「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 天下一の大天狗「後白河法皇」に翻弄される源義経とそれを取り巻く人々に「笑い」
「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 天下一の大天狗「後白河法皇」に翻弄される源義経とそれを取り巻く人々に「笑い」
毎週水曜日は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について記載している。この時代に関してはそれほど詳しいわけではないので、何とも言いようがないのであるが、それでも、時代背景などは、一応調べている。歴史小説はいあたことはないが「日本文化の歳時記」などの本で、平安や鎌倉時代の話は、様々に調べているので、興味深い話や、これにつながるのかということは非常に参考になる部分もあるのだ。
さて、今回もなかなか面白かった。まあまずはなんといっても源行家であろう。今回は杉本哲太氏が非常に「下種な男」をうまく演じていてなかなか面白い。それも最後に「組んだ人はすべて敗北する」というナレーションは秀逸であり、そのナレーションで死に導かれるという演出もなかなか良い。史実では、源為義の十男で、兄にあの有名な為朝がいる。実際にドラマでも史実通りで、以仁王の宣旨を持ち歩いて範平家の挙兵に一役買ったのだが、たぶん、その時点で自分が中心になると考えていたに違いない。しかし、それがかなわず、他のものが強くなってゆく中で嫉妬し、そこに反対する勢力につき続けるということになる。まあ、組んだ男が敗北してゆくというナレーションも頷ける。最後に源義経をそそのかして頼朝と対立させるまでは良かったが、義経、そして行家に人望がなかったことから、兵が集まらず、和泉国の潜伏先で捕まり斬首される。
まあ、この行家に翻弄された源氏は少なくなく、木曽義仲も、源義経もそれで身を亡ぼす結果になる。逆に言えば人の嫉妬心をうまく操ることができた人なのではないか。そのことから、源義経が悲劇の最後になるというストーリーは、特に三谷幸喜の創作ではなく。吾妻鏡の中に書かれている内容である。ある意味で、「事実は小説より奇なり」というが、まさにそのような話であったのではないか。
さて、なぜ頼朝と義経は対立しなければならなかったのか。このことは様々な研究者が書いている。私が最も先に注目するのは、間違いなく「血のつながりはあっても、育った環境が異なる」ということであろう。頼朝は、ドラマでも冒頭にあったように、伊東や大庭といった平家の聞こえ目出度いものに囲まれて「人質」として監視されて育った。当然に、常に他人の目を気にし、なおかつ、人の心を常に猜疑心をもって見ているという育ち方をした。つまり、最後まで人を信用できなかったのではないか。それに対して、義経は欧州にいた。童話の牛若丸のように、若いころから弁慶などの仲間に恵まれ、常に源氏の棟梁としてわがままに(実際はわからないが)育ち、そして奥州藤原氏の下で自由闊達に育っている。
「生みの親より育ての親」とはよく言うが、実際に、血のつながりよりも育った環境が似ているという人の方が親近感があるということになろう。当然に、育った環境によって、同じことを見ていても持つ感想は異なる。信用しない頼朝と、信用してしまう義経、自ずと平家に関する感情や後白河法皇との対応は異なってくる。
その時に「兄弟だから自分と同じように思うはず」という甘えが、双方にあり、それが異なってくると「裏切った」というような感覚になってしまうのではないか。まさにその「心の隙間」に様々な現象が入り込んでしまい、悲劇の結末に向かうのであろう。
「鎌倉殿の13人」西田敏行の怪演&長澤まさみナレにネット爆笑 後白河法皇ひと芝居&混乱「だから~!」
俳優の小栗旬(39)が主演を務めるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜後8・00)は15日、第19話が放送され、後白河法皇役の俳優・西田敏行(74)が怪演に次ぐ怪演を披露。インターネット上で爆笑をさらった。
<※以下、ネタバレ有>
稀代の喜劇作家・三谷幸喜氏が脚本を手掛ける大河ドラマ61作目。タイトルの「鎌倉殿」とは、鎌倉幕府将軍のこと。主人公は鎌倉幕府2代執権・北条義時。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男。野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。新都・鎌倉を舞台に、頼朝の13人の家臣団が激しいパワーゲームを繰り広げる。三谷氏は2004年「新選組!」、16年「真田丸」に続く6年ぶり3作目の大河脚本。小栗は8作目にして大河初主演に挑む。
第19話は「果たせぬ凱旋」。鎌倉入りを許されず、京に戻って悲嘆に暮れる源義経(菅田将暉)。北条義時(小栗)は大江広元(栗原英雄)に知恵を借り、源頼朝(大泉洋)と義経との関係修復を模索するが、後白河法皇(西田)はそれを許さない。愚痴を漏らす頼朝に対し、苦言を呈す八重(新垣結衣)。この状況を政子(小池栄子)が憂う中、義経をめぐって里(三浦透子)と静御前(石橋静河)が対立。さらに、源行家(杉本哲太)が義経に近づいて頼朝への疑心を煽り…という展開。
未曾有の検非違使と受領・伊予守の兼任を命じられた義経は、父・義朝の供養に参列し、頼朝に会いたいと後白河法皇の許しを請う。
