「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 江戸時代に「経済」を重視する侍を演じることの難しさと表現の少なさ

「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 江戸時代に「経済」を重視する侍を演じることの難しさと表現の少なさ


 毎週水曜日は、大河ドラマ「青天を衝け」と、その時代背景に関して話している。このブログの中で、私が「歴史小説作家」という肩書の感じで文章が書けるのが楽しい。まあ、いい感じである。今回の「青天を衝け」は、幕末から明治時代にかけて、農民から身を起こし徳川慶喜に仕え、その後、資本家として活躍するという感じだ。

 実際に、大河ドラマといえば、「戦争」を交えた中での「死生観」「人生観」を見てゆくドラマになっているのではないかという気がする。人の死を通して、人間が何を感じるのか。死ぬということから、「生きる」ということが見える、それが最も重要なのではないかという気がするのである。

 しかし、今回の渋沢栄一に関して言えば、残念ながら「戦争」の描写はほとんどない。もちろん、今まででも平岡円四郎や藤田小四郎、武田耕雲斎などが人の手にかかって死んでいるし、また、藤田東湖は地震で、水戸の徳川斉昭(渋沢とは直接接点がないが)は病気で死んでいるということになるのである。その人の死から、当然にドラマであるから様々な意味で誇張してその効果が出てくることになる。人の生死で歴史全体が変わる。まさにその歴史全体が変わるということがドラマであるから誇張されるのである。もちろん誇張であるからドラマである。本当はそんなことはないのかもしれないがその内容をしっかりと読み込んだらよいのかもしれない。

 さて、今回は渋沢栄一が備中井原に行って、兵を入れたことからその経済的な内容を行うということ、そして、幕府全体としては第二次長州征伐に出陣するところで大阪城で十四代将軍徳川家茂が倒れたところである。ちなみに、本筋とは異なるので、ここでネタバレをしておくが、徳川家茂とその妻皇女和宮は、二人とも甘いものが好きであり、そのために脚気で亡くなったとされている。徳川家茂はここで皇居することになるのだが、皇女和宮はもう少し後まで生きている。有栖川宮熾仁親王に対して江戸城を攻めないように要望をするなどの活躍をする。その後、明治になってから京都に入り、その後体調を崩して箱根に療養、明治10年に脚気衝心のため療養先の箱根塔ノ沢で薨去した。32歳であった。徳川家茂と共に東京芝増上寺に眠っている。

『青天を衝け』吉沢亮×草なぎ剛が新たな“名コンビ”に 「置鮎さん」もトレンド入り

 大河ドラマ『青天を衝け』(NHK総合)第19回「勘定組頭 渋沢篤太夫」では、慶喜(草なぎ剛)に認められた栄一(吉沢亮)が一橋家の勘定組頭に抜擢される。

 その抜擢までには、一橋家の懐を豊かにするために動き始めた栄一の商いでの才覚が大きく関わっていた。木綿の売り買いの流れをよくするために作成した一橋の銀札、半年かけて設立した銀札引換所。結果、栄一は百姓たちから広く一橋家への信用を得ることに成功する。それは紛れもなく幼少期に父・市郎右衛門(小林薫)のもとで磨いた商才であった。

 円四郎(堤真一)亡き後、慶喜は増す増す栄一に夢中に。栄一は銀札を作る利点を熱く提言するものの、当の慶喜は「途中からお主の顔に見入り聞いていなかった」という惚れ込みっぷり(恥ずかしくなり銀札で両目を塞ぐ栄一がかわいい)。その真意は、多忙を極め気鬱となっていた慶喜にとってその靄を晴らしてくれる存在に栄一がなっていた。それはつまり、円四郎の後継者に近い役割ということ。「仁をもって為す」。その言葉は孝明天皇(尾上右近)から修好通商条約の勅命を得ることに成功した慶喜にも言えることであろう。

 一方、喜作(高良健吾)は軍制所調役組頭に昇進。2人は別々の場所で暮らすことになった。一橋の勘定方として手応えを感じている栄一に対して、その役職を下に見ている喜作。「俺は命をかけて殿のために戦う」とかつての長七郎(満島真之介)に思いを馳せる喜作に、「死んじまったら何にもならねぇ!」と一貫した思いをぶつける栄一。2人は対立したまま、離れ離れになることに。「道は違えるが、互いに身しめて一橋を強くすんべぇ」。幼なじみとして育ち、互いを生涯の相棒としてきた栄一と喜作。喜作を見送る栄一の瞳には涙が浮かんでいた。

