「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 天狗党の終焉と渋沢栄一の商才の開花
「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 天狗党の終焉と渋沢栄一の商才の開花
水曜日は、「大河ドラマ 青天を衝け」の話をしている。まあ、ほぼ毎週やるようになってきたので、なんとなく習慣になってきたのだが、まあ、いつまで続けるかと思っている。せっかくであるから、このまま歴史に関する内容を毎週数曜日にやってもよいかなと思ってみたりもする。まあ、ここは私個人のブログなので、気が向いたときに気が向いたようにしようかとも思っているが、いかがであろうか。
さて「青天を衝け」は、なかなかマニアックな話になってきている。今回は平岡円四郎亡き後、天狗党において平岡の知恵をあてにできなくなった天狗党が悲劇の中に死んでゆく。その天狗党の市から「一ツ橋家に力がないから馬鹿にされる」というように思った渋沢栄一が、一ツ橋家の所領のある備中井原に志願者を募りに行き、その後、経済的な進言をするというような展開である。
まあ、渋沢栄一を主人公にするドラマであればこれでよいのかもしれない。あくまでも「ドラマ」であり、実際に平岡円四郎亡き後の徳川慶喜の懐刀は原市之進が行っていた。そのために、原は、慶応三年に暗殺される。それも、髪を結っている最中に、一ツ橋家の人間い暗殺されるのである。
原市之進は、藤田東湖・会澤正志斎と水戸の巨頭の師事を得ており、また私塾を津久井、その教え子に藤田小四郎がいたとう。実際に、天狗党を調べていれば武田耕雲斎は、原市之進に期待しており、原がいれば慶喜が正しい判断を下してくれると信じていた。そこを田沼意尊が、関東で馬鹿にされた恨みに近い所と、水戸の諸生党といわれる、藤田東湖などん反対していた人々の意向を受けて、天狗党をすべて殺してしまうということになる。
なお、この天狗党の恨みは、武田耕雲斎の孫で遠島になった武田金次郎が、慶応四年に明治天皇から水戸諸生党討伐の勅命を受け、長州藩や本国寺党と組んで、水戸藩庁を掌握して報復を開始し、今度は諸生党の家族らがことごとく処刑された。水戸を脱出した諸生党は北越戦争・会津戦争等に参加したが、これら一連の戦役が新政府軍の勝利に終わると、9月29日には水戸城下に攻め寄せたが失敗に終わっている。いわゆる「弘道館戦争」というものである。金次郎らはなおも諸生党の係累に対して弾圧を加え続け、水戸における凄惨な報復・私刑はしばらく止むことが無かった。このことによって、水戸斉昭と藤田東湖によって「幕末の中心」出会った水戸藩は、完全に内戦による混乱と人材の不足になり、明治時代を通じて水戸藩出身者が中央政府において目立つ動きをしたり、中心になって様々な政策を行うことはなかった。内戦とか内紛がいかに非生産的であるかということであろう。
『青天を衝け』“篤太夫”吉沢亮&“慶喜”草なぎ剛、絆の深まりに反響「慶喜様が笑った!」
俳優の吉沢亮が主演を務める大河ドラマ『青天を衝け』(NHK総合/毎週日曜20時ほか)第18回「一橋の懐」が13日に放送。篤太夫(吉沢)の言葉に大笑いした慶喜(草なぎ剛)の笑顔や、2人の絆が深まっていく展開に反響が集まっている。
慶喜からの密書を受け取った耕雲斎(津田寛治)は降伏を決意する。天狗党征討総督の田沼(田中美央)は、慶喜に天狗党の公平な処置を約束するが、その約束は破られ天狗党は首をはねられてしまう。篤太夫は新たな兵の招集を慶喜に建白し、軍に必要な歩兵を集める役職・歩兵取立御用掛となり、一橋領のある備中に向かう。
紆余曲折ありながらも兵を集めて帰った篤太夫は、慶喜から褒美を差し出されるが「兵が増えるのは喜ばしいことですが、その分、兵を賄う金も入り用になると存じます」と意見。さらに「小四郎(藤原季節)様たちは忠義だけを尊び、懐を整えることを怠った。両方なければダメなのです。某は一橋の懐具合を整えたいのでございます」と告げる。
篤太夫はそもそも一橋家には腰掛けのつもりだったと明かしながらも「しかし今、改めてこの壊れかけた日の本を再びまとめ、お守りいただけるのは殿しかおらぬと。そのためにこの一橋のお家をもっと強くしたい」と強い瞳で語る。そして算盤を出し「懐を豊かにし、その土台を頑丈にする。軍事よりはむしろそのような御用こそ己の長所でございます」と訴える。
