「宇田川源流」【日本万歳!】 環境に配慮した水素ハイブリッド車がJRで試験走行する日本の環境対策
「宇田川源流」【日本万歳!】 環境に配慮した水素ハイブリッド車がJRで試験走行する日本の環境対策
月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。この連載は、日本人の素晴らしいところをご紹介し、その日本人の素晴らしいところが「なぜ素晴らしいのか」ということをしっかりと考え、その中で「日本人の持った国民性や考え方、またはその習性」などを分析し、その同じ習性や国民性を我々が持っているということを認識することによって我々も、同じように「世界に賞賛されることができるかもしれない存在である」というように考えられるように見ているのである。
日本人というのは、例えば地球環境などにおいて何もやっていないというようなことを言われることがある。確かに日本が発信している環境対策などはあまり素晴らしいものではないし、また、その内容が世界において有名になっているということは少ない。しかし、本当にそうであろうか。
日本人というのは、実は「あまり発信をしていない」だけであり、実はその中にすでに世界が今やろうとしている「環境対策」などはすべて兼ね備えて持っていたのではないか。日本人は、「あたりまえ」「誰でもやっている」という「当然の事」について、そのことを秘匿喧伝したりはしない。しかし「誰でもがやっている」の「誰でも」は日本人の同じコミュニティの中の人々ということになり、実は世界では稀有な状況になっている場合が少なくない。もちろんそれが悪いことであれば、仕方がない話なのかもしれないが、しかし、日本人の場合は「環境」や「地球」ということに関しては、実は世界でもトップレベルのことを「当たり前」として行っている。2001年にアジアで始まった「MOTTAINAI運動」は、その言葉が、日本語の「もったいない」からきているように、このような考え方の原点は日本の考え方や生活習慣なのである。しかし、そのような内容は「当たり前」であるから、全く日本初では広がらず、それに気づいた外国人が、日本が素晴らしいとして運動を始めるのである。
まさに、日本というのは「素晴らしいことを当たり前にしてしまい、それが日常すぎて何も誇らしげに思うことはないというような話になってしまうのである。
水素ハイブリッド車両公開=国内初、3月から走行試験―JR東日本
JR東日本は18日、水素を燃料とする電池と蓄電池のハイブリッド方式で走る国内初の試験車両「HYBARI(ひばり)」を報道陣に公開した。3月下旬から南武線(川崎―登戸)などで走行試験を始め、2030年の実用化を目指す。開発費は約40億円。
トヨタ自動車が開発した燃料電池装置を搭載し、水素と酸素の化学反応で電力が生み出される。装置が稼働する様子も公開され、車両の下部からは反応でできた水が排出された。
外観は水を模した青系の色で、座席は山並みをイメージしたデザイン。2両編成で1回の水素補充で最大約140キロ走行できる。
JR東日本は二酸化炭素の排出を50年度に実質ゼロにする目標を掲げている。研究開発センターの大泉正一所長は「既存のディーゼル車からの置き換えを考えている。試験では、ランニングコストを含めどういう路線にふさわしいか見極めたい」と語った。 【時事通信社】
2022年02月18日 13時15分 時事通信
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12145-1478286/
さて、ではなぜ日本人はそれほどまでに環境に素晴らしい対応をしてきたのであろうか。これは、この毎週の「日本万歳!」の中でご紹介しているように、日本人は「多神教」の中で生きているという感覚に原点があるのではないか。
基本的に、「ゴミ」と思えば大事にしないで捨ててしまう。しかし、そこに神が宿り、元に戻ってくると思えば、また、戻ってきて自分たちの役に立つと思えば、それを大事にするのは当たり前だ。役に立たないとしても、神が宿るのであれば、その神を大事に扱うのは普通である。
ご利益を頂いたお札やお守りなどを、お礼参りの時に『納札所』に納めるのは当然であり、それがすでにご利益を頂いたものであったとしても、その辺にポイ捨てするなどということはしない。それは、神を信じているとかそのような話ではなく、日本人の生活習慣として「そういうふうにするものである」ということを理解し、その習慣に基づいて行っているということになるのではないか。
このように考えれば、「地球環境」という物も同じである。そもそも、「土」「空気」「太陽」などすべての自然現象に神が宿ると考えているのが日本人であり、その自然を利用することによって生活の恩恵にあずかっているということがわかっていれば、逆に、地球を、いや地球や自然環境全体に宿る神々を汚してしまえば、それは、自分たちが恩恵を受けることができなくなってしまうということになるのであり、場合によっては地震やその他の災害のように、「罰が当たる」というようなことになってしまうと畏れもあるということになるのである。
さてそのような考え方から、「地球環境を守る」というときに、日本人の場合は「様々な他の神にお願いする」ということになる。つまり「電気」というだけではなく、何かほかの神にもお伺いを立てる。人間の立場からすれば、トヨタのコマーシャルではないが「選択肢を残す」ということが重要になってくるということになるのではないか。
水素をエネルギーとして使用するということは、ある意味で電気だけではなく人間が選択肢を残すということに他ならないのである。逆に言えば、「一人の神にだけ負担を強いるのではなく、様々な他の神々にお願いする」ということにあり、日本人特有の「多神教におけるバランス感覚」が存在するのではないか。
「既存のディーゼル車からの置き換えを考えている。試験では、ランニングコストを含めどういう路線にふさわしいか見極めたい」<上記より抜粋>
まさに、このように「選択肢を残す」という立場で様々な事を行うのが日本なのである。
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