「宇田川源流」 緊迫したアフガニスタン情勢で日本がその救出に遅れた理由と自衛隊機が派遣された理由の同一性

「宇田川源流」 緊迫したアフガニスタン情勢で日本がその救出に遅れた理由と自衛隊機が派遣された理由の同一性


 緊迫したアフガニスタン情勢とその背景のかなりドロドロしたものに関しては、来週の月曜日からの「宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話」(https://www.mag2.com/m/0001647155)で詳しく申し上げることにするので、今回はそのイントロ部分をなんとなく書くことにしたい。また、その背景とテロリスト、そしてそのことによる日本の株価や為替の動き、場合によっては世界のメーカーなどの動きや経済的な動きに関しては、オンラインサロン「陰謀渦巻く世界情勢の中であなたが生き残る方法」の中でp話しすることにしたいので、やはりその部分もあまり難しい話は今回や辞めておくことにしよう。

 その意味で、今回はその前段階の話をすることにしたい。まあ、コロナウイルス禍の中で、これだけアフガニスタン情勢はトップニュースになるというほど、世界にインパクトを与えた内容であり、その内容を、どれだけ行うのかということを考えてみなければならない。特に世界情勢の中で、今回のバイデン政権の内容などをどのように考えるのかということに関しては、様々な見方があるが、少なくとも「今回のアフガニスタンのべ宇平撤退に関してそれを成功した」というような見方をする人はほとんどいない。

 当然に、日米同盟における「日本」の行動や外交などに関しては、様々な意見がある。テレビなどを見ていると「アフガニスタンのタリバン政権を公式に認めるべき」などということを簡単にいうような人もいれば、「日米同盟を破棄すべき」などということをいう人がいる。実際に今回のアフガニスタンだけで、そのようなことができるはずがないのであるが、現実を知らないということは、なんと恐ろしいことかというような気がするのである。

 また、日本国内から一歩も出たことがない、出たとしてもせいぜい観光旅行でツアーガイド付くの安全な旅行しかしたことのないような人(政治家を含む)では、今回の内容は対処できるものではないのではないか。一方で、やはりあまり国際的な現実を知らない国粋主義者にとっても、今回の内容の先は見えないであろう。

 そのような中で、日本政府は自衛隊機を「丸腰」でアフガニスタンに派遣し、そしてなんとか日本大使館関係者などを救出しようとしたのであるが、結果的に500人程度を置き去りにし、そして、一人の救出をして撤退してきたのである。

 今回のブログでは、その是非と、その内容に関する日本政府の内容だけを記載したい。それ以外に日米関係などに関してはすべて上記のオンラインサロンや、有料メルマガに譲ろうと思う。

 

痛恨の500人置き去りで終わった日本のアフガン退避作戦。出遅れと失敗の背景は?

 約500人にのぼる日本大使館のアフガニスタン人職員らを置き去りにしたまま、自衛隊が撤収することとなった日本政府の退避オペレーション。各国の中で、なぜ日本だけが「独り負け」とも言える状況に追い込まれたのか、出遅れの背景を探る。

■8月13日カブール陥落2日前 低かった外務省の危機意識

 アフガニスタンでのタリバンの進攻が報じられるようになった8月中旬。外務省や首相官邸の動きがにわかに慌ただしくなった13日に、アフガンを所管する中東アフリカ局の幹部を取材すると、「首都カブールが今すぐ陥落するという状況でもないので、中期的にいろいろなことを考えている」との返答だった。

 たしかに外務省内では、この時点で既に大使館職員らの退避が検討されてはいた。ただし、想定されていたのは民間のチャーター機を使った退避オペレーション。タイミングも翌週以降という計画だった。この段階では、我々メディアも含め、外務省内の関心は翌日の8月14日から始まる茂木外務大臣のイスラエル・イランなど中東各国訪問の準備の方に集まっていた。

■8月15日 カブール陥落 退避拠点の空港が大混乱…

 しかし、それからわずか2日後、15日に首都カブールはタリバンの攻勢によってあっさり陥落。在留邦人らの退避の拠点になるはずの空港には、国外脱出を求める人々が押し寄せて大混乱となり、軍用機にしがみついて落下し死亡する人まで出た。

