な内容を書いて行き、また父時政や牧の方との問題、そして、朝廷との対立というようにあ物事は進んでゆくことになる。それだけのことを「人間の内面」まで含めて書いてゆくとすれば、当然に、これから後も足りないくらいであろう。しかし、やはり今まで、特に、源平合戦の感覚をもって満ちると、義経の死という一つの大きなクライマックスが、早く来すぎたのではないかというような気がするのである。

逆に言えば、それだけに、この義経の死をあっさりと書きながらも、「短い中での深い表現」が非常な秀逸さに驚くほかないということになる。

「鎌倉殿の13人」あくどい頼朝も…帰ってきた義経に慟哭 ネット悲痛 驚愕サブタイトル再び

 俳優の小栗旬(39)が主演を務めるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜後8・00)は22日、第20話が放送された。

 <※以下、ネタバレ有>

 稀代の喜劇作家・三谷幸喜氏が脚本を手掛ける大河ドラマ61作目。タイトルの「鎌倉殿」とは、鎌倉幕府将軍のこと。主人公は鎌倉幕府2代執権・北条義時。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男。野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。新都・鎌倉を舞台に、頼朝の13人の家臣団が激しいパワーゲームを繰り広げる。三谷氏は2004年「新選組!」、16年「真田丸」に続く6年ぶり3作目の大河脚本。小栗は8作目にして大河初主演に挑む。

 第20話は「帰ってきた義経」。京を離れ、奥州へ逃れた源義経(菅田将暉)。しかし、温かく迎え入れてくれた奥州の覇者・藤原秀衡(田中泯)が程なく天へ旅立つ。これを知った北条義時(小栗)は状況を探るため平泉行きを志願するが、義経の才を恐れる源頼朝(大泉洋)は藤原国衡(平山祐介)泰衡(山本浩司)兄弟の仲の悪さにつけ込み、義経を討つように冷たく命じる。八重(新垣結衣)に見送られ、平泉へと発つ義時。一方、捕らわれた静御前(石橋静河)は…という展開。

 文治3年(1187年)、失踪中の義経が平泉に現れる。文治5年(1189年)、義時は奥州行きを志願した。

 義時「九郎殿を連れて、必ず戻って参ります」

 頼朝「任せる。ただし、生かして連れて帰るな。災の根を、残してはならぬ。だが、決して直に手を下してはならん。(義時に近づく)国衡と泰衡の兄弟は仲が悪い。2人の間を裂け。泰衡に取り入り、焚きつけて九郎を討たせる。我らが攻め入る大義名分をつくるのじゃ。勝手に九郎を討ったことを理由に、平泉を滅ぼす。あくどいか。あくどいよのぉ。この日の本から、鎌倉の敵を一掃する。やらねば戦は終わらん。新しい世をつくるためじゃ」

 義時も覚悟を決めた。梶原景時(中村獅童)の命により、善児(梶原善)が奥州行きに同行した。

 頼朝の策を義時が実行。衣川館。義経も頼朝の策と分かっていたが「そこまで兄上にとって私は邪魔なのか。そう思うと、どうでもよくなった。この首で、平泉が守れるなら、本望だ」。鎌倉攻めの策を義時に披露。弁慶(佳久創)らと泰衡軍を迎え撃った。

 鎌倉御所。

 頼朝「九郎、よう頑張ったな。さあ、話してくれ。一ノ谷、屋島、壇ノ浦、どのようにして、平家を討ち果たしたのか。おまえの口から聞きたいのだ。さあ、九郎、九郎、話してくれ。九郎(嗚咽し、首桶を抱き締める)」

 「文治5年6月13日、義経の首が鎌倉に届けられた」(語り・長澤まさみ)

