「宇田川源流」【土曜日のエロ】 SNSによる検閲で芸術が否定されるという「本末転倒」
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 SNSによる検閲で芸術が否定されるという「本末転倒」
今週も土曜日のエロの日になった。毎週毎週、というよりは、実際に「コロナ禍」で人が外に出ないということは、まさに、「秘め事」が増えたということであり、また「秘め事を利用した犯罪、つまり「強姦や強制わいせつといった性犯罪」が増えてくるということになる。
今週のニュースは、そのような中なかなか面白い政治の動きがあった。
前の日曜日に、あの学校に行かないで環境の話をしているグレタさん率いる若者といわれるなんとなく社会的な発展を望まない人々が、デモを起こしたという。環境会議COP26を批判しているというのである。
まあ、安保騒動の頃からなんとなく見ているとわかるのであるが、学生運動というのは、一つのことに焦点を当てると、他のことに関してはすべて犠牲にしてしまう極端なことを主張する。それが「社会を知らない」ということになるのだ。例えば化石燃料を燃やすなということを言うが、ではそれで石油製品も電力も失われ、原始時代とは言わないが、江戸時代くらいまでに戻してしまうことになる。しかし学生たちは化学繊維(石油製)を使い、電力やガソリン車で移動して、電力を使って様々な運動をしている。まあそれで良いのかということはかなりおかしな話になる。
一方、そのような政治的な動きを受けながら、中国では六中全会が、そして日本では岸田第二次内閣が発足というようになった。この二つに関しては、今後また書くことがあるのではないかと思うので、何とも言いようがないのである。まあ、習近平とバイデンと岸田という構造、そこに来年韓国の大統領選挙があり、また台湾もなんとなく入って来る。そのような国際的な内容が大きくなってきている。
また、中国は「独身の日」のお祭り騒ぎが鳴りを潜めたというニュースなどもある。この内容はなかなか興味深いというか、自分たちよりも影響力のあるものはすべて滅ぼすというような中国という国の「伝統的な統治方法」が、このような経済行為にも入って来るということはなかなか興味深いということになるのではないか。
まあ、そのような政治の動きも今回は一つのニュースもあるということになる。
SNSのポルノ検閲にうんざり…ウィーンの美術館、有料サイトに活路
【AFP=時事】大手ソーシャルメディアはさまざまな画像を検閲し、わいせつと見なしたものを削除しているが、その中には旧石器時代の裸体のビーナス像など、数々の芸術作品も含まれている。こうした動きに芸術の都ウィーンの美術館・博物館は業を煮やし、際どいコンテンツで知られる有料サイトの利用にかじを切った。
ウィーン観光局は大胆なPR戦略として9月、有料ソーシャルメディア「オンリーファンズ(OnlyFans)」にアカウントを開設した。10月中旬の時点ですでに数百人のユーザーが登録している。
ノルベルト・ケトナー(Norbert Kettner)局長によると、「芸術における検閲およびアルゴリズムやソーシャルネットワークの役割について議論を立ち上げること」が主な狙いだという。
美術館や博物館は「展覧会を宣伝しづらい」と不満を抱いており、それがヒントになったと局長は明かす。一部のソーシャルメディアのプラットフォームは、コンテンツがポルノか否かを判断する基準が非常に厳しいからだ。
例えばSNS最大手の米フェイスブック(Facebook)は、2018年に行った検閲で悪評を買った。旧石器時代の傑作とされる彫像「ウィレンドルフのビーナス(Venus of Willendorf)」の画像をサイトから削除したからだ。
この小さな像は現在、ウィーン自然史博物館(Natural History Museum Vienna)に恒久展示されている。
ケトナー局長は、フェイスブックの判断は「あり得ない」と評している。この措置についてはフェイスブック側も後に「誤り」だったと認め、謝罪している。
■よみがえる「扇情性」
裸体がいまだ論議の的であることは「おかしいし、ばかげてさえいます」と嘆くのは、ウィーン市内にあるレオポルド美術館(Leopold Museum)で広報を担当するクラウス・ポコーニ(Klaus Pokorny)氏だ。「裸体は極めて自然なはずなのに、全くそのように扱われていません」
同美術館は、20世紀初頭のオーストリアの画家エゴン・シーレ(Egon Schiele)の主要作品を収蔵していることで名高い。シーレの絵画はしばしば、ソーシャルメディアの検閲の網にかかっている。
同じくウィーンのアルベルティーナ美術館(Albertina Museum)では現在、イタリアの画家アメデオ・モディリアニ(Amedeo Modigliani)の企画展を開催中だが、出品作のうち数点がいくつかのソーシャルメディアで「露骨」過ぎると判断された。