■8月17日 大使館員が退避日本人職員12人だけUAEへ

 この頃、まず問題になったのがアフガン大使館の日本人職員らの退避をどうするかという点。混乱の中、日本政府はイギリスに協力を依頼、イギリス軍の軍用機に大使館職員12人が乗り込み、アラブ首長国連邦(=UAE)のドバイへと退避した。しかし、この退避劇の裏で日本大使館や国際協力機構(=JICA)で働いていたアフガニスタン人職員とその家族約500人は、国内に取り残されていたのだった。

 この時点でも、ある外務省幹部は「自衛隊機の派遣よりも、タリバンの検問で、現地のアフガン人職員らがカブール空港にたどり着けないことの方が問題だ」と語るなど、自衛隊機の派遣はそれほど具体化していなかった。

■8月20日 自衛隊派遣へ 「空港内だけなら安全」と解釈

 しかし、その後、アメリカ軍が8月末のアフガンからの撤退期限を延長しないことが明らかになり、情勢は切迫度を増していく。事態が動いたのは20日・金曜日の夜。法的問題を検討する国際法局の幹部が遅くまで残って自衛隊機派遣に向けた本格的検討が行われた。法律面で最大の問題となったのが、自衛隊員の安全確保。自衛隊法上、派遣ができるのは「輸送を安全に実施することができると認められる時」に限られていたのだ。そこで外務省は落ち着きを取り戻しつつあったカブール空港について「アメリカ軍の管理下にあり、空港内だけでの活動なら安全は確保できる」と解釈、最終的に自衛隊の派遣は可能だと結論付けた。

 官邸幹部の1人は、欧米各国や韓国に比べて自衛隊の派遣が遅れた原因について「この自衛隊法上のハードルがネックになり、検討と決定に時間がかかった」と指摘する。

■8月22日 先遣隊出発自衛隊の輸送機がアフガンへ

 そして22日・日曜日の午後、首相公邸の菅首相のもとに外務省や防衛省の幹部らが集まり、自衛隊機を派遣する方針が確認された。この日の夜遅くには、成田空港から先遣隊となる外務省職員や自衛隊員がひそかに出国。翌23日に正式に派遣が決まり、早速、夕方には自衛隊機が現地に出発した。

■8月25日 自衛隊機が到着バスを使った輸送作戦に転換

 25日には、自衛隊のC2輸送機が拠点のパキスタン・イスラマバードを経て、カブール空港に到着した。しかし、この時点でタリバンの検問を通過して空港にたどり着けた退避希望者はゼロ。政府は自力で空港に来てもらうのは難しいと判断、バスを準備した上で退避希望者に集まってもらい、一気に空港まで運ぶ作戦に転換した。

■8月26日 空港周辺で爆発 アフガン人職員らは足止め

 ところが26日、バスによる輸送作戦が敢行される、まさにその時に起きたのがカブール空港近くでの大規模な爆発だった。ある政府関係者は「爆発が痛かった。空港の外は安全が確保されていないので、自衛隊が外に出て退避希望者を守りながら連れてくることもできなかった」と振り返る。

■8月27日 日本人1人を輸送自衛隊機はパキスタンへ撤退

 27日になると、ようやく日本人1人を自衛隊機で退避させることに成功した。しかし、そもそも退避を希望する日本人はアフガン国内にはほとんど残っていなかった。最大の課題であるアフガン人職員らの退避は、爆発による治安悪化もあり、空港まで移動できず断念。活動期限が迫る中、自衛隊員や外務省の職員はパキスタンのイスラマバードまで撤退することとなった。

 翌28日にはアメリカ軍もカブール空港からの撤退を開始、最終的にアフガン人職員ら退避希望者約500人が現地に取り残されることとなった。各国が軍用機を投入し多くの人々の退避に成功する中、「日本の独り負け」と言われても仕方のない結果だった。

■幹部ら「遅かったと思わない」反省点・改善点との真摯な向き合いを

 今回の退避について。外務省は当初、オペレーションが継続していることを理由に詳しい経緯をほとんど明らかにしなかったが、外務省幹部の多くは「やるべきことはやった。自衛隊機の派遣が遅かったとは思っていない」と口々に繰り返す。たしかにアフガン人職員らの退避に向けた努力が続く中、現時点で犯人捜しや、誰かの責任を追及する必要はないのかもしれない。

 しかし、一方で早い段階で「問題はなかった」と決めつけてしまうことは、重要な改善点や反省点を埋もれさせてしまうのではないだろうか。次のオペレーションの教訓とするためにも、外務省をはじめ、政府には「退避失敗」という重い現実に真摯に向き合うことが求められる。

