「宇田川源流」【土曜日のエロ】 親友の結婚式にほぼ半裸のドレスを着る「自信」と「妬み」

「宇田川源流」【土曜日のエロ】 親友の結婚式にほぼ半裸のドレスを着る「自信」と「妬み」


 今週も土曜日のエロの日になった。まあ、今週は早いものですでに今年の11月最後の土曜日となってしまい、来週の水曜日からは「師走」である。もう年末で慌ただしくなってくるという感じであろうか。それとも今年の内容も、昨年のようになんとなく「おとなしく」終わってしまうのであろうか。

 来年こそは良い年にしようということになるが、そもそも今年も忘年会はなかなかない状態になっている。そもそもコロナウイルスであまり忘年会を行えるような状況ではないし、大人数での宴会は今でも避けられる傾向にある。そのうえ「酒ハラ」などという、酒席に無理やり突き合せるとか、酒を強要するというような者は「ハラスメント」として、様々な意味で罰せられることになるんだそうだ。まあ、窮屈な世の中になったと思う。前から書いていたように、人間には本音と建前がある。脳に「右脳」と「左脳」があり、それぞれが司っているところが異なるように、人間として「動物」の部分と「社会的生き物」の部分の二つを一つの脳で処理することによって、様々な事が行われることになるのである。しかし、その内容のバランスが崩れると、人間はどこかがおかしくなってしまうということになるのではないか。

 ある意味で「ハラスメント」ばかりになってしまうと、人間が「建前」ばかりになってしまう。社会がそうなってしまうと、人間が本能を表す部分が無くなってしまい、そのことから、その本能を示す部分をどのようにして出してゆくかということが大きな問題になってくるのではないかという気がする。なんとなく、最近、「わいせつ事件」や「ナイフで刺してしまうような事件」が多くなっているのは、ある意味で人間社会が、建前ばかりになって悲鳴を上げているのではないかという気がするのである。

 同時に、「自分のことを振り返らないで、他人の批判ばかり建前の社会を作り上げようとしていた」立憲民主党の代表選挙が、やはり全く盛り上がらないままに、来週の火曜日終わることになる。まあ、建前だけでは魅力も何もなくなるということを示しているのではないかという気がしてならない。

 人間というのは、なんとなく「エロス」がないと、魅力が無くなってしまうのではないか。そんなことを考える一週間であった。

親友の結婚式に…ケンダルの「ほぼ半裸なドレス」に賛否の声

 ケンダル・ジェンナーの親友で、インフルエンサーのローレン・ペレスの結婚式が行われ、そこに参加したケンダルのお呼ばれドレスが賛否を呼んでいます。

 ケンダルとともに参加したのは、仲良しグループのヘイリー・ビーバーやベラ・ハディッドなどを筆頭とするスーパーモデルたち。

 ファッションアイコンとも言われる彼女たちならではの、個性豊かなお呼ばれドレスが並ぶなか、ひときわ目を引くのがケンダルのネイキッドドレス!

 ケンダルは、ニューヨークを拠点とするブランド「Monot」の最新コレクションで、ほぼ裸と言っても過言ではないほど際どいダイヤモンドカットアウトと、お腹周りを大胆に露出するツーピースのデザインをチョイス。その影響もあって、同ドレスはほとんど売り切れ・入手不可能の状態なんだとか。

 ファッションは自己表現のツールとはいえ、結婚式では参加者の服装のマナーとして、カラーやデザイン、露出などで花嫁より目立たないようにするのがアメリカでも一般的。

 ケンダルのファンが作ったInstagramアカウントには、「綺麗! ケンダルにしか着こなせないよね」などといった称賛のコメントがあった一方で、下記のような批判も数多く寄せられました。

「これでは、『花嫁じゃなくて私を見て!』と言っているようなもの」

「結婚式には完全に不適切。ほぼ半裸で、花嫁の注目を奪っている」

「写真撮影にはいいと思うけど…誰も注意しなかったのかな?」

「ケンダルが花嫁と友達であるとは信じがたいほどの服装」

今回はこういった注目を集めてしまったけれど、今後、花嫁ほどは目立ちすぎず、でも華やかで、ほんの少し攻めてみたいといったお呼ばれドレスのハードルを、ケンダルがどうクリアしていくのか注目したい!

2021年11月17日 10時56分 コスモポリタン

https://news.livedoor.com/article/detail/21206665/

 ちなみに今週はあまりニュースがなかったわけではない。神戸の二人の子供の放火殺人の事件や、愛知県の中学三年生が同級生を刺殺してしまった事件、それに東京板橋区の暴走ひき逃げ都議会議員が小池百合子都知事に言われて辞任したということ。まあ、いずれにせよ、あまり面白いニュースはない。一応チェックをしているが、「土曜日のエロ」の前半を飾るような素晴らしいニュースは存在しないのである。

 そのような中で、今週の土曜日のエロは「人間のエロス」ということについて考えてみたい。

 さて、今回の記事は「親友の結婚式に半裸に近い衣装で新婦よりも目立つのはいかがなものか」という、まああくまでも建前の話になっている。しかし、よくよく考えると、そのような批判が成り立たないことが考えられるのではないか。まあ、マスコミを批判するつもりもないし、また、このケンダルというモデルを批判している人を批判するわけでもない。

 しかし、まずは「新婦よりも目立つ」というのは、単純に「自分の目がそちらの方に行ってしまう」ということでしかない。つまり、「自分は半裸の女体を見たいエロい人です」といっているのに他ならない。そもそも、結婚式に呼ばれるということは、当然に、その新郎新婦の親族であるのか、あるいま親友である。つまり、このケンダルという女性がどんな人かはみな知っているのであり、改めてその衣装を見てそちらに目が釘付けになることはないのである。赤の他人が興味本位で見ているのとはわけが違う。

 第二に、新郎は、そのような中で新婦を選んだのである。もちろん、結婚式の中で半裸の衣装で新郎を口説いた(誘惑の目的があった)となれば別であるが、そうではなく、「自分の体も一つのファッションとして考えて衣装を選び、その衣装を着こなした」ということであれば、批判に値するものではないのである。

 ではなぜこのような批判が出るのか。単純に「妬み」でしかない。そのような半裸の衣装を着ても、自分には似合わない。たぶん、衣装の間から脂肪がはみ出すような状況になり、「ケンダルは美しいのになぜ自分には着こなせないのか」というように、ケンダルが美しい体を保つのにどのような努力をしているのか、自分がいかに怠けていて自堕落な生活をしていたのかをたなにあげて、妬みだけの投稿をしているのに過ぎないのである。当然に、このコスモポリタンという雑誌の記事も同様に「妬み」でしかない。

 もちろん、結婚式の衣装はある程度のTPOが必要であろう。しかし、それは一般人によるものであり、モデルなどが集まれば、より華やかになるのは当然の事、またそこを制限するのであれば、初めからドレスコードを指定し、そのような衣装を着ないようにすればよいことではないか。

 つまり「同じドレスコードの中で、自分がモデルであるということを十分に認識し、また新郎新婦も認識している中で、自分の最も美しいと思う服装で新婦の結婚を祝う」ということは何ら問題ではない。目立ってはいけないのであれば、一般人の結婚式に政治家や芸能人を呼ぶことは良くないということになる。それでは意味がないのではないか。

 「エロス」と「建前」では、当然に人間の本能の方がまさる。美しさというのは、その本能をしっかりと出しながら秩序に収まること、それが最も重要なのではないか。そのこともわからずに、妬みで批判しても格好が悪いだけではないのだろうか。

宇田川源流

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