こうした事態のせいで、美術館や博物館は仕方なく別の選択肢を探しているとポコーニ氏は言う。
「私たちはオンリーファンズにアカウントを作る気はありませんでした。(中略)でも、そうすることにしたのは、よく知られた国際的なプラットフォーム、例えばティックトック(TikTok)やフェイスブック、インスタグラム(Instagram)に作品が受け入れられなかったからです」
人間の体に関するタブーについては「今も、100年前と全然変わっていません」とケトナー観光局長も言う。
美術史家で、フランスのアルトゥング・ベルクマン財団(Hartung-Bergman Foundation)の理事長、トーマス・シュレッサー(Thomas Schlesser)氏は、オンリーファンズでのアカウント開設は「賢明な」動きだと評価する。
「作品が制作当時に持っていたはずの扇情的で、ポルノ的でさえある特徴が(オンリーファンズでの公開で)よみがえります」と同氏はAFPに語った。
■「無意識の自己検閲」
この問題は高級芸術(ハイアート)だけにとどまらないと、ケトナー観光局長は懸念する。
「多くの若いアーティストがオンラインでの発表に頼っています。彼らの多くはあらかじめ、どんな作品なら投稿できるだろうかと考えます」。同氏はそれが「ある種の無意識の自己検閲」につながると警告した。
AFPはウィーンでの動きについて、フェイスブックに取材を申し込んだが返答はなかった。
レオポルド美術館のポコーニ氏は、オンリーファンズの利用は「ソーシャルメディアに投稿できるかどうかといった問題ではなく、主義主張の問題」だと強調し、「政治の延長です」と述べた。
「私たちの権利、自由、愛、理解のために闘うのです。制約や私たちの人生を支配しようとする人々のために闘うのではありません」
【翻訳編集】AFPBB News
2021年11月6日 9時0分 AFPBB News
https://news.livedoor.com/article/detail/21149367/
さて、今回は「秘め事」ではなく「表現の自由」である。基本的に検閲というのは、国家権力が行い、政治的に反対する人々の声を失わせることではないかと思っていた。しかし、今回はそのような権力ではなく、SNSの本社の検閲である。
もちろん、サーバーにおいて、わいせつ画像などを出したくはないということは理解できる。しかし、逆にそのことによって、過去の芸術品が出せないというのはいかがなものであろうか。
美術館や博物館は「展覧会を宣伝しづらい」と不満を抱いており、それがヒントになったと局長は明かす。一部のソーシャルメディアのプラットフォームは、コンテンツがポルノか否かを判断する基準が非常に厳しいからだ。<上記より抜粋>
さて、単純に言って「過去の芸術品」だけではな「過去の価値観」を現在の政治的な動きや現在の価値観で判断し非難するのはいかがなものであろうか。現在の先進国の多くはアフガニスタンなどのイスラム教徒が芸術的または歴史的な価値のあるものを破壊したことを非難してきたが、実際に現在のアメリカのSNSは同じことをしているのである。芸術的な裸身と、アダルト系のヌードとは区別がつくことであるはずが、残念ながら無機質な機械による審査では理解ができないということになる。
裸体がいまだ論議の的であることは「おかしいし、ばかげてさえいます」と嘆くのは、ウィーン市内にあるレオポルド美術館(Leopold Museum)で広報を担当するクラウス・ポコーニ(Klaus Pokorny)氏だ。「裸体は極めて自然なはずなのに、全くそのように扱われていません」<上記より抜粋>
まさに「裸体」はすべての人間が持っているのに、それを見ることがなぜかタブーになっている。宗教画などは生命の神秘などをしっかりと扱うような内容になっているのであり、そのためには性的な表現や、裸体、そしてそこの持つ美しさをしっかりと表現するということになる。しかし、機械的というのは、まさにそのような表現をすべて否定し、裸体が書かれていれば捨てタブー視し、そしてその内容などを加味することなく判断をしてしまう。
なぜならば、機械は裸体を持たないからである。
レオポルド美術館のポコーニ氏は、オンリーファンズの利用は「ソーシャルメディアに投稿できるかどうかといった問題ではなく、主義主張の問題」だと強調し、「政治の延長です」と述べた。
「私たちの権利、自由、愛、理解のために闘うのです。制約や私たちの人生を支配しようとする人々のために闘うのではありません」<上記より抜粋>
まさに、我々は自分の表現の自由とそして人間の本来の姿を取り戻すために、この検閲と戦わなければならない。ちょうど映画「ターミネーター」のように、まずは表現の世界から徐々に機械が我々を支配してしまうのである。
まさに我々の「エロ」を守る戦いは今から始まるのである。
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