「宇田川源流」 厳しい処分をして言論を統制しないと政治体制が維持できないということを示した中国共産党の「教育現場」

「宇田川源流」 厳しい処分をして言論を統制しないと政治体制が維持できないということを示した中国共産党の「教育現場」


 思想信条の自由・言論の自由・教育の自由、これらに関しては、当然に「民主主義の根幹」であり、民主主義政治を行う場合には最も重要な問題である。そのために、報道の自由や言論の自由は「単に日違反だけをする」のではなく「常に両論を併記し、わかりやすく様々なことを、根拠を持って示す」必要があり、また、教育においては「根拠をしっかりと示したうえで、その内容を通して人間的に成長させる」ということが重要になってくる。そのようなことを守ることのできない政治というのは、そのまま「専制政治」となるばかりではなく、歴史そのものを冒涜する結果になるということなのである。

 歴史というものは現在の政治や現在の権力者または教育者の遊び道具ではない。歴史をしっかりと学ぶことによって、その国の国民性や国際関係が理解できる。当然に、その国にとって良くない内容も認めなければならないし、そのことを真摯に反省する態度は、どの国の政府も必要である。同時に、その内容はただ単に「戦争の勝ち負け」で決めるものではなく、その時の事情や環境など、またはその時代の背景やその国に対するほかの国の態度などもすべて考えなければならない。負けた国が一方的に問題があるというものではないし、勝ったから全てが正しいというものではない。そのようなことを主張することは、間違いなく「稚拙な解釈」であり、そのことは「勝てば何でも許される」というような感覚に陥るので、歴史的な過ちを必ず繰り返してしまうことになる。

 最も、私恩書いた「庄内藩幕末秘話」の中で書いたセリフがある。「戦を始める奴は大馬鹿だ。戦などはするものではない。しかし、いざ戦が始まった時に槍を持って戦い守れない者は、臆病者だ。そのような者は生きている価値はない」このセリフは、実は実際に戦争に行った私の祖父の世代に聞いた話である。まさにそのような感覚こそ、人間に最も必要なものではないか。

 さて、歴史の解釈というのは、そのように微妙なものである。何しろ犯罪と異なり、戦っている人は正義であり、なおかつその正義によって自分の大事な物や人を守るということを考えているのである。そこに、悪意などはない。その「正義」が双方にあるから、戦えるのである。そしてその状況を批判できるのは戦ったことが無い人間が机上の空論で批判する以外にはないのである。

「靖国神社に自由に行く」投稿の教師も処分、「南京大虐殺30万人に根拠なし」発言の教師に続き―中国

 青島大学は、ネット上に「靖国神社に自由に行く」と投稿した教師について、「教員資格を取り消した」と発表した。

 同大学は16日夜、中国版ツイッター・微博(ウェイボー)で、同大学の「補助実験員」の高薇嘉(ガオ・ウェイジア)さんの行為が「教師としての職業倫理や行動規範に著しく反する」として、「すべての教学活動を停止し、教員資格を取り消した」と発表した。

 また、「本校は教師としての道徳や風格に違反する行為に対しては一貫して『ゼロ容認』を堅持している。今回の件を鑑(かがみ)として、関連のメカニズムをさらに健全化する」と表明した。

 高さんは先日、SNS上で「私たちの世代の人間は、靖国神社に自由に行く」「年齢が高くなればなるほどそれ(靖国神社へ行くこと)を大したことだと思わない」などと書き込み、問題視されていた。

 中国ではこのほか、「南京大虐殺(犠牲者)30万人というのは、実際のデータの裏付けはない」などと発言した上海震旦職業学院の女性教師も、同日に同学院から除名処分を受けている。(翻訳・編集/北田)

2021年12月17日 15時20分 Record China

https://news.nifty.com/article/world/china/12181-886712/

 中国人の教師、それも大学の研究者が、日本の南京虐殺に関して「30万人虐殺に根拠はない」と言ことを主張した。はっきり言うが、実際に根拠などはない。まず「30万人分の骨」などはない。南京などはあれだけ開発をし町の面積が広がっているにもかかわらず、その開発の間に骨が出てきたことはないのである。当時の日本軍は30万人分の骨をどのように処分したのか。

 当時を生きていたという中国人の老人に、私が中国にいた頃に話を聞いたことがある。初めのうちは「日本人は悪い」といっていても、最後には、30万人の墓がないということになるのである。その骨もない。「どこでその人々を殺したのか」と聞いていくうちに、話がぶれ、最終的には「殺したという事実はないが政治的にそのように言わなければ周囲から白眼視される」というようなことを主張していた。つまり、「政治的な事情で、歴史的な事実がないことを主張している」ということを普通に言い始めるのである。

 さて、中国において学問の自由があるのであれば、当然に「データー的な裏付けがない」ということは間違いがない。そもそも「29万人なのか31万人なのか」ということもない。政治的であるから30万人ピッタリなのだ。そのようなことがあるはずがない。もちろん、戦争中の事なので流れ弾が当たって死んだ民間人がいないというようなことを主張することはない。しかし、では30万人の虐殺があったというような事実は存在しないのである。

 さて、ここまでの話は「普通」の話である。

 学問の自由、つまり「人権がない」中国において、当然に、「政治的な決定を覆すことを首長」すれば、それが学者であろうとよくないということになる。逆に言えば「根拠がないことに対して根拠がないと主張すること」を、暴力と権力で封じ込めないと、共産党政権そのものが崩れてしまうということを意味している。そのようなことが大学や高校の教師の発言から崩れてくるとは、なかなか興味深い。もちろん、このような教師は更迭され、その後、何らかの罪を着せられて「逮捕」され、そのうえで「再教育」という名の「拷問」を受けることになるのであろう。しかし、ではそのことによって「30万人の虐殺の根拠を示すことができるのか」ということになれば、少なくともナチスのアウシュビッツのような証拠を示すことはできないのである。物理的に30万人を殺すだけの武器や弾薬、そしてそれを収容する施設などはどこにあったのであろうか。全く説明なく、ただ言っているだけなのだ。

 中国国内にも「おかしい」と感じる人があり、そして、それを「学術的」または「歴史的事実」で反論することができない中国共産党。一時が万事であり、領土に関しても、そのほかの外交的なことも、テニス選手の性的暴行についても、また、香港の民主化など、当然にウイグルやチベット、モンゴルの問題も、全てにおいて、同じことができているのである。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

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