「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 渋沢栄一の妻千代・コレラに死すという衝撃の回でひかる橋本愛さんの演技

「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 渋沢栄一の妻千代・コレラに死すという衝撃の回でひかる橋本愛さんの演技


 今年の水曜日は大河ドラマ「青天を衝け」の話をしている。このペースでは来年は「鎌倉殿の13人」の話をしなければならないので、しっかりと鎌倉時代に関して勉強をしながらの話になるんであるが、それにしてもなかなか面白い。すっかりと「大河ドラマ」でも珍しい「経済ドラマ」になってきている「青天を衝け」であるが、それでも高視聴率を維持し、今回も12.6%であったそうだ。

 もちろん「イケメンがたくさん出ているから」というようなことで、現代の女性の心をつかんでいるということもあるのかもしれない。しかし、それであも物語が面白くなければ、基本的には見るものではない。ドラマはイケメンの品評会ではないのである。そのように考えれば、このドラマの魅力は「ホームドラマ的な家庭の日常を描く力」ではないかという気がしてくる。

 そのように考えれば、私も作家として「うらやましい」と思えるような、「家庭という日常から見た視線での社会の変化や企業の活動」ということが見えてきているのではないか。明治時代はまだまだ女性が社会進出するような時代ではなかったことから、「経済ドラマ」は男性中心のドラマになり、一方で「家庭ドラマ」は女性中心の視点に変わってくる。そしてその二つのドラマを渋沢栄一という人物の感覚を通して、様々な形でうまく見せているということが、このドラマの特徴であり、様々な社会の動きや歴史的な事件を通しながら、その二つのドラマを書いてゆく力は「さすがはNHK」というような感じがある。

 特に明治時代、幕末から明治という激動の時代であるからこそ、様々な意味で動きもあり、また人間一人の中の価値観の変化や「変わってはいけないモノ」ということがよく見えてきているのではないか。

 現代の人々の視点で「現在も同じように激動の社会の中、変わってゆくもの、そして自分の中でも社会でも変わってはいけないモノ」ということが、時代劇の中で風刺されて書かれているのがなかなか興味深い。今回もコレラで妻の知代が死ぬということを書いているのであるが、それが、なんとなく「コロナウイルス」とダブって見えたのは、私だけであろうか。

『青天を衝け』“千代”橋本愛の最期に悲しみの声相次ぐ「胸が張り裂けそう」

 俳優の吉沢亮が主演を務める大河ドラマ『青天を衝け』(NHK総合/毎週日曜20時ほか)第36回「栄一と千代」が21日に放送。千代(橋本愛)の最期に「胸が張り裂けそう」など悲しみの声が相次いだ。

 栄一と千代の長女・うた(小野莉奈)に学者の穂積陳重(田村健太郎)との縁談が持ち上がり、結婚することに。千代は胸をなでおろすが、栄一は若い二人が羨ましいといい「若い頃は、己が正しいと思う道を突き進んできたが、今の俺は正しいと思うことをしたいがために、正しいかどうかもわからねぇ方に向かう汚ぇ大人になっちまった」と漏らす。

 千代は栄一の胸に手を当て「私は、お前様もここが、誰よりも純粋で温かいことも知っております」と話し、栄一が幼い頃に見た夢のことを一緒に思い返す。千代はいろいろなものを背負うようになっても、心の根はあの頃と変わらないと言い「お父さまやお母さまも『よくやった』と褒めてくださいますよ」とほほ笑む。栄一が「千代もか」と尋ねると、千代は「えぇ。千代もです」と笑って頷く。

 そんな中、千代はコレラに感染し、療養を続けるが容態は悪化。栄一は目を潤ませながら千代に「お千代。死ぬな。お前がいなくては俺は生きていけねぇ。もう何もいらねぇ。欲も全部捨てる。お前さえいればいいんだ。だからお千代…」と告げる。千代はそんな栄一の胸に手を添え「生きて。生きてください。生きて。必ず。あなたの道を」と願う。

 栄一が涙を流すと、千代の手の力が抜け、千代は息絶えてしまう。栄一は何度も千代の名前を呼び「逝くな。逝かねぇでくれ。置いていかねぇでくれ、お千代、逝くな、逝かないでくれ」と号泣しながら千代に縋りつく。コレラは感染力が強く、子どもたちは千代の顔も見ることができない。千代の死を知ると、部屋の外で泣き叫ぶのだった。