 頼朝「九郎ー、すまぬ。九郎、九郎ー」

 第14話(4月10日)、義経が木曽義仲(青木崇高)討伐へ向かう際が兄弟最後の対話。

 頼朝「黄瀬川のほとりで、おまえと再会してから今日に至るまで、じっくり二人きりで話したことはなかったな。戦から戻ったら、語り尽くそうぞ」

 義経「いかにして義仲を倒したか。いかにして平家を滅ぼしたか。夜を徹して兄上にお話しする日を夢見て、九郎は戦って参ります」

 約束は叶わなかった。

 第15話「足固めの儀式」などに続き、副題は驚愕のダブルミーニング。SNS上には「愚直さ故に翻弄され続けた義経。頼朝が流した涙がせめてもの救いのように思えた」「頼朝の情に厚い部分を視聴者にだけ見せること、で頼朝にヘイトが溜まりすぎないようにする三谷さんのバランス感覚が凄すぎ」「最期に見せた子どものような笑顔の義経。サブタイトル通り“帰ってきた義経”。話し掛ける頼朝の涙…つらい」などの声が続出。反響を呼んだ。

5/22(日) スポニチアネックス

https://news.yahoo.co.jp/articles/2c60d322fa4b7ac818ce512cbf1117f4bb2e6b5e

 さて、頼朝と義経の兄弟の絆というのは、非常に浅かったのかどうかということになる。基本的に、ネットの中では、「#大泉洋のせい」というようなタグが付けられてしまい、大泉洋の残酷な源頼朝を嫌いになるという人が非常に多いようなニュースも見る。私からすれば、それだけ普段の明るいイメージとは別にして、三谷幸喜のイメージした源頼朝を演じる力があり、その演技力が秀逸であるということに他ならないのであるが、そこまで理解せずに感情移入してみてしまう人が多いというのも三谷作品の特徴なのかもしれない。

では、大泉洋演じる源頼朝は本当に残酷な人なのか?

そのように考えた場合、今回の最後のシーンの頼朝の「涙」は、非常に心を打つ演出であった。誰もいない、部下のいないところで、一人で義経に話しかけ、涙を流すという演技は、本当に深い兄弟愛がなければできないことであろう。大義のために、そして数々の誤解のために、そして、源頼朝の考え方からして、豪族の集合体の上に、頼朝そのものの手勢の軍隊を持たず、その調整役的にして、「足固め」をして君臨している頼朝において、自分の兄弟が裏切るということは、それが血を分けた兄弟であるがゆえに厳しく罰しなければならない。そうでなければ、また組織にほころびが出てしまい、平家の二の舞になる。特に、後白河法皇という「大天狗」がいる以上、なかなか本音で話ができないし、また、豪族と後白河法皇という、上下の警戒しなければならない集団に挟まれた権力者であるということを考えなければならないのではないか。

頼朝の涙は、その「肉親としての本音」が初めて義経に対して向けられた、本当に悲しい涙ではないか。

一方、その前の義経は、当然にすべてを察していた。妻の里が襲撃を引き入れたという時点で、「襲撃は兄の頼朝の仕業」として誤解した時点で、全ての歯車が狂ってしまい、その誤解が、「自分が死ぬ」ということでしか解決できないということまでわかっていた。そのことから、里も、そして娘も殺し、また、静御前の話も全て自分の中に受け入れたうえで、「笑顔」で死んでいった。その笑顔の悲しさを、北条義時はどのように見たのであろうか。

史実がどうこう言う人はいる。当然に、死の直前の義経の所に北条義時が入り込むなどということは、考えられない。しかし、その考えられないことを描くことによる「ドラマ性」で、しっかりと頼朝と義経の二人の兄弟の「本音」と「建前」を描き、そして、死んでから「本当に分かり合えた姿」を見せることで、悲しみの中にも感動を生む手法をしっかりと使っている。そこに、様々な意味で絡み合う北条義時は善児の残酷さなど、個性豊かな人々の内面が、非常にわかりやすく書かれているのではないか。

いやいや、一つのクライマックスが終わって、次の展開が待ち遠しい。

宇田川源流

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