後白河法皇は鎌倉行きを認めた直後、めまいを覚え、倒れる。丹後局(鈴木京香)は「お脈が…。お脈が…」。義経が脈を計ると「脈がない」。平知康(矢柴俊博)は「行かないで、と仰っています」、丹後局は「お側にいてあげてください」。義経は後白河法皇の手を握り締めた。
義経を京に留めるための芝居だった。
後白河法皇「真に迫っておったであろう。(脇から手鞠を取り出し)これをの、脇でギュッと挟んでおくと、しばし脈は止まるのだ」
語り(長澤まさみ)「真似をしてはいけない」
後白河法皇「頼朝は清盛になられては困るからの。そのための九郎よ」
そして、追い込まれた義経は挙兵したものの、思うように兵が集まらず。いったん九州へ逃げ、再起を図る。
後白河法皇は「頼朝と義経、どちらかが力を持ってしまってはいかんのだ。わしが望んでいるのは、つばぜり合い。なんで九郎義経、姿を消してしまったのかの。頼朝追討の宣旨は取り消しじゃ。あらためて頼朝に、義経追討の宣旨を与えなさい」。九条兼実(田中直樹)が「もう一度お願いいたします」と尋ねると、後白河法皇は「だから、義経追討の宣旨を、頼朝に与えよと言うておる」。後白河法皇の手のひら返しに、兼実は「もう一度」と再確認。後白河法皇は混乱気味に「だから~!より、頼朝に、よ、義経追討の宣旨を与えろと言うておるんじゃ!」と扇子を投げつけた。
出番は多くないものの、西田の独壇場。SNS上には「自分で分からなくなってきてるやんw」「何度も言わされて、ちょっと間違えそうになったw(緊迫のシーンなのに)」「今日は笑ってはいけない西田敏行(御兄弟にとっては笑えない)」「ナレーション“真似をしてはいけない”リビングが春雨まみれになったぞ」「法皇様、そんな姑息な手で、と思ったら、すかさず“真似をしてはいけない”のナレが入って脱力。笑いが止まらない」などの声が続出。視聴者の笑いを誘った。
2022年5月15日 スポニチ
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/05/15/kiji/20220515s00041000442000c.html
さて、その悲劇の結末に義経をいざなう一つの現象が、妻の里と愛妾の静との確執であると、三谷幸喜は解釈している。私自身はそのような記録は確認していないが、実際にそれを匂わすものがあったのか、あるいは、三谷幸喜の想像なのかはわからない。しかし、女性関係と家庭内の問題で、様々な意味で問題が発生するということは十分にありうる話であるし、また、今回は里が手引きして義経が襲われるのであるが、このような言い方をするとジェンダーハラスメントといわれそうだが、まさに「女の浅知恵」で、そのことをうまく源行家に使われ、後白河法皇から源頼朝追討の宣旨をもらってしまうことになるのである。
女性の嫉妬というのは、もっとも歴史を大きく動かしていながら、実際に、記録に残ったり、大きな問題として描かれることは少ない。しかし、男性は、最も身近な相談相手として妻や愛妾と話すのであり、男性は常に俯瞰的・客観的な視点を求めているにも関わらず、そこに個人的な欲望や嫉妬が入り込んで判断を誤ることは少なくない。ここではないが応仁の乱などはまさにその物であろうし、そもそも平清盛が頼朝を活かしておいたのも、女性の嘆願であろう。
ドラマにも書かれていないが、この里あたりが嫉妬をして、鎌倉に手紙を出していれば、大きな問題はよりこじれることになる。徳川家康の長男である信康が自殺に追い込まれたのも、信長の娘である五徳が嫉妬に狂った手紙を書いてしまったがためであろう。そのことを考えれば、まさに、女が様々な問題を作り出しているといって過言ではない。もちろん、逆に女で助かったことも少なくないのであろう。また夫婦間の話は、うまくいっていればこれほど強固なつながりはないのであるから、ここに書いた「問題になった」以上に、素晴らしい夫婦関係でうまく行っている例はたくさんあったと思われる。
さて、その状況にプラスして、後白河法皇であろう。この法皇は、平清盛のことから「常に均衡する勢力を作り、そのバランスの上に立って君臨する」ということを考えていたようである。しかし、本来それを行うのであれば、三つの勢力を作らなければならないわけであり、二つの勢力を作りその勢力を競わせても、それはどちらかが亡ぶだけになる。そして強い方が最終的に自分を凌駕するということになる。ぎゃきに言えば、そのような不完全な策略に乗ってしまった人は、災難としか言いようがない。源行家もそうであるが、この法皇と直接やり取りした、平家、木曽義仲、源義経、やはりいずれも滅んでいる。
さて、そのようなやり取りの中で、シリアスになりそうなところを、三谷氏はうまく「(笑)」を混ぜてくるのである。上記の記事にあるが、毬をわきの下に入れるのだが、ここで、絶妙なタイミングで長澤まさみさんの「真似をしてはいけない」というナレーション。さすがに笑った。NHKであるから。当然にそのような形になるのであろうが、うまく笑いの要素を入れたものである。この緊張感と笑いのバランスは、さすがに三谷氏の真骨頂であろう。
最後の場面で義経と北条時政・義時父子の会話の場面が出る。まさにその言葉が、現代の「真直ぐすぎて恨まれる人々」へのメッセージになっていたのではないか。
いやいや、なかなか深い話であった。
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