慶喜は「父を思い出すのう」と斉昭(竹中直人)を懐かしみ、父は百姓のことも尊んでいたと語る。篤太夫が斉昭のことは今までとんでもない石頭の風神雷神のような方だと思っていた、と驚くと、慶喜は声を上げて笑い「雷神となった父を思い浮かべてしまった。円四郎(堤真一)め。まことに不思議な者を押し付けおった」とおかしそうに話す。そして慶喜は「もはや腰掛けではあるまいな。ならばやってみよ。そこまで申したのだ。お主の腕を見せてみよ」と篤太夫を受け入れるのだった。
篤太夫の言葉に声をあげて笑った慶喜の笑顔や、2人の絆が次第に深まっていく展開に視聴者からは「慶喜様が笑った!」「慶喜公に笑顔が見られるようになって一安心」「笑顔なのに泣けるよ」「二人の絆の始まりを感じて胸が熱くなりました」「円四郎が繋いでくれた二人の絆が深まる」「絆ができた場面を見た気がします」などの声が相次ぎ、反響を集めている。
2021/6/14 クランクイン
https://www.crank-in.net/news/90694/1
さて、話を渋沢栄一に戻そう。今回の舞台は現在の岡山県井原市。井原氏において阪谷朗廬の元を訪れて、その漢学を学ぶ。阪谷朗廬は、幼いころに父に付き従っていった大阪で大塩平八郎に師事している。つまり、「陽明学」の素養を持っているということに他ならない。その後江戸に行って古賀侗庵に師事している。古賀侗庵の弟子には佐久間象山や河井継之助など、やはり蘭学・陽明学系つまり、当時の主流であった朱子学系ではない系列の学問が少なくなかったのである。なお、渋沢栄一とのつながりで言えば、上記に書いた徳川慶喜の懐刀になった原市之進も古賀侗庵に習っている。つまり、渋沢栄一は、ある意味で原市之進の知古であった阪谷朗廬につながったということになろう。
阪谷朗廬は当時、開国派で有名であった。つまり、それまで攘夷を志して学んでいた渋沢栄一は、ここで開国派の話を聞くことがあり、そしてそれを受け入れるようになったということになるのであろう。もちろん、開国派の考え方も持っていたから原市之進は暗殺されてしまうということになるのではないか。
ある意味で「尊王攘夷は呪いの言葉」という、ドラマの中のセリフはかなり、この幕末を表す中で、最も端的に表した言葉になっているのではないか。実際に、このセリフを徳川慶喜が言ったという記録はないのだが、ある意味でドラマであるがゆえに、そのドラマということをうまく表現して徳川慶喜の聡明さをしっかりと表した、この時代を表す言葉を吐かせているところに、ドラマの面白さがある。
そして、その中で渋沢栄一に「ブランド」を作らせた。ある意味で「硝石」などを「備中産」として入札制にして売るということを行った。実際には、本来備中の山田方谷が行った内容を、なぜか渋沢栄一がやったことになっている。もちろんこの時代に渋沢栄一がそのようなことをすべて取り仕切ったというような話はなく、特に「ブランド化」というような商品の売り方は、山田方谷が行っていたものであり、まあ、NHKが備中を調べている間に経済的な話をうまく選択したのであろう。
このペースであると「信用が大事」など、山田方谷の藩政改革にかかることが様々に渋沢栄一の中に使われてしまうことになるのではないかと思う。逆に言えば、山田方谷の行った藩政改革の内容は、この時代、そしていまNHKの大河ドラマを見ている人に、非常に重要で示唆に富んだ内容であるということを示しているのではないか。このようなセリフを使えるのがドラマの面白さである。
さて、渋沢栄一が「どうして経済に目覚めたか」ということが、そのまま「徳川慶喜のやってみよという言葉」につながる。このあたりの「人間ドラマとしての面白さ」があれば、何かのテーマが読み取れるのではないか。本当の歴史とドラマの中の歴史。この二つの歴史を見比べながら「ストーリーから現代のわれわれに必要なテーマを読み解く」ことこそ、どらもあの面白さであり、また、ほんとうのれきしのたのしみ方なのかもしれない。
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