8/31(火) 21:03日本テレビ系(NNN)

https://news.yahoo.co.jp/articles/069275c628b810d8e63e7aaed884a47a6a7f3779

 さて、一つうかがうが、「日本の自衛隊機が、直接海外に日本人または大使館関係者などを救出に行った」ということはあるであろうか。その実績を見るとこのようになる。

 ・イラク派遣

 イラク日本人人質事件

 2004年(平成6年)4月15日に事件の発生を受け、陸上自衛隊への取材のためイラクサマーワに在留していた報道関係者10名をC-130Hを用い、同国のタリル飛行場からクウェートのムバラク飛行場まで輸送。

 ・アルジェリア派遣

 アルジェリア人質事件

 2013年(平成25年)1月22日、航空自衛隊特別航空輸送隊所属の日本国政府専用機を派遣し7名の邦人と9名の遺体を日本に輸送。

 ・バングラデシュ派遣

 ダッカ・レストラン襲撃人質テロ事件

 2016年(平成28年)7月3日、ダッカでの事件発生を受け、被害邦人等の輸送のため、日本国政府専用機をバングラデシュ・ダッカに派遣し、被害邦人の遺体(7人)とその家族を日本に輸送した[9]。

 ・南スーダン派遣

 2016年(平成28年)7月11日、同国での大統領派と副大統領派の戦闘激化を受けてC-130H3機を南スーダンの隣国ジブチに派遣し、1機が南スーダンの首都ジュバから日本大使館員4名をジブチに輸送した。その後、同月22日に治安改善を受け撤収した。

 ・アフガニスタン派遣

 2021年ターリバーン攻勢

 2021年(令和3年)8月、C-130H 2機とC-2 1機、日本国政府専用機1機を派遣し、26日に出国を希望するアフガニスタン人14人、27日には邦人1人をパキスタンに輸送した。

 要するに、今回が5回目でしかない。もちろんそのほかに国連の平和維持軍や災害派遣などにおいて自衛隊が出動したことはあるが、しかし、実態として日本の自衛隊が海外における日本人を直接輸送したのは、これしか例がない。

 さて根本的なことを言うが、日本の自衛隊は「日本人」を守るのか「日本の国土」を守るのか、あるいは「日本の主権」を守るのか、ということを考えた場合、実は「日本の国土にいる日本の人」だけを守るのであり、海外にいる日本人や、北方領土や尖閣諸島などの日本の国土を守ることは全くできていないということに気づかされる。尖閣や竹島や北方領土をすべて例外化しなければ、実は自衛隊が何を守っているのかわからない状況になる。

 そもそも「自衛隊」という組織は「非常事態」に対処する組織である。しかし、その組織を「平時の法律」で動かそうとしているのであるから、土台無理がある話になる。そのうえ、その組織を海外に行くというのは「憲法の規定上、戦争をしない前提」で派遣する。もしも武器を使う場合も「緊急避難」か「正当防衛」という平時の法律の基準に従てt行うのであり、最も危険な場所に行くということになる。

 さて、上記の5例の海外派遣において、「戦地」に行くのは今回が初めてであろう。そのほかは、すべて「テロ」である。まあ、イラクとスーダンは、それでも戦争や内戦に近い状況かもしれないが、しかし、イラクの場合も南スーダンの場合も、双方すでに国連平和維持軍が言っているところに派遣されている。つまり、国連軍などの保護下にない状況で自衛隊が派遣されたのは、別な言い方をすれば、他国の軍の保護下にない状態で丸腰で輸送機飲みを飛ばしたのは初めてである。

 そのために、「情報」もなければ、「輸送機までの安全の確保」ということもない状況での内容であった。

 さて、これで見てわかるように、日本にはまずは「情報を日本独自で入手する組織」が必要であり、また、それに合わせた「当該国(さすがに敵国とは言わないが)の空港や港までの陸上の安全確保」ということが重要視され、また、自衛隊の輸送機自体の安全確保、つまり「護衛機の派遣と護衛機を飛ばすための設備(空母や他国の軍の空港などとの連携など)」が必要であり、そのことが全くできない状態では、今回のような結果になってしまうということになるのである。

 さて今回は記事も長いので、これから先はメルマガやオンラインサロンを参照いただきたい。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

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