「宇田川源流」 最新ミャンマー情勢に見るスーチー女史と民主主義
「宇田川源流」 最新ミャンマー情勢に見るスーチー女史と民主主義
ミャンマーという国について、私の見方は皆さんとは何かが違うのかもしれないと思うことがある。
日本人は、なんでも「勧善懲悪」的に常に「二極」に物事を見てしまう癖がある。そのうえで、強烈な軍事アレルギーがあり、軍事政権というと無条件でその政権が悪であるというようになってしまうのではないか。
一方で、日本の場合、特にマスコミであるが、そのマスコミに毒された人を含め政治権力に反発することに何か快感のようなものを覚えている人も少なくない。
政治権力に何か不満といううよりは、自己顕示欲に近いわがまま勝手を言うことが、何か自分の権利御表象であるかのような、わけのわからない感覚を持ているような感じがある。
今回のミャンマーの件は「民主化という絶対的権力者」と「軍事政権」という二つのアレルギー物質が存在して何か大きな問題になっているような気がするのである。
日本時の場合、何か軍事政権アレルギーの人は、まさに軍事政権アレルギーのような感じになって半狂乱になって軍事政権を非難しているが、実際、その民主化の表象であるスーチー女史であってもロヒンギャなどの少数民族を迫害し、そして虐殺した。ある意味で、民主主義者の方が、実は虐殺者であったということになる。
さて、この問題に関して、中国などの外部の力が入り込んでいるような感じがある。実際に、軍事政権側においては、中国の何らかの力が作用しているように思える。特に、そのことは、中国との国境沿いの少数民族の多くが、軍事政権に反発していることでも明らかであろう。
そう、私が言いたいのは、何か先入観で無理に二極化(勧善懲悪のような感覚)の政治情勢にあるような話はないのである。そのように考え、「どちらもあまり良くない」というような考え方を見るべきであるのではないか。
その時に、一つの基準になるのが「法」であり、どちらが法を守っているのかということ、そしてその法律そのものが悪い場合は「悪法といえど法なり」という格言があるように、その法を守り、なおかつ法律の変更手続きをもって法律を変えてゆかなければならないのであり、そのような感覚ができているのかということをみてゆかなければならない。
何か「感情論」で物事を見ていても意味がないのではないか。
「NLD解党処分の方針」=総選挙で不正と主張―ミャンマー選管
【バンコク時事】ミャンマーのクーデターで実権を握った国軍が任命した選挙管理委員会のテイン・ソー委員長は21日、国軍に拘束されたアウン・サン・スー・チー氏が率いる国民民主連盟(NLD)を解党処分にする方針を示した。選管の会合に出席した政党関係者が明らかにした。
NLDが国軍系政党に圧勝した昨年11月の総選挙で「不正を行ったため」としているが、国民に根強い人気のあるNLDが解党されれば、国内外の反発が強まるのは必至だ。
国軍は2年以内に総選挙を改めて実施する方針を示している。しかし、2015年と昨年の総選挙で大勝したNLDが再び勝利する可能性が高いことから、国軍主導の政権樹立に向け、解党に追い込む考えとみられる。会合の出席者によると、委員長は「投票者リストを調べた結果、不正が判明した。NLDは解党される」と語った。
会合では比例代表制の導入をめぐり議論したという。現行の小選挙区制から国軍系政党に有利な比例代表制に変更し、上下両院議席の4分の1を割り当てられている軍人議員と合わせ、過半数の議席を確保する思惑とみられる。 【時事通信社】
2021年05月21日 20時59分 時事通信
スー・チー氏が初出廷=「NLDは存続」―ミャンマー
【バンコク時事】ミャンマーのクーデターで実権を握った国軍に拘束され、訴追されたアウン・サン・スー・チー氏が24日、首都ネピドーで行われた審理に初めて出廷した。スー・チー氏の弁護士が明らかにした。健康状態は良好で、面会した弁護士に、自らが率いる国民民主連盟(NLD)は「存続する」と強調した。
スー・チー氏は審理に先立ち、弁護士と30分にわたって面会した。弁護士が直接対面を認められたのは初めて。
弁護士によると、スー・チー氏は「NLDは国民のために創設された。国民がいる限り存在し続ける」と述べ、昨年の総選挙で不正があったとしてNLDを解党する方針を示した国軍に反発。また、「国民の健康を祈っている」と語った。 【時事通信社】
2021年05月24日 18時17分 時事通信
今回の内容を見て一番興味深いのは「スーチー女史」が、法廷に出てきたということである、当然に拘束されているものの、何か特別に迫害されたり、法律に違反した拷問をされているようなことではなかったし、また、法廷そのものも法律通りに公開されているということになる。
つまり、不当な裁判などが起きているのであれば、公開された中で多くの人の批判の中に出てくるということになるのではないか。
他の民主化の運動家に関しての裁判などは欠席裁判になったり、あるいは様々な問題があるような判決が出ているように見えるのであるが、どうもスーチー女史などに関しては、必ずしもそうではないというような印象受ける。
ミャンマーの民主化運動家、または、それを支援する人は、昔のイメージによってスーチー女史が民主化の象徴であるかのような状況で物事を判断して、そのような目で見ない。もちろん、軍事政権そのものが良いとは思えないし、私自身、民主的に物事を判断すべきあると思う。
しかし、数年前にタイのタクシン首相の時などは、国内のインフラなどをすべて中国に売却するというような首相に対して、当時存命であったプミポン国王を掲げた反タクシン派が衝突した。この時も民主的に選出されたとは言っていたが、実際にはタクシン氏の方が、私にはなじめなかった。
結論としていえることは「民主的」というようにマスコミが掲げているイメージとは全く異なる場合が少なくない。基本的に日本のマスコミというのは、「アレルギーで偏向的な報道をしてもおかしいと思わない」という所があり、かなり大きな問題になっているということになる。タイの時にも当然にそのような矛盾があった。
しっかりと、「その国の法律に適合しているか」ということが基準になる。そのことをしっかりと見なければならない。日本人の場合、日本の「自分たちの常識」ということを勝手に押し付けて、そのことで判断してしまうのである。それは強く戒めなければならないのではないか。
そのうえで、今回の内容を考えれば、「スーチー女史はおかしいし、またロヒンギャの虐殺などを見れば、NLDは罰せられて当然」ということになる。一方で、では軍事政権が良いのかと問われれば、その答えも「NO」である。やはり軍隊がその国の国民に対して銃を向けるというのは正しい行為ではない。もちろん、ミャンマーの場合は自警団的軍隊がいるので、そのことも考えて「武装対武装」ということになっているのであるが、その内容をいかに考えるのかということを見てゆかなければならない。
本来であれば、国連が乗り出して、平和維持の上に国連管理の政権を民主的に作るべきではないかと思うが、どうもそのような動きも見受けられないのはなぜか。そのことを考えるべきではないか。
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