 また、第19回は大久保一蔵(石丸幹二)と密談を交わす五代才助(ディーン・フジオカ)や「まるで山賊の親分」な強烈なインパクトを残す岩倉具視(山内圭哉)など、個性豊かな人物たちが再登場を果たした回でもある。

 そんな中、SNSを中心にトレンドを賑わしたのは、今回初登場を果たした公家・正親町三条実愛(置鮎龍太郎)。「置鮎さん」こと置鮎龍太郎は、アニメ『名探偵コナン』の沖矢昴や『テニスの王子様』の手塚国光など、多数の作品に出演する声優。役柄は勅命を得ようとする慶喜に「将軍は辞職しなはれ」とつぶやく、なんとも意地の悪い人物だ。その顛末は慶喜に弱みを握られ言い負かされてしまうのだが、短いシーンながらその印象的な声はやはり耳に残る。公式コメントにもあったように、「顔芸」ならぬ焦った表情も緊張感を生むのに手伝っていた。

 第20回「篤太夫、青天の霹靂」では、大坂城で倒れた家茂(磯村勇斗)が亡くなってしまう。次期将軍就任を避けられぬ慶喜。徳川宗家を継いだことで幕臣となった栄一は、謀反人の捕縛を命じられる。警護のために同行するのは、新選組副長・土方歳三(町田啓太)だった。

2021.06.21 リアルサウンド

https://realsound.jp/movie/2021/06/post-797461.html

さて、今回書きたいのは渋沢栄一、そして私が今一生懸命大河ドラマ化を進めている山田方谷についてである。この二人が三島中洲を通じて師弟に当たるとかそういうことではない。この二人の最大の功績は「貨幣経済に対応した」ということであろう。

天保の改革で水野忠邦は、その改革の中で農業を中心にした改革を行った。実は享保・寛政・天保三つの江戸時代の改革というのは、農業を中心にした米の改革であった。我々現代的な考え方をすれば、藩政改革というのは必ず、米と耕作の改革であったということができる。享保改革などは「米将軍」などというように言われている。これは、大名の報酬が「○○万石」というように米、もっと言えば、米の作付けや米の話になる。つまり「米本位制の経済」であったということになる。しかし、幕末になると様々な意味で「貨幣経済」に移行している。しかし、水野忠邦は「米本位制の改革」を行ってしまった。米本位制の改革の場合は、米の作付けと経済の話にしてしまい、そのために相場や経済に関しては商人任せになる。つまり、おいしいところは商人がすべて持って行ってしまう。そのことに気が付いたのが山田方谷であり、また渋沢栄一であった。

つまりある意味で「日本の貨幣経済改革の父」が山田方谷であり、その貨幣経済的な考え方を中心にして、「日本の資本主義の父」である渋沢栄一が生まれることになる。このことは、実際に「廃藩置県」「版籍奉還」が行われるまでの間、明治になってからも通じることになっており、庶民や外国の貨幣経済と、大名などの知行制は変わらずに残ってしまうということになるのである。

さて、前回と今回の大河ドラマで目に見えたのは、渋沢栄一の行動の中で「売る」「買う」ということになる。それに対して、他の人々は貨幣経済に関しての感覚がないということになる。まさにそのような頭の柔軟性や貨幣ということに関しての考え方がしっかりしていたということになろう。

同時に、上記の記事に合わせて書けば、「貨幣経済的な改革を許容することのできる君主」という存在も大きなものではないか。山田方谷に対して板倉勝静、渋沢栄一に対して徳川慶喜、いずれも朱子学的な考え方をしながら、つまり、幕府の伝統を守るという立場で米本位制の考え方をしながら、貨幣経済的な改革を「任せる」という度量の深さ、そして感覚的にその改革が必要であるということを肌でわかっているということになるのではないか。

本来徳川家茂の死後、その英邁な徳川慶喜と、老中首席板倉勝静であれば、かなり思い切った改革ができていたであろう。幕府そのものがすべて貨幣経済になるかのような、踊ろうような改革ができていた可能性がある。しかし、そのようにならなかったのが時代であり歴史ではないかという気がする。彼らが、(山田方谷や渋沢栄一を含めて)活躍していたら、日本はどのようになっていたのか。そのような想像を膨らませることが「ドラマ」のだいご味なのではないだろうか。

宇田川源流

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