 千代の最期に視聴者からは「涙が止まらない」「胸が張り裂けそう」「栄一の縋りつく声が堪らない」「胸が締め付けられました」「辛すぎる」など悲しみの声が続出。1年あまり千代を演じた橋本にも「演技、素晴らしい」「彼女しか居ないと思わされる程の適役でした」「橋本愛ちゃんのお千代、本当に大好きでした」「素晴らしい女優さん」「本当にお疲れ様でした」などの声が多く寄せられた。

2021/11/22 11:08 クランクイン

https://www.crank-in.net/news/96741/1

 ドラマの役目というのは、その時代の事件などを題材市に、その時代の人々が採った選択肢を考え、その上で、その人々が見てきた世界観を描き、そしてドラマの中で「きっと当事者はこのような価値観で動いたのに違いない」ということを書きながら、現代の人に何を訴え、そしてどのように心を動かすように作るのかということが最も重要である。つまり「視聴者の心をつかむ作品」を作ることが重要であり、史実をどうするかなどのことは基本的には二の次である。そのような意味で、「死んでいるはずの人が、伝説となって生き残った」(義経北行伝説や豊臣秀頼・真田幸村薩摩逃避行伝説など)こともあれば、水戸黄門諸国漫遊記のように本人が全く言ったことがない話でも、他の政治的な動きや裁き(裁判)ネタなどから、似たような話を作り上げることはそんなに難しいことではないのである。その意味では、昨年の明智光秀などは、「明智光秀=天海」の説をうまく取り入れ「生き残ったのではないか」という判断を視聴者にゆだねている。

 一方、本当に死んだ人を「うまく描く」ことによって、死ぬことの意味や、残された人の心の変化などを表現することで、現代に生きる人々に何かを訴えることも十分にある。まさに今回は、そのような会ではないか。

 人の別れには二つの別れがある。うれしい別れと悲しい別れである。嬉しい別れは、今回の子供の結婚に関する別れであろう。娘がお見合い相手と楽しそうな時に「なんだ楽しそうじゃねーか」という渋沢栄一の言葉、そしてそのあと妻の千代を抱き寄せる姿は、何か今の世の中のお父さん・お母さん世代に非常にマッチする。このようなことを言うと現代ではセクハラになるそうであるが、現代の子供たちは、なるべく早く良心にそんな思いをさせてあげるということを考えてもよいのかもしれない。社会で活躍することだけ、キャリアを積むことだけが、親孝行ではないような気がする。

 そして悲しい別れが「死別」である。今回の妻に千代の死は、まさに悲しいものではないか。ある意味で、私も似たようなところがあるので、身につまされるところがあるのだが、どうも男性というのは、社会に出て、その社会にもまれている間に、家庭を顧みず、「社会で必要とされている」として「家庭を放置してしまう」ことがある。今回渋沢栄一自身が「若いころは、己が正しいと思う道を突き進んできたが、今の俺は正しいと思うことをしたいがために、正しいかどうかもわからねぇほうに向かう、汚い大人になっちまった。若い二人が羨ましい。」と術介し、妻の千代が「いろんなものを背負うようになってからも、心の根っこはあのころとちっとも変わってねぇ。お父さまやお母さまも『よくやった』と褒めてくださいますよ」というシーンは、何かジーンとくる。

 夫婦というのは、ここまでお互いが信頼できて、なおかつお互いのことを気遣い、そして分かり合えることが最も重要なのであると、今の夫婦にそういうメッセージを出しているのではないか。

 そして、上記の記事にもあるがその妻の千代の最期の言葉。「生きて……。必ず……あなたの道を……。」この言葉は、本当にすごい。もちろん演技であり台本の通りなのであろうが、しかし、最後の最後まで相手を気遣うことのできる夫婦の「美しさ」が書かれていたのではないか。

 このようなことをドラマを見て多くの人が何かを感じて欲しい。感じ方は様々なであると思うが、その感じたものを大事にしてもらいたい。そのように感じるのは、やはり私がオジサンになった証拠なのであろうか。

 いろいろと考えさせられる感動の回であった。

宇田川源流

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