「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 前半戦最後は大政奉還と薩摩藩邸焼討ちだがパリからの視点で書く斬新
「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 前半戦最後は大政奉還と薩摩藩邸焼討ちだがパリからの視点で書く斬新
毎週水曜日は、大河ドラマ「青天を衝け」について書いている。ある意味で、大河ドラマや歴史に関して思う存分書くことができるのは、なかなか面白い。そのうち、このブログすべてを歴史などにしても面白いのかもしれないとも思うが、まあ、それはやりすぎであろうか。
さて、大河ドラマは、今年夏にオリンピックによって休止期間が出てくる。そこで今回の内容よりも先に、大河ドラマの放送日程を確認しておこう。
今回第23回の「篤太夫と最後の将軍」が放送されたが、今後七月二五日、八月一日・八月八日は、東京オリンピックの中継があるために放送が休止される。少し間が空いて第24回は八月十五日に放送されることになる。
そして二二日の放送の後に、また八月二九日・九月五日に、東京パラリンピックの中継のために放送休止されてしまう。オリンピックによって細切れになってしまう上に、オリンピックという感動をするイベントがあるので、絶対に忘れないようにしなければならない。何しろ、まだ出演するかどうかは不明だが、私が上梓した山田方谷の弟子である三島中洲が出てくるとすれば、その休止期間の後になるからだ。
いずれにせよ、今回の「青天を衝け」はオリンピックによって5回分の休止期間がある。実際にオリンピックの中継によって休止期間があったのは、ロンドンオリンピック以来である。ちなみに、昨年の「麒麟がくる」では、もともと5週分休止期間が設定され、当初から全44回ということになっていた。しかし、オリンピックがコロナウイルス禍によってオリンピックは延期になったものの、コロナウイルス禍で撮影ができず、そのことによってオリンピックの中継とは別の休止期間ができてしまったのである。そのことから、44回すべてを行うということで「麒麟がくる」は今年の2月まで放映したのである。
当然にNHKにおいては放送中の休止という経験が存在する。当然に、この休止期間までの間に、一つの節目を付けるということが、NHKはよく行っている。昨年の「麒麟がくる」では、ちょうど桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にするところで、休止期間に入った。では、今回の「青天を衝け」ではどうなったのであろうか。
【青天を衝け】「家康さまが降りてきちゃって」 “大政奉還”で見せた草なぎ剛の圧倒的演技
俳優の吉沢亮が渋沢栄一役で主演を務めるNHK大河ドラマ『青天を衝け』(毎週日曜 後8:00 総合ほか)の第23回「篤太夫と最後の将軍」が18日、放送された。
今回、フランスでは篤太夫(吉沢)が当面の資金繰りに奔走し、昭武(板垣李光人)は留学を続けてる様子。そして、日本では岩倉具視(山内圭哉)や大久保利通(石丸幹二)が王政復古への動きを進めるが、慶喜(草なぎ剛)は先手を打って政権を帝に返上する“大政奉還”のシーンが描かれた。
このほど、オンラインで行われた合同インタビューで、演出担当の田中健二氏は「なぜ大政奉還にいたったか、慶喜公は見方によっていろいろ評価がわかれるのは勉強すればするほど感じています。本当のことはわかりませんが、『青天を衝け』ではこういう筋道で慶喜が大政奉還を決断したんじゃないかなという、慶喜の気持ちをわかるようにもっていっているつもりです」と本作における慶喜の心情を落とし込んだという。
「大政奉還の宣言の中で、史実でも少しだけ家康公に言及しているんです。そういうところに思いをはせてほしいというオーダーをしました」と明かした上で、草なぎの演技については「ものすごく単純にいうと『良い芝居』だったんです。撮り終わったあとに『いま感動しました』と言ったら(草なぎが)『言っているうちに家康さまが降りてきちゃって。家康さまに感情移入してしまってこんな感じになりました』と言っていて(笑)。すごいなと思いました」と田中氏も草なぎに圧倒されたと振り返る。
そして「草なぎさんが演じる慶喜の気持ちをしっかりと出してくれてました。宣言での中で、家康さまとどこかでリンクしたからこそ出た感情なんだなと。それを大政奉還に乗せてくれたのが本当にすごいと思います」と舌を巻いた。
2021年7月18日オリコンニュース
https://www.sakigake.jp/news/article/20210718OR0065/?nv=ent
今回は、どこで終わるのかということと、大政奉還の背景をどのように描くのかということ、そしてその内容を「パリにいる渋沢栄一視点」でどのように描くのかということが非常に楽しみであった。もちろん、先週の予告編のところで、今回が大政奉還であるということ、そして渋沢栄一はその時にパリにいたことなど、なかなか興味深い。
徳川慶喜というのは英邁でなおかつ素晴らしい筋腫であるという評価であるが、私自身はあまり評価をしていない。実際のところ、徳川慶喜を支えたのは平岡円四郎と原市之進であり、またこの二人を暗殺者の手から守れなかったことも事実である。その暗殺者であっても徳川慶喜の元部下たちであり、慶喜自身の思想や方針が自分の家の部下まで浸透させることができなかったということを意味しているのであろう。本人一人が英邁であっても、集団としてその内容ができなかったということはいったい何なのか。大河ドラマのセリフを借りれば「尊王攘夷は呪いの言葉になってしまった」という言葉そのもので、慶喜自身はあきらめに似た感じになっていたのではないか。その「あきらめの良さ」が、この慶喜という人物の限界なのではないかとずっと思っている。
さて、平岡円四郎の後、徳川慶喜が頼りにしていた原市之進が暗殺され、これで相談相手が無く孤独になった徳川慶喜が、一人で悩んだ末に大政奉還を決断するということになる。もちろん、論理的には「薩摩・長州の討幕という振り上げたこぶしをおろす場所を無くす」ということは間違いがないし、大河ドラマの中で岩倉具視がセリフの中で「いや、先回りされた」という状況を作り出した。しかし、やはり慶喜の「部下にまですべて糸を浸透させない」というやり方は、結局西郷隆盛など薩摩にほんろうされ、江戸で薩摩藩邸焼き討ち事件を起こし、戦端を開かせてしまうことになるのである。
一方パリにいる渋沢達は、皆髷を切り洋装になる。そしてこの渋沢栄一が、「身分性が無いことが、風通しが良くなり、皆が自分にできることで国のために頑張ればよい」ということに気づく。これこそ、渋沢栄一をドラマにするときの前半の最も大きなテーマなのかもしれない。身分制を打破し、政治家も国のために商売を行い、また商売人も国のために政治的な動きをする。まさに、江戸時代から明治時代にかけて最も大きく変わった「身分制の打破」が強く言われているのである。
風通しの良い社会ということが、少なくとも一つのテーマ。その内容をこの最も注目される時点で、それも「パリ」で新たな風を入れた渋沢栄一という存在が行うことが、このドラマでは最も大きな意味があることになる。
次回は鳥羽伏見の戦いということになろう。楽しみだ。
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